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古い曲が気になる

キャデラック・レコードは、8月15日封切り

2009-07-17 | 日記・エッセイ・コラム

Cadillacrecords_poster

 

8月15日、やっと、「キャデラック・レコード」が封切りになる。いったい、いつ日本で上映されるんだろう、と、すこしいら立っていた。きょう、敦賀浩隆くん(元キャデラック・スリムのギター&ボーカル)が知らせてくれた。

きっと、ビヨンセの日本公演にあわせて封切ることになっていたのだろう。8月7日、8日、9日。大阪、千葉で、ビヨンセのライブがある。

ブルースとR&Bのレコード会社、チェス・レコードをモデルにした映画だ。チェス・レコードのことやキャストなど詳細は、ソニー・ピクチャーズがつくる日本語の公式サイトにある。そっちをみてほしい。チェス・レコードのことは、このブログでも以前に書いた。

オフィシャル・サイトには説明がないが、わたしが気になるのは、脚本・監督のダーネル・マーティンと音楽のテレンス・ブランチャードだ。そして、製作総指揮 Executive Producer が、ビヨンセ自身ということも、おもしろい。

脚本・監督のダーネル・マーティンは、1964年生まれの黒人女性だ。サラ・ローレンス大学卒業のあと、ニューヨーク大学で映画を学んだ。短編映画の製作で注目されて、ジョナサン・デミ監督のドキュメンタリー・フィルムのアシスタントになった。ジョナサン・デミ監督は、日本では「羊たちの沈黙」などで知られているだろうか。

1994年、ダーネル・マーティンは、黒人女性としてはじめて、大手映画会社のコロンビア映画のディレクター&プロデューサーになった。

 

Darnell20martin  監督、ダーネル・マーティン

 

200pxpsmovie  ダーネル・マーティン、2001年の監督作品「Prison Song」。プロデューサーのひとりは、ロバート・デ・ニーロ。

23632  監督ダーネル・マーティンとビヨンセ。なかなか美しい映画監督じゃないかな。

「キャデラック・レコード」の音楽は、テレンス・ブランチャード。1962年、ニューオリンズ生まれのジャズ・トランペッターで、作曲家だ。ウイントン・マルサリスとは幼友達だ。スパイク・リー監督作など、これまで5作の映画音楽の作品がある。

テレンス・ブランチャードのプロのキャリアは、ライオネル・ハンプトン・オーケストラのツアーからはじまる。そのあと、アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズのメンバーになる。いまは、じぶんのグループをもっている。

 

Terence20blanchard2001  テレンス・ブランチャード

38168 スパイク・リー監督の「Inside Man」の音楽は、テレンス・ブランチャード http://www.youtube.com/watch?v=ZhrZXnFSFGQ

             

    テレンス・ブランチャード at  Vitoria Jazz Fes. 2007 http://www.youtube.com/watch?v=BYePvTiniLc&feature=related

    映画「キャデラック・レコード」 オフィシャル・サイト(日本語)http://www.sonypictures.jp/movies/cadillacrecords/

    映画「キャデラック・レコード」 オフィシャル・サイト(英語)http://www.sonypictures.com/homevideo/cadillacrecords/

    ソニー・ミュージックによるピヨンセのページ(日本語) http://www.sonymusic.co.jp/Music/International/Special/Beyonce/

    ビヨンセ オフィシャル・サイト http://www.beyonceonline.com/us/home 

    テレンス・ブランチャード  オフィシャル・サイト http://www.terenceblanchard.com/

                

Handel_by_jaeger

きのうのブログで紹介したナナ・ムスクーリが歌っていた曲は、ヘンデルの曲に歌詞をつけている。ヘンデル(1685~1759)は、ドイツの人だが、ドイツとイタリアで勉強したあと、イギリスに渡って作曲家として活躍した。教会音楽が得意なバッハに対して、ヘンデルは、劇場用のオペラやオラトリオに傑作が多い。いまもその音楽は愛されていて、さまざまにアレンジされて現代に生きている。

  ナナ・ムスクーリが歌ったヘンデルの曲は、映画音楽にもつかわれている。http://www.youtube.com/watch?v=91sfrw106xs&feature=related

ヘンデルのカツラをつけた肖像はよくみる。カツラなしの肖像画もある。なかなかハンサムだ。

Hndel_fr_stiftung

                      

北海道のトムラウシと美瑛岳での遭難は、死者10人になった。言葉もない。なにもいいたくない。あまりに悲惨だ。北海道の登山史では、1965年(昭和40年)の北大・沢田隊の悲劇を想起させる大惨事ではないか。

冬山で、百年に一度という大雪崩に遭遇してしまった大学山岳部のパーティーと、夏山の商業登山ツアーの遭難をおなじにはできない。しかし、北海道の山の、自然の猛威で、多くの犠牲者をだした惨劇にはかわりない。

1965年3月、沢田義一さん(23才)を隊長にした北大山岳部の6人は、日高山脈の縦走中に、札内川上流で雪洞を掘って、キャンプをした。そこに雪崩が襲いかかって全員生き埋めになってしまった。

6月になってやっと全員の遺体が発見された。そして、沢田さんの遺書がみつかった。沢田隊長は、生き埋めになったまま、4日間生きていた。地図の裏に、両親、いっしょに埋まって死んでいった仲間、その母親たちへの謝罪と、母と姉と妹たちへ、別れの言葉を書いた。

  

「3月14日の深夜2時頃、突然雪崩が雪洞を襲い、皆寝ているままにして埋めてしまった。皆は一瞬で死んでしまったようだったが、私は幸いにして、口のまわりにすきまがあったのを次第に広げて、ついに、横穴を2メートル近く掘って脱出しようとしたが、外は厚い雪で埋まっているせいか、一向に明るくならず、ついに死を覚悟する。

お母さん、お父さんごめんなさい。一足先に行かせてもらうだけです。きっと何かに生まれ変わってくるはずです。僕はそのとき、お母さん、お父さんを見守っているはずです。

土田のおばさんすみません。心配が本当になってしまいました。でも、ゆるして下さいね。

 田中さん、坂井君、松井君、中川君、橋本君、ごめんなさい。とりかえしのつかぬ失敗をしてしまって、皆さんのお母さんごめんなさい。ついにやってきたのです、きっと天から皆さんを見守っているつもりです。せめてできることは、そのくらいです。僕も早く安らかに眠りたいものです。どうせ死ぬのなら僕一人で・・・

 杉山さん、ご指導ありがとうございました。ルームの皆さん、さようなら。何がなくなって命があればたくさんだ。死を目の前にしてそう感ずる。松井君は一人っ子、橋本君は男一人、僕も男一人で、親が嘆き、悲しむようすが手にとるようにわかる。

 3月14・15・16・17日と寝たり掘ったりしたが、掘っても掘っても明るさが出てこないので、がっくりしている。生は10%ぐらいだろう。お母さん、本当にごめんなさい。今日まで育ててくれたつぐないをなさずに、先に行ってしまうなんて。今は比較的落ち着いています。仲間が皆そばで眠っているせいでしょう。

 佳江、珠代、先に死んでしまってごめんよ。お母さん、お父さんはこれからお年寄りになっていくんだから、2人仲良くして、お兄ちゃんの分も良く面倒みてあげて下さい。

 昌子姉さんへ。お母さん、お父さんのことよろしく。

お母さん、今死んでしまうなんて残念だ、せっかく、背広も作ったのに、もうだめ」