魚沼WEBニュース

新潟県魚沼市や周辺市のニュース・情報をお届けします!週刊「魚沼WEBニュース」 ★★ 提携 「小出郷新聞社 」

年末特集・・新魚沼風土記 (中)

2007-12-27 | 小出郷新聞コラム

~行雲流水筆に託す~

星野修美

ふれあいの効用

 田舎での生活は辛くとも楽しく感動的な体験も少なくなかった。雪の中を根小屋の友達の家で何度も白いご飯を腹いっぱいご馳走になったこと。正月用に町内七校の児童の農家から大豆、小豆、さつまいもを戴いたこと、地域や親戚の人からも親切にされたことなどである。

 八八年六月一一日、疎開当時同級生だった人々の招きで東京から五名の来訪者が願念寺を訪れた。実に四三年振りの再会である。大湯温泉での語らいの中で疎開時の思い出が熱く語られたという。そして翌年には世田谷の方から招待を受けさらに交流が深められたと桜井豊さんは記している。(思い出の記、第二集一二一ページ)

 子どもの日記には「いなごとりで五五匹とる」とある。さらに農作業の手伝いや学校での芋掘り、とり追いで役場から餅を戴いたことなど地域社会の一員として参加していた様子が手に取るように描かれている。毎日のように子どもたちは社会に参加し、そこで様々な人々と出会い、地域によって育てられていた実態を垣間見ることができる。

 今日、地域の教育力低下が大きく問われているが、当時は明らかに違っていた。生活に困っていた人々への支え合いの思想が生きていた。よそ者を排除するいじめもなくはなかったがそれに優るおもいやりによる支援の手が家庭・学校・地域社会の中で差し延べられていたことに圧倒されてしまう。

新しい交流を求めて

 二十一世紀の今日、新しい交流への模索が脚光を浴びている。都会の子どもたちに農業体験をさせるプログラムもいよいよ具体化されるという。

 六四年前に行われた交流とふれあいの体験は明確な教育的意図をもって展開されたわけではない。「戦争と疎開」という異常事態の中でとられた、止むを得ない「処置」であった。しかしそこには力いっぱい生きようとする人々のエネルギーが感じられる。疎開してきた子ども達の眼差しが地域の大人に届いた。そして両者は互いに共鳴し合えたのである。

 大都会の子どもが一週間の農業体験をする。それを学校教育の中で教育的意図を持って取り組まれるという。既に成功例もあると聞くが物とカネのなかった六四年前のそれと溢れるほどの物に囲まれ、文明の光を全身に浴びている今の子ども達とどこか共通点は見られるのであろうか。

 魚沼の地も首都圏が通勤圏となりうるほど時間的距離は縮まった。加えてネット社会である。言葉も生活様式も画一化されている。都市との交流はかつての時代に比べれば新鮮さと好奇心の少ない状況の中で新しい発見はあり得るのか、農業体験は都市の子ども達に感動を与えることが出来るのか、これからの課題である。

 文化交流は画一化を求めて展開されるのではない。文化の違いを認識し、その文化に触れることによって自らを再発見する営みである。それは他者を排除することでもなければ、同化させることでもない。ましていじめは絶対にあってはならない。新しい交流の原点はここにあるような気がする。