遺族迎え殉職者を慰霊
昭和13年2月、銀山平片貝沢の山中に陸軍機が墜落した事故から今年で80年となることから、殉職した7人の乗組員を慰霊する催しが、墜落した日と同じ2月18日に魚沼市大沢の天満宮境内などで行なわれた。
昭和13年2月18日、埼玉県にあった熊谷飛行学校から対ソ連戦に備えて耐寒訓練のため飛び立った陸軍の大型輸送機が、大寒波のため操縦レバーが凍結し操縦不能となり、銀山平の片貝沢に墜落。捜索依頼を受けた地元消防団などが豪雪の中、苦労しながら捜索し搭乗していた7人の遺骨を下山させ、その後、殉職した7人を慰霊する「殉難之碑」が大沢の天満宮境内に建立されている。
この日行なわれた「陸軍機遭難80年を偲ぶ慰霊祭」は、事故から80年目の節目に救助活動に尽力した先人たちの努力を偲ぶとともに、殉職した7人の御霊を慰めようと市内の有志2人が発起人となって企画されたもので、殉職した陸軍技師・町田徳治さんの遺族、町田勝持さん(埼玉県桶川市)をはじめ関係者約30人が出席した。
参加者はまず、大沢天満宮境内の「殉難之碑」を参拝。地元に残されていた陸軍機の部品も持参され80年前の事故に思いを馳せた。
この後は折立温泉の旅館で慰霊祭と偲ぶ会が開かれた。偲ぶ会では会の発起人から、この10年間の事故に関わる出来事や新たに分かったことなどが紹介されていた。