透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

家とは何か?

2019-10-22 | A あれこれ



 『建築ジャーナル』という一般の人にはなじみがないであろう雑誌の10月号に「新しい家観」という特集が組まれている。

以下に特集記事のリード文を引く。**今、若い世代の家に対する意識が変わりつつある。タワマン好きな団塊ジュニアに比べてもっと若い世代は所有や財産という価値観に対して冷淡で柔軟だ。一見建築家の設計する家とは相反し、無関係のようにも見える、アドレスホッパーやシェア、職住一致の小商いなどの新しい「家観」は、都市開発が見失っているものへの警鐘とも取れるのではないか。(後略)**

この記事で「アドレスホッパー」なる言葉をはじめて目にした。あえて家を持たず、宿を転々とする暮らし と言った意味のようだ。私のような古い人間はここで橋幸夫のデビュー曲・潮来笠が浮かぶ。 ♪ 薄情そうな渡り鳥 風が吹くまま西東・・・。寅さんがアドレスホッパーな生活者ということになるだろうか。でも寅さんには帰ることができる家が柴又にある。

特集の対談でアドレスホッパーな生活をしている方が語っている。**平日は渋谷付近にいて休日は離れたところの宿を借りてという感じで、1カ月の家賃を分散させて自分に最適な形をオンデマンドで組み立てる生活スタイルをやってみたんです。**

いや~、私には考えられないライフスタイルだ。これだと根無し草の寂しさを味わうことになるのでは。根無し草の寂しさ、これは突き詰めれば人とのリアルなつながりを欲するかどうか、という問題なのかもしれない。このことについてはFacebookなどの世界で人とつながっていればいいという考え方というか、捉え方もあるのかもしれない。このようなつながりで可とするなら、アドレスホッパーな生活もあり得るのかな。でも家族は?行政などのとつながりは?


十和田市現代美術館


「家」とは一体何だろう・・・。

十和田市現代美術館が好例だが、「家」の機能をひとつにまとめないで分散配置してもよい。更にこの考え方を進めると、街中に寝室、台所・食堂、リビング、書斎などを分散配置するという考え方も出来るし、実践も可能だ。しかもこれらは自分の持ち物でなくてもよい。書斎は街中の図書館やカフェ、台所・食堂は街中の定食屋、というように。また寝室は何もひとつでなくてもよいわけだから、ある期間はA町のシェアハウス、時にはB市のカプセルホテル といった「家」も成立する。学生時代はこれに近い生活ぶりだったことを思い出す。

必要な時に必要な部屋をアセンブル(空間的に一カ所にまとめるということではないが)しながら暮らすなどというライフスタイルもあり得るのかもしれない。このように考えるとアドレスホッパーな生活が少し自分に近づいてくるような気がしないでもない。


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