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古い曲が気になる

マイルス・デイビスとジミ・ヘンは、いっしょにレコーディングしょうとしていた

2009-07-19 | 日記・エッセイ・コラム

727 夜明けの東西線江戸川鉄橋

729  早朝の境川

トム・ワトソン、がんばってほしい。全英オープン・ゴルフをテレビでみて、そのまま散歩にでた。早朝だというのに、川風は、もう、なま暖かい。汗でポロシャツがずぶ濡れだ。きょうも暑くなる。

午前4時だというのに、ウォーキングの年配の女性たちが何組もいる。北海道の山にいくより、ここらを歩くのが、安全で、金もかからない。

悲惨なことに、トムラウシ、美瑛岳で10人も亡くなった。だいたい、あすこら北海道の大雪山系に、夏はない。本州の山なら、三千メートルをこえる気候だ。雨がふり、ガスがでて、風が吹けば、氷点下にもなる。真夏でも、雪がふり、ひょうがふる。本州の山のように、営業山小屋や避難小屋はない。

荒々しい自然、凶暴なヒグマ。気力、体力、知力、決断力がないと命を落とす。それが北海道の山の魅力でもある。それなり覚悟がいる。ハイキング気分じゃ、人に迷惑をかけるだけだ。まして、金儲けのビジネスとは相容れないのじゃないか? 帰りの飛行機の時間に合わせて、大雪山系の縦走などできない。真夏でも。

いままで、事故なく、あんな無謀な日程のツアーをやってこれたのが、逆に奇跡のようなものだ。

           

 

Milesdavis  若いときのマイルス・デイビス

      

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マイルス・デイビス、1972年のアルバム「オン・ザ・コーナー」。LPジャケットのイラストがあらわすように、マイルス・デイビスは、黒人若者が踊る、ファンク・ミュージックをめざした。このアルバム録音のまえに、マイルス・デイビスは、ジミ・ヘンにも、スライ・ストーンにも会っている。

ジミ・ヘンとスライの音楽をマイルスに教えたのは、モデルで、シンガー・ソングライターの黒人女性、ベティ・メイブリーだった。

1966年にマイルスは、ベティ・メイプリーに出会う。ベティは、音楽だけじゃなく、ファッションでもマイルスに大きな影響をあたえた。スーツにネクタイというスタイルをやめて、アフロ風のシャツや革のジャケットを着て、派手なサングラスをかけた。

マイルスのアルバム「キリマンジャロの娘」の」ジャケットにある美女が、ベティ・メイブリーだ。

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ジミ・ヘンのマネージャーからマイルスに電話がある。ジミ・ヘンにマイルスの演奏法と音楽の作り方を教えてやってくれないか、という。こうして、ふたりは出会い、仲良くなる。ジミ・ヘンは、マイルスの家によくやってくるようになった。

マイルス・デイビスは、23才の美女、ベティに惚れ、1968年、正式に結婚する。マイルス、42才だ。しかし、ベティは、マイルスの妻になっても、ジミ・ヘンと仲よくなる。それもあって、ふたりの結婚は一年とはつづかなかった。ジミ・ヘンだけじゃなく、ベティは、ほかにも恋人たちがいた。そういう人なのだ。1969年、ふたりは離婚した。離婚したあとも、ベティー・デイビスを名のってレコード・デビューする。

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そんなことがあっても、マイルスとジミ・ヘンは、ますます親しくなっていく。このへんが常人とちがう、帝王の帝王たるところなのか。マイルスは、「そんなことと、音楽は、べつだ」という。マイルスは、じぶんの子供のような年令の、ジミ・ヘンやスライに対して敬意をもって接する。

マイルスは、カルロス・サンタナともよくセッションをしていた。フィルモアで、マイルス・グループがサンタナの前座になっても、マイルス・デイビスは文句をいわなかった。サンタナのやっていることを理解できるし、好きだ、といってる。

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   マイルス・デイビスとサンタナとロベン・フォード http://www.youtube.com/watch?v=wtIJ017JpIE

マイルス・デイビスが、1968年に真剣になって聴いていたのは、ジェームス・ブラウン、ジミ・ヘンドリックス、スライ&ファミリー・ストーンだという。60年代の半ばでマイルスは、いわゆるジャズに対して興味を失ったようだ。

つねに、時代の先端の音楽を創造してきたマイルスにとって、フリー・ジャズにはしる流れを、ジャズの自滅とみていたようだ。聴衆に支持されない自己満足の音楽を嫌っていたのだろう。マイルスが尊敬するミュージシャンのひとりは、ルイ・アームストロングだ。

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マイルスは、アーチー・シェップ、アルバート・アイラー、セシル・テイラーたちのフリー・ジャズ、そして、ジョン・コルトレーンが、白人の音楽評論家によって意図的に持ちあげられているあいだに、ジャズは、大衆の支持を失ったとみている。

マイルス・デイビスがそれまで追求してきた、メロディアスで詩的なジャズを、白人評論家たちが意図的に否定するために、フリー・ジャズを持ちあげた、と。たしかに、日本でも、インパルスのフリー・ジャズものや、オーネット・コールマン、ドン・チェリーなどが評論家にはうけていた。ジャズ喫茶で、客は目をつぶって聴く時代だった。

ジャズは楽しむものではなく、勉強するものになってしまった。博物館のなかの化石になってしまったのだ。

アメリカでも、日本でも、世界中で、そうしているあいだに、ジャズのレコード売り上げはどんどん落ちていった。アメリカのジャズ・クラブは店を閉め、ジャズメンは、ヨーロッパに出稼ぎでたり、廃業して田舎に帰った。

それと同時に、白人のポップスが台頭する。黒人のリズム&ブルースやリトル・リチャードやチャック・ベリーや、モータウン・サウンドをコピーした白人のロックが、メディアの中心になり、爆発的に売れだしたのだ。ビートルズやホワイト・ブルースだ。

白人のロックは、オリジナルの黒人の数十倍、数百倍の売り上げになった。マイルスは、これをにがにがしく思っていたのだろう。これが1960年代半ばのマイルス・デイビスの情況ではなかっただろうか。

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60年代前半のジャズのなかにも、、キャノンボール・アダレー・グループの「マーシー・マーシー・マーシー」や、ハービー・ハンコックの「ウォーターメロン・マン」のようなファンキーな曲があった。これは白人むけのジャズとは明らかにちがっていた。ましてやフリー・ジャズとは反対の音楽だった。のれる、音楽だ。踊ることだってできる。これが、黒人の若者にうけていた。

マイルス・デイビスは、黒人の若者にうける音楽をやりたかった。白人には、じゅうぶん売れていた。マイルスは、黒人の若者が踊れる音楽をやりたかった。アコースティックなジャズにまったく固執してなかった。のれる曲、踊れる音楽、ファンキーな曲、大衆にうける音楽をやろうしていた。

そうして、エレクトリックで武装した。アコースティック・ピアノをやめて、エレクトリック・ピアノのフェンダーのローズをつかった。それは、「マーシー、マーシー、マーシー」で、ザヴィヌルが弾いていたのが気にいったからだ。トランペットにマイクをつけて、ワウワウをつけた。それは、ジミ・ヘンが、ギターでワウワウをつかっていたからだった。

パーカッションを強化した。サンタナのようなサウンドにしたかったのだ。ウッド・ベースもやめて、エレクトリック・ベースにした。派手、派手の衣装で、でかいサングラスでステージに立った。ジャズ評論家たちはこぞって、そんなマイルスをボロクソにけなした。マイルス・デイビスは、ひるまなかった。

コロンビア・レコード(CBS)は、エレクトリックに難色をしめした。マイルスは、モータウン・レコードに移籍すると、おどした。(ほんとうに、モータウン・レコードに移籍するとおもしろかったのに……。あるいは、アトランティック・レコードに)。

「マーシー、マーシー、マーシー」の作者、ジョー・ザヴィヌルをグループにさそった。また、「ウォーターメロン・マン」の作者、ハービー・ハンコックもマイルス・グループに参加した。

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マイルスのはなしが長くなった。このつづきは、あす……いずれ、また。

マイルスは、マイケル・ジャクソンが、アルバム「スリラー」で歌った Human Nature を演奏している。この曲の作曲は、TOTOのキーボード、スティーヴ・ポカロ。作詞は、ジョン・ベティス。

ジョン・ベティスは、カーペンターズのリチャードとカリフォルニア大学の友人で、リチャードと学生バンド、Spectum を結成していた。カレン・カーペンターが、ドラムとボーカルだ。

このジョン・ベティスが、カーペンターズのオリジナル・ソングの歌詞のほとんどを書いている。「イエスタデー・ワンス・モア」「青春の輝き」「トップ・オブ・ザ・ワールド」など。ほかにもホイトニー・ヒューストンの「ワン・モーメント・イン・タイム」など作詞作品は多数だ。

    マイルス・デイビス Human Nature http://www.youtube.com/watch?v=LGBPSx1Zxlo&feature=related

            

1962年、ハービー・ハンコックのファースト・アルバム「テイクン・オフ」から、「ウォーターメロン・マン」が大ヒットした。ハービー・ハンコック、弱冠21才だ。                 

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    ハービー・ハンコック 「ウォーターメロン・マン Watermelon Man 」http://www.youtube.com/watch?v=JYDH0ZGoo_M&feature=related

             

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    キャノボール・アダレー・グループ http://www.youtube.com/watch?v=pRrFWp4DUho