UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

時が流れ時代は移っても、刑務所と軍隊は・・

2014-10-19 02:18:47 | 日記

お手数ですが、今夜ははじめに写真をご覧くださいませ、

 何の変哲もない建物の写真です、一見したところ何に建物が見当がつきません。でも、国旗が掲揚されておりますのでお役所関係の建物であることがわかります、門柱に表示がありませんが、これはわが湖国の刑務所、すなわち滋賀刑務所の入り口であります

 GGIは四、五年ほど前にこの刑務所を見学したことがあるのですが、先日再び訪問いたしました

 この刑務所は刑期10年未満、26歳以上である初犯の男性受刑者だけを収容しています、参考に申しますと初犯の受刑者はお役所の用語では「犯罪傾向が進んでいない受刑者」と言われています

 刑務所内では、私たち普通の市民の目からしますと、受刑者たちは厳し過ぎるくらいに監視され管理されているように感じられます、しかし、この刑務所は初犯の受刑者だけでありますので、大阪刑務所のような再犯者のみを収容している刑務所ほどには厳しくありません。

 GGIは大阪刑務所も見学したことがあるのですが、大阪刑務所では行く先々で刑務官の大きな号令が響きわたり、刑務官たちは上司に出会うたびに敬礼をしていました、まったく軍隊のようでありましたが、日本の軍隊であるところの自衛隊よりも厳しいのではないかと思います

 滋賀刑務所でも刑務所内の工場に入るときは刑務官が工場内の担当刑務官に号令をかけるようなことをしておりましたが、それほどおどろおどろしいものではありませんでした、とは言え、この刑務所でもときおり「不祥事」が起きていたり、受刑者の家族から、刑務官によるいじめの訴えがあったりと、いろいろ人権上の問題は存在しているのです

 このたびの見学に参加したのは8人、刑務所内の工場、グランド、資料館(ここには江戸時代から明治時代にかけて使用されていた、頑丈な木の枠で作られた本物の牢獄が展示されていました)、講堂、雑居房などを見学した後、会議室で総務部長氏による説明と質疑応答が行われました、総務部長氏は自分で犯罪統計のデータをつくるなど、なかなかの勉強家のようであり、嫌がらずにどのような質問や意見にも答えておりました

 でも都合の悪い質問を見事にはぐらかすか、まったく答えないという術も心得ている優秀なるお役人でもありました、たとえば、GGIが行いましたある質問と、それに対する答は以下のような見事なものでありました

 「え~、私は四、五年前にもこの刑務所を見学したことがあります、そのときは刑務官数人が受刑者いじめのようなことをしたことが新聞沙汰になった直後のことでありました、この事件は結局は起訴猶予か処分保留かなにかで起訴されなかったようでしたので、当時の総務部長さんに今後この問題に関してどのように対処するのかとお聞きしました、そうしましたら、部長さんは「改革委員会を立ち上げる、私が委員長を務める」と答えておられました、それでお聞きしたいのですが、この改革委員会が設けられた後、刑務所内でどのような改革が行われたのでしょうか?その内容をお聞かせください」

「え~、私は昨年4月に当刑務所に着任いたしました、ですから着任以前のことは承知しておりません、以上です」

 まことに許し難き答でありました、が、お役人の鏡とも言うべき何ともあまりにも見事な無責任ぶりでありましたので、GGIはその見事さに口をあんぐり、これ以上追及する気力を喪失してしまいした

 でも総務部長氏はちょっぴりためになる話もしてくれました

 「え~、この刑務所の沿革を申し上げますと、ここは日本のなかでもなかなか歴史のある刑務所なのです、まず正保2年(1645年!)、徳川家光時代に当市内の某所に牢獄が設置され、次いで明治元年に地裁が設置されるとともに「囚獄」と改称され、明治11年には滋賀県監獄署と改称されました。明治11年に膳所城址に膳所監獄が作られ、ロシア皇太子が襲撃された大津事件の犯人、津田三蔵もここに収容されていました、大正11年に滋賀刑務所と改められ、昭和37年に当地に移転したのです、でうから当刑務所はなんと360年以上もの歴史を有しているのであります!」

 「え~、一般的に申し上げますと、かつて江戸時代に牢獄があった場所あるいは地域に現在でも刑務所が設けられている例が多いということができるのです」

 この話を聞きまして、GGIは「う~ん」とうなってしまいました、時が流れ時代が移っても、体制が変わっても、まるで伝統を引き継ぐかのように、同じ場所で連綿と人を閉じ込めている・・・・

 これは軍隊と同じだなあとGGIは感心してしまいました、帝国陸海軍の基地は、敗戦後にすべて米軍に引きつがれ、そのまま現在も米軍基地のままであるか、あるいは返還された後はわが国の実質的に軍隊であるところの自衛隊の基地になっている例が少なくありません、

 たとえば我が霊峰比叡の麓も、かつて帝国陸軍の基地でありましたが、敗戦後十数年間は米占領軍の基地、そして現在は陸上自衛隊の基地であります

 総務部長さんの話を聞きまして、そうかあ、国家における軍隊と刑務所の存在は絶対的なものであり、このような国家の構造は、すなわち日本という国家の「セキュリティ」の基本構造は、時が流れ時代が移り体制が変わっても引き継がれていくのだと、GGIは国家なるものの構造と本質について認識を新たにしたのであります

 グッドナイト・グッドラック!

コメント
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