いま、わが庵のサザンガーデンに赤紫色のムクゲ(木槿)の花がたくさん咲いています、いつも数輪咲くだけだけであり、こんなにたくさん咲いてのは初めて・・・このムクゲの近くに白い花が咲く夾竹桃があります、でもこの夾竹桃、白い花を咲かせるのはたまにであります、昨年は一杯咲いていたのですが、今年はまだ咲く気配がありませぬ
赤紫のムクゲも紅い夾竹桃もわるくはいのですが、やはり夏は白い花のほうが涼しげでいいなあ・・・それにしても白いムクゲ、今年は我が庵に咲かないのかなあと思っておりましたら、昨日遭遇いたしました
買い物を終えて湖岸の大通りのブラブラ帰ってきましたら、わが庵のノーザンガーデンの垣根、白いムクゲさんたちがあちこちに咲いておりました
GGIはあわてて「これはこれはタイヘン失礼いたしました、ちっとも気がつきませんした」とムクゲさんたちに申しました、そうしましたムクゲさん曰く
「あらGGIさん、平知盛さんは、「見るべきほどのことは見つ」と言って海中に身を投じたとお聞きしておりますけれども、あなたは見るべきほどのことはよそ見して何も見ていないのね、それでは近くにせっかく淡海があるのに身を投じるわけにもいきませんね」
ムクゲはお隣の韓国では「無窮花」(むぐんふぁ)と言うのだそうです、窮することのない花と言う意味でありませうか、なかなかいい名前であります、この花は韓国では国花とされています
わがマザーが亡くなりましたのは七月のはじめ、梅雨空の日でありましたが、そのときもわが旧八重葎には白いムクゲがたくさん咲いておりました、白い夾竹桃も咲いておりました、そこでGGIは、夏の白い花々を題材にした追悼のおセンチ溢れる詩なるものを作ったりいたしました、また、マザーの葬儀のあと、陶器作りも仕事にしている知人にマザーの骨壺を作ってくれるように頼みましたら、白いムクゲの花を一面に描いた素晴らしい骨壺を作ってくれたということもありました
かようなしだいで、白いムクゲの花はGGIには思い出深き花でもあります
「道のべの 木槿は馬に 食はれけり」(野ざらし紀行、松尾芭蕉)
まあ、しかしながら、わが庵のムクゲは馬ならぬ車がまき散らす排気ガスのさらされるのみでございます
「それがしも 其(そ)の日暮らしぞ 花木槿」(小林一茶)
まあ、GGIといたしましては一茶さんの句のほうが身に沁みまする
城左門という詩人の作品にムクゲの花を愛でた詩があります、長い詩ですので、、そのさわりだけ紹介いたします、むくげの別称は「はちす」ですので、ここでは「槿花」は「はちす」と読みます
槿花の葩(はな)が開く
懈怠に白く、哀愁く白く
槿花の葩が開くのだ
かう白々と侘びて、沈んで・・・
槿花よ、そなたは淋しくないか
槿花よ、涙がからんでおちる
白い槿花よ、青い槿花よ
仄黄い、さても恋しい槿花の葩よ・・・
槿花の葩が開くのだ
懈怠に白く、哀愁く白く
まあ、おセンチ好きのGGI向きのかなりおセンチの詩であるというのが偽らざる感想であります
今日の写真はわがガーデンに垣根に咲いたムクゲを撮ったものです、よろしければクリックしてご覧くださいませ
グッドナイト・グッドラック!