今週の月曜日、GGIが長年のあいだ愛読ではなく只々購読している朝日新聞の朝刊を開いてびっくりいたしました、GGIがこよなく敬愛してきた赤瀬川原平氏が10月26日に死去したとのニュースが載っていたからです、享年77歳、まだまだ生きていてほしかった期待の「老人」でありました
今夜の写真はこの記事をとったものです、よろしければクリックしてご覧くださいませ
赤瀬川氏のことはこのブログで何回か書いたことがあり、またこのブログの先輩にあたる、ヨッサリアンなる人物によるブログでも何回も記されています、彼は一般的には芸術家と言うべきなのかもしれませんが、彼の「芸術」なるものはこれまでの芸術の枠に収まらない極めてユニークで愉快なものでありました
朝日新聞の記事によれば、1960年代に型破りの前衛芸術家として大活躍、仲間と「ハイレッドセンター」なる集団を結成、彼の東京オリンピックの最中に銀座の歩道のタイルを一つ一つ雑巾がけをするなど大東京のお掃除を敢行したりして、昨今巷で流行る「おもてなし」な見本を演じる一方で、千円札を畳ぐらいの大きさに拡大模写した作品を展覧会に出品して偽札を作ったというまことにアホな訴訟に巻き込まれ、有罪判決(執行猶予)を受けたりしました。
そしてこの記事によれば、80年代には「超芸術トマソン」を発見(創出?)したり、「路上観察学会」を作ったり、小説家として芥川賞を受賞したり・・・
さらに90年代には三省堂の国語辞典を解剖した「新解さんの謎」を著して話題になったり、流行語ともなった「老人力」」を書いたらベストセラーになったり・・・
などと赤瀬川氏は八面六臂の大活躍でありました
この朝日の記事を読んでいて、GGIは70年代のことが書かれていないのに気づきました、それでGGIはピ~ンときて、70年代のことが書かれていない、これはとてもいけないことだなあ、朝日さん、よくないことだなあ、あの池上某氏の寄稿記事一時差し止め事件などとくらべものにならないくらいのあの大事件があったことを書かないなんて・・・赤瀬川氏の名作「櫻画報」が引き起した大スキャンダル、すなわち「朝日ジャーナル回収・一時休刊事件」とも言うべき事件のことに一言も触れないなんて・・・
この事件、要するに当時「朝日ジャーナル」(1959-1992)なる朝日新聞が発行していた週刊誌で赤瀬川氏が連載していた「櫻画報」の内容が、朝日新聞を思いっきり茶化したパロディーが、朝日の上層部を震撼とさせた事件です、あわてふためいた朝日新聞社はこのパロディが掲載されていた号(1971年3月19日号)を回収、編集長を更迭、大人事異動を強行、挙句の果て二週にわたり休刊としてしまった事件です、ところが赤瀬川氏死去を伝える朝日の記事はこの大事件にまったく触れていないのです
これはどうみてもフェアでありませぬ、大事なこと(都合の悪いこと)に触れていない記事は誤報ではないでありませう、しかし、見方によっては誤報なんかよりも、もっとタチが悪いというべきであります、問題とされた櫻画報の内容は、おおざっぱに申しますと以下のようなものでありました
櫻画報曰く、本誌は朝日ジャーナルを乗っ取った、その証拠に本紙は朝日ジャーナルの一番目立つ場所、すなわちグラビアのページに掲載されている、このことは朝日ジャーナル自体は本誌の包装紙に過ぎないことを意味している、したがって朝日ジャーナルの出版元である朝日新聞社は古新聞・古雑誌を回収する古紙回収業者に過ぎない、だから朝日新聞社ではなく朝日新聞紙社である・・
櫻画報いわく「アカイ、アカイ、アサヒ、アサヒ」(戦前の小学校の教科書)と言うではないか、だから朝日は赤くなければ朝日じゃない。ホワイト色の朝日なんて・・・せめて桜色に、ピンクに・・・
櫻画報曰く、スポーツカー「朝ジャ号」は右にも左にもハンドルを切ることができるようになっています・・・
当時、朝日新聞の上層部を震撼とさせた「櫻画報」の内容はこのようなものでありました、何も目くじらを立てたり慌てふためいたりするほどのものではありませぬ、
朝日のエライさんはただ笑い飛ばしてしまえばよかったのにとGGIは思うのですが、エライさんたち、考え過ぎて猛烈な自主規制をやってしまったのです、このような自主規制はマスコミにとっては命とりとも言うべきものであり、その意味で「櫻画報」騒動はこのたびの誤報騒ぎの比ではないというのがGGIの考えであります
恥をしのんで、この「朝日ジャーナル回収等事件」あるいは「櫻画報騒動」を赤瀬川氏死去を伝える記事のなかにちゃんと書いておけば、朝日新聞再生の明るい道が開けたのではないかと、GGIはまことに残念に思うしだいです
朝日新聞の記者さん、もしこのブログをお読みでしたら、どうかコメント欄にあなたのお気持ちを書いてくださいな
グッドナイト・グッドラック!