透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

ブックレビュー 1504

2015-05-03 | A ブックレビュー

  

 「きょうようときょういくがあること」 

『頭の体操』という本が昔ベストセラーになったが、この本の著者、多湖 輝(たごあきら)氏のこの言葉については以前にも書いたが、老いてからというか退職してから大切なことはきょうようときょういくだという。多湖氏本人の弁をラジオ深夜便で聞いた。

きょうようは教養ではなく、今日用、つまり今日用事があることで、きょういくは教育ではなく、今日行く、つまり今日行くところがあるということだ。このふたつがないと退職後の人生がつまらないということを説いたものだ。

私はまだ、仕事をしているし、休日でも今日は用事がないな~、今日は行くところがないな~、ということは今のところ全くない。今日は朝から親戚に用事があるし、その後、建築展と写真展@松美に行くことにもしている。それからできれば豊科の神社にも脚を伸ばしたいと思っている。

時々カフェトークする友人もいる。昨日(2日)はKさんがカフェトークの誘いに応じてくれた。  先方は「仕方がない。老人福祉のボランティアだ」と思っているのかもしれないが・・・。

退職してから、毎日することもなく、行くところもなく、ただなんとなくテレビを見続けるといった日々を過ごしたくはない。不幸にして車の運転ができなくなるとか、歩行困難になってしまったとしても「本」がある。 そう、私には「本」がある。

このところ読書量が減っているが、他の用があるのだから、良しとしなくては。

まえがきが長くなった。

4月の読了本は3冊。

『木精』北 杜夫/新潮文庫 初読が1981年9月で今回が6回目。

人妻との不倫関係を清算するためにドイツに留学した青年医師が、帰国する直前トーマス・マンゆかりの地を辿る旅に出る。旅の終りに作家として生きることを自覚して『幽霊』を書き出す・・・。

不倫関係の清算などと書いてしまうと、なにやら俗っぽい小説のようだが、たまたま恋した女性が既婚者だったということだ。それはあたかも初恋物語のように初々しい。
 
**ぼくは椅子にかけた女に近づき、その腕を調べようとして、なにげなくその顔立ちを見た。すると、幼いころから思春期を通じて、ぼくが訳もなく惹きつけられていった幾人かの少女や少年の記憶が、たちまちのうちに、幻想のごとく立ちのぼってきた。あの切り抜いた少女歌劇の少女の顔にしても、たしか片側は愉しげで、もう一方の片側は、生真面目な、憂鬱そうな顔をしてはいなかったか。その女性―まだ少女っぽさが残っている彼女の顔は、あの写真の片面同様、沈んで、気がふさいで、もの悲しげだった。**

蕁麻疹の治療のために往診して初めて会った女性の最初の印象はこうだ。若かりし頃僕が惹かれていた女性に通じる。

**君を愛したということは、或いはぼくの人生が表面的な不幸の形で終るにせよ、なおかつ幸福であったといえることにつながるのだ。倫子、ではさようなら。ぼくは自分のもっと古い過去の時代に戻っていかねばならない。それを書き造形することがぼくの孤独な凍えた宿命なのだから。**

物語の終盤でこの恋を主人公はこのように総括する。そして『幽霊』を書き出す(以上、2006年10月3日の記事より引用した)。

『江戸東京の路地 身体感覚で探る場の魅力』岡本哲志/学芸出版社 再読。

ブラタモリ的に路地を歩けばおもしろい。その路地の魅力に気がつくことができれば・・・。

『へそのない本』北 杜夫/新潮文庫 再読。

書店に並ぶ北 杜夫の文庫本はすっかり減ってしまった。この文庫も今では古書店でしか入手できないだろう。

エッセイや短篇小説が収録されているが、「百蛾譜」という作品が好きだ。この作品は北 杜夫を特集した古い雑誌でも読んだ記憶がある。

急性の腎臓炎を病み床に伏した少年の孤独な、寂しい心情を綴っている。幽霊や木精にも通じる内省的な、心の旅。


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