核持ち込みなど日米間の四つの「密約」問題に関する外務省調査チームと有識者委員会が提出した「報告書」(3月9日)をふまえて衆院外務委員会で3月19日、森田一(元運輸相)、西山太吉(元毎日新聞記者)、斉藤邦彦(元外務事務次官)、東郷和彦(元外務省条約局長)の4氏の参考人質疑が行われました。
その中で、笠井亮衆議院議員(日本共産党)が、東郷和彦元外務省条約局長に対し、核持ち込みの「密約」合意文書である「討論の記録」(1960年1月6日に署名)について「2国間で『了解して作成』され、両国政府代表が頭文字署名している場合、公式の『合意文書』となるのではないか」とただしたのに対し、東郷氏は、「交渉の過程で双方の考えるところを記録として残す内容について意見の一致があるという意味であれば、合意文書と申し上げてもいい」と述べ、「合意文書」との認識を示しました。
さらに東郷氏は「前任者からの資料を引き継ぎ、整理していく過程のなかで文書(『討論の記録』)があったと認識した」と答え、条約局長も歴任した斉藤氏も歴代の条約局長が後任に引き継いでいたことを認めました。
マッカーサー駐日大使が1960年1月7日にハーター国務長官に送った電報で、藤山愛一郎外相とマッカーサー大使が「英文の原本に頭文字署名した」とする文書のなかに「討論の記録」があり、日本が保持のために複写するとしています。これに関して東郷氏は「私が整理したなかに、コピー(複写)はあった。ただ署名欄に何が書いてあったか記憶がない」と述べ、頭文字署名つきの「討論の記録」の存在の可能性を示しました。
笠井議員は、1960年1月9日にマッカーサー大使がハーター長官に送った電報で、「討論の記録」を含む日米安保条約関連文書の全リスト(17文書)があげられていることを指摘。リストの存在をただしました。
東郷氏は「条約局長室のなかに残っている文書には(リストは)なかった」と述べる一方、「安保条約に関連するすべての原資料は北米局に所管される。条約局にあるのはその一部のコピーだ」と述べ、リストの存在を否定しませんでした。
また、東郷氏は「外務省の内情をよく知る人から、情報公開法施行前に(核持ち込み「密約」の)関連文書が破棄されたという話を聞いたことがある」と証言。外務省内で関連文書が意図的に廃棄された可能性について言及しました。
東郷氏の国会でのこの証言で、リストの存在が明らかとなったことから、外務省は同氏の了承を得て同日、日米の核持ち込みの「密約」に関して東郷氏が作成し、後任に渡したファイルの文書リストを公表しました。そして、同省としてこの密約関連文書が意図的に破棄されたか否かを調査する意向を表明、岡田外相は同省OBら関係者からも事実関係を聴取する考えも示しました。
このリストには、1960年の日米安保条約改定時の藤山愛一郎外相とマッカーサー駐日米大使による「討論の記録」の写しや、東郷氏の父・文彦氏が北米局長当時の1968年に作成し、歴代政権の「密約」引き継ぎの説明資料として使われた「装備の主要な変更に関する事前協議の件」など58点が記載されているといいます。
また、1972年の沖縄返還時、米軍基地跡地の原状回復補償費400万ドルを肩代わりした問題で機密公電をスクープ報道し、その後国家公務員法違反罪で有罪が確定した元毎日新聞記者の西山太吉氏は、「(肩代わりは)秘密の取り決めのジャンルに入る」として、明確な密約であると主張。当時の佐藤栄作首相とニクソン米大統領の合意議事録の存在が確認された沖縄への核再配備について、有識者委の報告書が「密約とは言えない」と判断したことに対しては、「誤認だ」と批判しました。
【参考】2010年3月20日付け「しんぶん赤旗」、3月19日配信「時事通信」など
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