UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

お昼寝してから詩を読んでみた・・・・・

2015-07-26 15:02:15 | 日記

真夏日がつづきます

昨日も朝から暑い一日でした

雑用週間の最終日でありましたので、雑用を済ますべく午前10時半に知人に電話をかけました、すると受話器の向こうから早起きの知人がもうしました

「こんなに早くからいったどうしたの、GGI、気がおかしくなったんじゃない!」

「そのような独断に満ちた偏見をおっしゃってはいけません、あのですね、カクカクシカジカの雑用をすませるために教えてください、あの件はどうなっているのですか」

「それは感心、カクカクシカジカはカクカクシカジカのように処理すればいいのです」

これで一軒落着、おそきフランチを澄ませてから知人の言葉どおりに処理しました、あとは雑用週間の締めとして夕方にやんごとなき小さな用事を二つすませればよし・・・・でも、夕方まではまだ時間があるなあ・・・

というわけで、わが庵の北側の部屋で床にござを敷いてすこしお昼寝をすることにしました、湖からの風がそよそよ、優雅にカーテンが揺れます、まことに快適です

小一時間ほどは眠ったのでせうか、目覚めて、風に揺れるカーテン、窓のむこうに広がる真夏の空、深緑の木々をぼんやり眺めておりましたら、なんとなくポエチックな気分になり、久しぶりに詩でもよんでみようかなあと思うに至りました

そこで、数十人の詩人の作品を一つずつとりあげて、その感想らしきものが記されている、石垣りんという詩人が著した「詩の中の風景」という本(1992、婦人の友社)を手に取り、パラパラパラとめくっておりました、そうしましたら、偶然、風変りな題の詩に出会いました、伊藤信吉という詩人が1976年に発表した作品です

 天下末年 ‐ 庶民考

茨城の海岸近い地域のどこかに
天下末年。と、
それだけ刻んだ
石碑がある。
新聞でそういう投書記事を読んだ

 末年と言うからには
私ごときの嘆きではない
文字は徳川幕府時代の古い刻みだという

 疫病。
飢餓。
酷税。
そのどれかは知らぬ。
そのすべての重層かも知れぬ。

どろどろの世相を怨み憎み身もだえした
その嘆きが
石に化して、今も
在る。
という。。

 いつの日か
私は石碑を訪ねる。
だが、
天下末年の字型は深い刻みで
すでに私の胸に
刻まれてある。

 徳川の末年。明治の末年、大正の末年。昭和の末年。
今の今の末年。
その古く事あたらしい末年が
幾重にも刻まれて私にある。

 底知れぬ疑獄を解こうとすれば阻む汚濁の手。
東北・北海道の農作凶作の秋。
天災を呼ぶ人災。
風潮の逆流。
木枯らし吹く巷に
私の思いも末年悲嘆に一基の石碑となる。

 この詩が作られたのは1976年とのことです、それから40年近くが経って今年は2015年、この40年という歳月のあいだにもこの詩人が記したような事柄がたくさんありました、詩人は、徳川の末年。明治の末年、大正の末年。昭和の末年と記しています、当然ながら平成末年ということになるのでありませうか・・・・

この詩を目にして、GGI、ちょっぴり眠気がさめました

今日の写真は暑中見舞いのつもりです、よろしければクリックしてご覧くださいませ

 グッドナイト・グッドラック!