■ 『官僚たちの夏』城山三郎/新潮文庫の前に『街場のメディア論』内田樹/光文社新書を読了。
名前の「樹」が読めない。読めないから覚えることができない。「樹」は「たつる」。誰でも読める漢字の名前だったら、著者の論考はもっともっと多くの人に読まれるのではないか。 今でもよく読まれているが。
**フランス語の授業を担当していたときには、「フランス語を一科目落としたくらいで卒業させないとはどういうわけだ」(中略)「フランス語くらいのことで、ひとりの人間の一生を台無しにする気か」と言われました。**(66頁)
このように怒鳴り込んできた親に対して、いったいどう答えるか。その理路は・・・。
**大学がきびしい卒業判定を行うのは、それによって学士号の質保証を行い、卒業証書の持つ価値を高く保つためです。「大卒」の相対的なプレスティージを学士たちが享受できるようにきびしい卒業判定をしているのです。** とまあ、こんなふうに説明されれば、納得なのだが、**「フランス語くらい、落としてもいいじゃないか、卒業させろ」と私に言ってきた親は、卒業証書が所持者の知的な質を保証することは「当然の権利」として要求しておきながら、それゆえになかなか簡単には卒業させてくれないことについては、これを「被害」事実として語ろうとする。その矛盾にご自身は気づいていない。**(69頁)と更に続ける。
で、私はなるほど! となる。
帯に**メディアの不調は日本人の知性の不調と同期している**とあるが、これに対するなるほど!な理路とは・・・。
なるほど!に付箋を貼りながら読み進んだ。読了した時は付箋がたくさん付いていた。
■ 登録有形文化財の火の見櫓が高山市にあることを知った。 これはもう行くしかない。
▲ 街中の案内板にも目指す火の見櫓が紹介されていた。
▲ 山桜神社は通りの建物と建物の間に遠慮がちに佇んでいた。左後方に火の見櫓の屋根がちらっと見えているが・・・。
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▲ 通りからは火の見櫓がよく見える。これが江戸の名残りを残す木造の火の見櫓。でもなぜ神社に火の見櫓? 馬頭組って?
ということだそうだ。 101011
■ 高山市 2基目はこの火の見櫓。記念すべき1基目とはそれ程離れてはいない。
見張り台の大きさに比して屋根が小さい。少し堅い印象の立ち姿だ。女性に見立てるのは無理だろう。半鐘が冷遇されているのではないか、などとどうでもいいことが気になる。
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■ ついにと言うべきか、とうとうと言うべきか・・・、火の見櫓巡りが他県にまで及び出した。今日、飛騨高山へ出かけた。
実は長野市の北、上高井郡高山村に行こうか岐阜県の高山市に行こうか決めかねていた。
高山村で、里山の緑を背景にして火の見櫓の遠景を撮るなら順光になる午後(私の脳内にある地図ではそうなる)の方が好ましいだろうと判断、早朝出かけるなら高山市、と決めた。
高山市街まではここから約90キロ、車で2時間だ。朝6時過ぎに出発。梓川に沿って山間を伸びている国道158号線を行く。途中の安房トンネルは現在無料。その先の平湯トンネルを抜けるとしばらく下り坂が続く。そして・・・。
あった! 国道沿いに火の見櫓を見つけた。県外で初めて観察したのがこれ、高山市丹生川町(旧丹生川村)の火の見櫓。
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