UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

オキナワ、若干の想ひ出・・・

2017-06-26 02:46:22 | 日記

6月23日は沖縄戦の犠牲者を悼む「慰霊の日」でした。

新聞報道などによりますと記念式典に出席したアベ君、沖縄県の翁長知事と目を合わさなかったそうです。まことに情けない限りであります。ひとの目をちゃんと見ることができないような恥ずかしいことをするなよ!そんなことなら、はじめからアホなこと止めとけよ!恥ずかしくないのか、だからあんたはいつまでたっても幼稚なガキンチョなんや!そんなことならさっさと首相の座を降りろよ!などとGGIは言いたくなります。

オキナワといえば、GGIは普天間基地の中に若干の土地を所有しております。いわゆる一坪地主ということになっております。と申しましても、これは以前にも日記に書いたのですが、一坪と申しましてもその実態はせいぜいお尻を降ろすことができるぐらいの大きさ、すなわちハンカチ一枚程度の土地でございます。

別に反戦の意思に燃えて地主になったわけではありませぬ。ずいぶん以前、我がマザーが世話になっておりました教会の牧師さんに地主になるようたのまれたのです。この牧師さんは沖縄の牧師さんから本土で地主を集めてくれるよう頼まれたのでありました。

GGIはマザーが通っていた教会の牧師さんが地主募集のチラシを持っておいてになったときに申しました。「先生、こんな国家に弓を引くようなやっかいなもの、教会員のかたはおらく誰も地主なんかになりませんよ。ですからわがマザーと私が地主になることにいたしませう」

わがマザーの姉の夫は満州から沖縄に「転戦」して五人の子どもを残して戦死、遺骨はありませぬ、戦場の石ころが入れられた骨壺代わりのようなものを渡されただけだったそうです。ついでに申しますと、マザーの弟はビルマで戦病死、おなじく遺骨はありませぬ。戦友が持って帰ってきてくれたわずかな遺品のみであったそうです。

というわけで、GGIはたいしてオキナワと縁があったというわけではありませぬ。沖縄が返還されたのは1972年のことですが、沖縄の本土復帰を記念して1975年に沖縄海洋博が開催されました。

この海洋博のとき、沖縄出身の丸顔でケンカも強い好青年が、GGIよ、沖縄に行こう、海洋博を見に行こう、沖縄じゅう自動車で行きたいところに連れていってやると誘われましたので、ノーテンキGGIは、沖縄青年と同様に元気な青年二人といっしょに全くの観光気分で沖縄へと向かいました。

朝からアルコール類を口にしながら、一週間ほどアッチをブラブラ、こっちをブラブラ、沖縄本島の南端から北端まで無目的に彷徨いたしました。もちろん米軍基地もたっぷり見学いたしました。そして返還からまだ三年でありましたが、すでに沖縄には自衛隊の基地も存在しておりました・・・

この旅行のアホぶりについてはかつて別のブログに書いたと思うのですが、今日はそのアホぶりは省略して、オキナワに関連した強く記憶に残ったことを二、三、記しておくことにいたします。

かつての沖縄旅行記は以下のサイトに掲載しております。おひまなかもおひまでないかたも、よろしければご覧になってくださいませ

http://blog.goo.ne.jp/yossarian/d/20060709

那覇空港に着きますと先に帰郷していた沖縄青年が車で出迎えてくれました。上着を脱ぎ半袖のスポーツシャツに着替えて那覇市内へと向かったのですが、米軍基地の様子が目に入りはじめた瞬間、GGIはタイムスリップした気分にとらわれました、

えっ、これは何だ、どうなっているのだ、窓から見える景色は二十数年前、すなわち1950年ごろの湖都の景色とそっくりじゃないか・・・これは、まさにデジャヴュ(既視感)だ・・・

わが湖都、昭和20年代(1945~1955)には、当時「進駐軍」と称されていた占領軍であるところの米軍、その西日本を管轄する司令部が置かれていました。米軍はびわ湖を一望する比叡の麓一帯に広大な基地を設けておりました

フェンスの向こうは別世界でありました、青々として芝生が限りなく広がり、カーキ色の米軍の車両が行き交い、オール電化の将校用の住宅が比叡の麓に点在しておりました、

この湖都のかつての光景とまったくそっくりの光景が市街に広がっていたのです、これはいったどうなっているのだとGGIは驚愕の極み、ノーテンキ・フラフラ観光旅行のつもりでありましたのに、正直申しまして予想外の展開。返還後も米軍が居座っているため、オキナワは基地の島ということは承知はしていたのではありますが・・・

などと、昨日オキナワのことを思い出しながら、数日前に送られてきました一坪地主の会のニュースレターを眺めておりましたら、表紙に掲載されている写真を目にして、また沖縄旅行のことを思い出してしまいました。

今日の写真はこのニュースレターに載せられていた写真を借用したものです。元の写真もピンボケぎみであり鮮明でないのですが、よろしければクリックしてご覧ください

沖縄の公道を走行する米軍の装甲車を撮ったものです。「公道をわがもの顔で走行する米軍装甲車両に《海兵隊は撤退せよ》とアピール」いう説明が写真に付されています。

この写真を目にして、あの沖縄旅行の時も似たようなことがあったなあ、と思いだしました。

場所は定かありませんが、本島中部あたりの道路を朝の九時頃、沖縄青年の運転で走っていたときのことです。前方に道路を行進している米軍兵士の一団が目に入りました。小隊というのでせうか、数十人の兵士が隊列を組んで行進しています。先頭の兵士が旗を掲げ何やら歌をうたっているようです

沖縄青年にあれはなんだと尋ねましたら、「あいつら、おそらく海兵隊の連中や、夜間演習を終えて基地に帰るのやろ」との答。兵士の一向に近づいてきましたので、GGIが写真をとろうと後部座席からカメラをかまえましたら、沖縄青年が叫びました、「おい、GGI、やめとけ!あいつら気が荒いから何するかわからん・・・」

米軍が基地のなかだけではなく、公道にわがもの顔で姿を現すという光景は沖縄旅行をした四十数年前と何も変わっていないのだと、この写真を見てGGIは深く溜息をついたのでありました・・・

なもあみだぶ、なもあみだぶ、なもあみだぶ

グッドナイト・グッドラック!