■『間宮林蔵・探検家一代 海峡発見と北方民族』高橋大輔/中公新書クラレ
江戸後期にはまだ、大陸と陸続きの半島なのか島なのかはっきりしていなかった樺太、サハリン。間宮林蔵はそこが島であることを確認し、海峡に名前を残した。そのくらいしか知らなかった・・・。
厳寒の地への二度の探検はどのようなものだったのか、どんな生涯を送った人だったのか。
著者の高橋さんもまた、間宮林蔵探検の地に二度の探検を試みている。そして間宮林蔵の探検が成功した理由を見出す。それは**言葉も文化も異なる人々が彼の力になってやろうと思うほど、彼は異国の社会に馴染んだ。**ということだった。
生涯独身を通したといわれる間宮林蔵だが北海道に末裔がいるという。間宮林蔵はアイヌ女性と結婚していたというのだ。第六章「血族」にそのことが出てくる。
シーボルトが日本から持ち出したという間宮林蔵直筆の地図がカラーで紹介されていて興味深い。樺太の北半分やアムール川(黒龍江)はあまり形が正確ではないが、間宮林蔵の探検が困難を極めたことがそこに表れているように思う。
吉村昭が小説を書いていた。絶版になっていないといいのだが・・・。