416 木曽町日義(旧日義村) 撮影日 130514
簡素な見張り台
背面から見上げる。
■ ユニークな姿・形の火の見櫓です。木曽町日義(旧日義村)で見かけました。こんなのがあるんですから、火の見櫓巡りは止められません。
簡素な構成がいいです。見張り台から上の2本の添え柱が無ければ最高!なんですが・・・。
416 木曽町日義(旧日義村) 撮影日 130514
簡素な見張り台
背面から見上げる。
■ ユニークな姿・形の火の見櫓です。木曽町日義(旧日義村)で見かけました。こんなのがあるんですから、火の見櫓巡りは止められません。
簡素な構成がいいです。見張り台から上の2本の添え柱が無ければ最高!なんですが・・・。
43 義弟のK君
久しぶりに名刺を渡す機会があった。
昨日義弟の家族が遊びに来た。今春Rちゃんは高校生に、Kちゃんは中学生になった。三脚を使ってK君が撮ったみんなの写真を送って欲しいと、Eメールアドレスを記してあるプライベートな名刺を渡した。
■ 『身体知 カラダをちゃんと使うと幸せがやってくる』 内田樹 三砂ちづる/講談社+α文庫 なんとなく興味があってネット注文で入手した。
ざっと読んで、なるほどと思ったところを以下に記す。
今日読んだこの本(内田樹さんと三砂ちづるさんの対談を収録した本)にこんなくだりがあった。内田さんの発言。**デートというのも基本的に「いっしょにごはんを食べに行くこと」ですよね。どうしていっしょにごはんを食べるかって言えば、ごはんを食べている時に、美味しいかどうかで、その人といて楽しいか楽しくないかがわかるからですよ。**(47頁)
この指摘には素直に頷くことができる。
次は三砂さんの発言。**コミュニケーション能力が持てない、相手のことをきちんと信頼できない、というのはどこから来ているのでしょうか。(中略) いちばん最初の母子経験はとても大切なものではないか、と考えています。(中略)言語化される以前の受容の感覚、自分の思いが相手に伝わっている、という安心感が必要なのだと思います。**(167頁)
内田さんがこの発言を受けて次のように発言している。**本当に大事なのは、他者が発する「ノイズ」を「声」に変換して聴き取るという、強引な力業なんだと思うんですよ。**(170頁)
**母子関係において子どもが最初に発するのは言語ではないです。ノイズです。ノイズをお母さんは声として聴き取っているわけですよ。幼児のコミュニケーション体験というのは、意味をなさないノイズを発しても、それを声として聴き取ってくれた人が「いる」という原事実にあると思うんです。それがコミュニケーションに対する根本的な信頼をかたちづくる。ぼくはそう思うんです。**(170頁)
至極当然、この指摘にも素直に頷くことができる。
発言の全てに共感できたわけではないが、今年は何でも読んでやろうと思っているから、よしとしておく。
■ 昨年(2012年)は『古事記』撰上から1300年にあたる節目の年で、書店には「古事記本」が並んだ。『古事記』は教科書でその名を目にするだけで全く縁のないものと思っていたが、上巻の神話の世界を覗いてみておもしろいと思った。小学生の時に読んだ海幸彦・山幸彦や稲羽(因幡)の素兎(しろうさぎ)などの物語との再会だった。
『古事記の宇宙 ―神と自然』千田 稔/中公新書を読み終えた。著者は『古事記』の神話には日本人の自然の捉え方、自然観が反映しているという考えに基づき、『古事記』から日本人の自然観を読み解くという試みをしている。
以下、読後の備忘録。
第3章 海―神々の原郷 **海のかなたに神がいるとする信仰は、海のはるかかなたに対する憧憬であって、(中略)日本文化の成立には常に海洋民的な動機があったとみてよい。**(68頁)
この章に出てくるイザナギ・イザナミの二神による国生み神話は混沌とした海を矛でかき混ぜ、その矛を引き上げる時に落ちたしずくが島になったという何とも壮大な物語だが、やはり小学生の時に読んだ記憶がある。
海幸彦と山幸彦の物語では兄の海幸彦から借りた釣り針を失くして困り果てた弟の山幸彦を海の神様の娘が助けてくれる。やがて山幸彦は神様の娘(トヨタマヒメ、豊玉毘売)と結婚する。ちなみに神武天皇はこのふたり、もといこの二神の孫にあたる。
著者はこの物語と浦島太郎の物語との類似性を指摘している。日本人の海に対する親和性、憧憬を示した物語というような視点で浦島太郎を読んではいなかったが、このような指摘を読むと、なるほど!確かにと思う。
海での出来事が次々と新しい神を誕生させる・・・。海は産むものというシンボル性を持つという著者の指摘。海(うみ)と産む(うむ)は音が似ている。もしかしたら同じ語源なのかもしれない。
海で誕生した生命 はるか彼方のできごとを人類は神話という形式で語り継いできているのだろう・・・。
以下本書は
第4章 山―神と精気
第5章 植物―王権と精霊
第6章 鳥―天と地を結ぶ
第7章 身体―内なる自然
終章 言霊としての『古事記』
と続く。
第6章の鳥について読んでみたいと思って買い求めたが、他の章も興味深く読んだ。
なにかを読み解く時には視点を明確に設定することがポイントだと改めて思った。
■ 色鉛筆で芯の色と軸の色が違うということはないでしょう。芯が赤なら軸も赤というように必ず(と言い切っていいかどうか分かりませんが)同色です。ではボールペンはどうでしょうか。赤インクのボールペンなら軸も赤、黒なら黒だと思いきや、そうではないものもあるんですね。黒インクのボールペンの軸の色が青だったり、写真のように黄色だったり。これは混乱します、困ります。
2色や3色を1本の軸におさめたボールペンもありますが、例えば赤と黒の2色のボールペンの軸の色が赤や黒だったらこれも混乱します。青でも緑でも困ります。この場合、軸は透明か白でないと。
最近ではインクの色の種類も増えてオレンジやピンク、緑、黄色などのボールペンもありますから、色鉛筆のように軸とインクの色は同じでないと間違えます、困ります。
ものの色や形には意味があること、そしてその意味(情報)を発しているということを前提に考えて欲しいです。デザインというのはそういうものだと、私は考えています。
それからインクの残量が分からないのも不便です。軸の大半が透明で、インクの色と同色の部分が少しだけある。これがボールペンのデザインの基本でしょう。
撮影日 20120504
■ 昨年の5月4日に長野に出かけた際、並び立つ道祖神と庚申塔を見かけていた。縄を巻いてあるのは、しめ縄がしてあったから? だとしたら片づけるときなぜこの縄だけ残したのだろう・・・。それともこのように塔身に縄を巻くことに何か意味があるのだろうか・・・。
庚申塔の裏も写真を撮っていた。改めて見ると大正九年十月庚申日と彫り込んである。この年の干支(十干十二支)は庚申。庚申の年の庚申の日(十月二十九日)に建てるという念の入れようだ。
ところで道祖神は猿田彦神を祀っているという説がある。過去ログ そして庚申塔についても仏教的な庚申信仰では青面金剛を本尊とするが神道の猿田彦とも結びついているそうだ。
並び立つ道祖神も庚申塔も姿は違えど中身は一緒という解釈も成り立つということか・・・。
**青・黄・赤・白・黒が基本となる五色だが、青・黒の代わりに樺・紫・緑などを含める場合など差異がある。** 仏教の五色についてウィキぺディアから引用した。
撮影日130505
朝日村の光輪寺薬師尊祭典(地元ではお薬師様のお祭りと呼ばれ、5月4、5日に行われる)の吹き流しの色は青・黄・赤・白と黒に替わる樺の5色。 これはウィキペディアの説明通り。
*****
■ 村上春樹の最新作『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の主人公・多崎つくるは仲良し高校生5人組のひとりだった。
多崎以外の4人には名前に色が含まれているという共通点がある。2人の男子の姓は赤松と青海、2人の女子は白根と黒埜(くろの)だ。作中、4人はアカ、アオ、シロ、クロと呼ばれている。
この4色は陰陽五行説や仏教のシンボルカラーと符合していて、無色の多崎の色は黄色だとする細野透氏(ジャーナリスト)の説をネットで読んだ。
さらに細野氏は多崎つくるの恋人の沙羅という名前は沙羅双樹から採った、としている。釈迦が入滅したとき周りにあったという樹の名前だ。
なるほど、おもしろい説だなと思った。
また、「多崎」は東日本大震災の被災地・東北のリアス式海岸のことを指していて、色彩のないというのは、震災後の荒涼とした光景を表現したものという説もネットで読んだ。田崎ではなくて多崎というところがミソというわけだ。多崎はたさきではなく、たざき。
村上春樹の作品は暗喩が多用されていて、いろんな解釈ができるのも特徴。
多崎つくるは駅舎に興味を持つ鉄ちゃんで、大卒後東京で駅を設計する仕事に就く。ものがたり後半の巡礼の旅ではクロをフィンランド(ノルウェーではない)に訪ねる。多崎つくるはフィンランドでは鉄道ではなく、レンタカーで移動しているが、このことについて、彼は鉄道マニアではない、などという突っ込み記事もネットにあった。鉄道マニアなら鉄道を利用するはずだという指摘。なるほど、駅鉄だろうが撮り鉄だろうが乗り鉄が基本でしょ、というわけか・・・。
さて、「登場人物の名前の色は何から」について、私の珍説を披露したい。
庄司薫という作家に薫くんシリーズの4部作がある。『赤頭巾ちゃん 気をつけて』は下の写真で分かるように芥川賞を受賞した作品。4部作のタイトルには赤、青、白、黒が含まれている。村上春樹はこの4部作の色を最新作にとり入れたのだ。これホント!?
まあ、こんな根拠のない珍説をでっちあげるのもいいでしょう・・・。
評論家の川田宇一郎氏は「由美ちゃんとユミヨシさん 庄司薫と村上春樹の『小さき母』」という評論を書いている。氏はこの評論でデビューし、群像新人文学賞評論部門優秀賞を受賞している。
由美ちゃんは4部作の主人公・薫くんのガールフレンドの名前。ユミヨシさんについては春樹ファン、ハルキストには説明不要でしょう。
『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』という長いタイトルの一部「巡礼の年」はリストのピアノ独奏曲集からとられているが、この名曲を庄司薫の奥さんのピアニスト・中村紘子も弾いていて、音楽好きの村上春樹は聴いているのでは・・・。
*****
村上春樹のお祖父さんは京都の寺の住職だそうだから、仏教の五色から引用したという先の説が当たっているのかも。
春のフォトアルバム 松本市美術館にて 撮影日130504
学問は対象の分類に始まる。で、植物の系統的な分類はすごい、徹底している。
植物界
被子植物門
双子葉植物綱
フトモモ目
ジンチョウゲ科
ミツマタ属
ミツマタ
名前は枝が必ず3つに別れて成長することに由来する。
花ことば 意外な思い
柳宗悦展(会期は6月9日まで)開催中の松本市美術館の前面道路沿いに咲いていた。あたたかみのある白と黄色の組み合わせが絶妙、美しい。
■ 庚申塔@朝日村西洗馬 大正九年十二月吉日 中村中
昭和55年(1980年)の庚申の年に朝日村で祀られた庚申塔は13基。そのうちの数基を見ているが、その60年前、大正9年(1920年)の庚申の年に祀られた庚申塔を初めて見た。
勢いのある字が彫り込まれている。隣には昭和55年に祀られた庚申塔(青面金剛像)がある。大正9年に祀られた庚申塔が朝日村には25基くらいあるのではないかと推察する。
機会ある毎に探してみたい。
■ 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』 村上春樹/文藝春秋を読み終えた。
『風の歌を聴け』
『1973年のピンボール』
『羊をめぐる冒険』
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』
『ノルウェイの森』
『ダンス・ダンス・ダンス』
『国境の南、太陽の西』
『ねじまき鳥クロニクル』
『スプートニクの恋人』
『海辺のカフカ』
『アフターダーク』
上に挙げた村上春樹の長編小説を一通り読んだのは2007年のことだった。その後刊行された『1Q84』は大ベストセラーになったが、なぜか読んでみようという気持ちにはならず、まだ読んではいない。既に文庫化されているから、今年中には読もう。
さて、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』だが、この小説には新宿駅の9・10番ホームとそこから出発する松本行きの最終の特急列車あずさが重要な意味を持って出てくるらしいことを知り、読んでみたいと思った。新宿駅21時発の最終のあずさはぼくもよく利用する。
タイトルを初めて目にしたときは何だか変わったタイトルだなと思ったが、読み終えてこの長編小説の内容を的確に表したものだということが分かった。そう、これは本来人が持つべき「色彩」を持たない、あるは失った多崎つくる(つくるは漢字では作)が「色彩」を獲得するための巡礼の旅ものがたりなのだ。
「色彩」を自己の帰属する共同体と捉えれば、この小説は3.11を意識して書かれたともとれるだろう。 失われた共同体の総括と新たな共同体構築の試みがテーマだと。
いままでの村上春樹の作品がそうであるように、この小説も暗喩的に「何か」が描かれていると、深読みもできそうだ。
*****
後日、追記したい。
■ 『人情裏長屋』 山本周五郎/新潮文庫
いままで山本周五郎の作品には全く縁がなかった。先日カフェバロのYさんに山周もいいですよと言われて推薦本を書店で探したがなかった。で、この本を読んでみたという次第。
推敲を繰り返した結果なのか、作家としての才能なのか、文章に冗長なところがなく、ものがたりは歯切れよく進む。
この本には11編の短編が収録されているが、ユーモアがあっておもしろいと思ったのは「ゆうれい貸屋」。「泥棒と若殿」もいい。ともに落語のようなタイトルだ。
「ゆうれい貸屋」 裏店暮らしの怠け者のところに現れた女のゆうれい。「あたしをかみさんにしてくれるウ」なんて言われて一緒に暮らし始める。**「いいじゃないのゆうれいだって、昼間はだめだけれど、夜だけなら煮炊きだって洗濯だって出来るし、そのほかにも世間のかみさんのすることなら、たいていなことはしてあげるわよ」**(272頁)
ふたり(?)はゆうれいを貸すなどという珍妙な商売を始めるが・・・。
「泥棒と若殿」 若殿が監禁されているボロ屋敷に忍び込んだ泥棒がそのまま屋敷に住みつき、共同生活をする話。泥棒と若殿、身分の違うふたりの友情ものがたり。
藤沢周平や最近読み始めた葉室麟の作品と比べると、どこか乾いた印象で、作中の人物に感情移入がなかなかできなかった。俯瞰的というか第三者的な覚めた読み方になった。表題作「人情裏長屋」を葉室麟が書いたら、それこそ涙、涙のものがたりになっただろう。
更に別の作品も読んでみたい。「山周評」はそれから。
さて、GW後半。久しぶりの村上春樹。 過去ログ ←
読了後に何か書こう。
花の4月から緑の5月へ
4月の読了本 4冊。
『今ひとたびの』 高見順/角川文庫
昭和21年の作品。高見順の作品を読むのは初めて。**私の慕情もついに酬いられる日が来た。ああ、この日を私は、何年待ったことだったか。この喜びに恵まれるためには私はどんなに苦しい年月を忍ばねばならなかったか。**(121頁) だが、意外な結末・・・、この恋愛小説のラストは悲しすぎる。
『螢草』 葉室麟/双葉社
この作家の小説は心にジーンとくる。読了後は生き方について考えさせられる。とても印象的な女性が出てくるのも共通しているようだ。これからも読み続けたい作家。主人公菜々はやはり石川佳純ちゃん。
『東海・東南海・南海 巨大連動地震』 高嶋哲夫/集英社新書
南海トラフ巨大地震の想定被害が内閣府から明らかにされた。この地震による経済損失は100兆円を超えるといわれる。200~300兆円という試算もある。
福島第一原発の事故では「想定外」という言葉が頻出した。リアルなイメージの欠如が招いた事故。
作家のイマジネーションが描く各県の「その時」。でも新書ではページ数が足りない。やはり長編小説にしたてて欲しかった。その時のリアルなイメージを共有することが減災、防災の出発点だと私は思う。
『くさる家に住む。』つなが~るズ/六耀社
10の家と暮らし。友人の家がそのうちのひとつ。その友人からメールでこの本のことを知らせてもらったので読んでみた。書名の「くさる」には熟成、朽ちる、鏈る(くさる)という3つの意味があるとのことだが、やはり腐るということばがまず浮かぶ。この書名が内容に相応しいかどうか疑問。
「緩やかに町とつながる大森ロッヂ」 5棟の長屋と1棟の戸建貸家からなる木造住宅のリノベーションと昭和な暮らしに惹かれた。
巻末に載っている著者のプロフィールをみると、つなが~るズは4人の女性でそのうちの3人は一級建築士、1人は建築関係の記事を書いているライター。文章中の建築技術に関することばも正確に使われている。プロの写真家の撮ったカラー写真には生活感があふれている。
GWの後半で村上春樹の最新作『色彩を持たない多崎つくると、 彼の巡礼の年』を読みたいと思っているが、時間がとれるかどうか・・・。
■ 同じことを繰り返すのは歳をとった証拠。ハイ、確かに歳をとりました。で、またも庚申塔のことです。
干支には60通りの組み合わせがあります。ですから、庚申(こうしん、かのえさる)の年も60年に1度巡ってくるわけで(って何回同じことを書くんだといつも閲覧していただいている皆さんに言われてしまいそうですが・・・)。
もっとも近い庚申の年は昭和55年、1980年でした。この年、長野県の朝日村では13基の庚申碑が建てられたそうです。先日朝日村内の説明板を読んでこのことを知りました。
上の庚申碑はその内の1基です。原新田という地区の皆さんが建てた碑です。
下の庚申碑も同じところに祀られています。どことなくほのぼのとした雰囲気ですが、それは文字や石の形に因るのでしょうか。古い碑です。裏面に安政七年と建立年が彫り込んであります。安政七年を調べると1860年で、1980年の120年前ですからやはり庚申の年にあたります。なお、この年は3月に元号が安政から万延に変わっています。大江健三郎に『万延元年のフットボール』という小説がありますから、この年が1860年だということは記憶しています。
朝日村には74基の庚申碑が祀られているそうです。この数は人口に比して多い、ということも説明板に記されていました。
さてこの先、庚申の年は2040年、27年後です。この年にも庚申碑が何基が建てられるでしょう・・・。