とだ九条の会blog

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「建国記念日」を考える(2)

2009年02月12日 | 国際・政治

昨日に引き続き、「建国記念の日」について考えたいと思います。
「建国記念の日」については、2009年2月10日付け「しんぶん赤旗」の「文化欄」で、大阪大学名誉教授の猪飼隆明氏の解説を掲載していますので、その概要をご紹介します。(文責:サイト管理者)

■戦後民主主義の否定と連動
猪飼氏は、冒頭「建国記念の日」の制定経過について、
「周知のように『建国記念の日』は、戦前の紀元節を復活させたものである。『日本書紀』によれば、神武天皇は紀元前660年の1月1日に即位したという。歴史学の常識では縄文時代にあたる。明治政府は、1872(明治5)年11月の太政官布告で、神武天皇の即位日を、太陽暦に換算して1月29日と決め、翌年3月この日を紀元節と定めたのであるが、孝明天皇の命日1月30日と前後して不都合だとして、2月11日に改め直したのである」と解説。この経過が示すように「紀元節」には科学的根拠は全くなく、天皇制を支える重要なイデオロギー的装置としての役割があって、したがって“戦後民主主義・日本国憲法とは相容れない”と指摘しています。
そして、「それが、軍国主義の復活・再軍備の過程で復活が叫び始められ、戦前と戦後を連続させることで戦後民主主義を否定あるいは無視しようとする『明治百年』論と重ね合わされながら、1967年に復活された」ということです。

■「海外展開」狙い田母神氏ら策動
猪飼氏によると、こともあろうに今年の「建国記念の日」奉祝の式典(2月11日、日本青年館、主催:紀元節奉祝式典実行委員会)では、田母神俊雄前航空幕僚長が「日本は侵略国家であったのか」で講演したとのこと(*)。
‥‥‥「南京大虐殺や従軍慰安婦・沖縄島民の集団自決等の真実は、日本の軍隊と戦争の本質であり、日本の国家と国民にとって背負い続けるべき歴史なのであるが、彼らは、この真実を覆い隠すことに懸命なのである。覆い隠すことで、日本人としての『誇り』を取り戻すことができ、海外に雄飛できると考える」‥‥‥まさに自衛隊の幹部学校と防衛大学校では、このような歴史認識が組織的・系統的に教育されてきたのです。
田母神氏らは、使命感を持って、侵略戦争を正当化・美化し、そのことに邪魔な憲法九条の撤廃を訴える、この“教化の舞台”を「第二の戦場」と位置づけているのであると猪飼氏は指摘します。

■日本国憲法の先見性を再認識
猪飼氏は、イラク、アフガン、さらにはパレスチナの戦火の中の人々、飢餓や貧困に苦しむ人々に思いを馳せれば、一切の戦争を放棄し、「専制を隷従、圧迫と偏狭」「恐怖と欠乏」から全世界の人々が免れ、「平和のうちに生存する権利」を謳った日本国憲法が、いかに先見的で素晴らしいものであるかを再認識できると確信しています。
そして世界は明らかに平和に向けての“転換の時期”を迎えているとし、好戦的改憲論者の思惑をはね除けて、「建国記念」のこの日を「九条の精神を世界に」を誓い合う日にしたいものであると結んでいます。

【出典】2009年2月10日付け「しんぶん赤旗」より

(*)改憲を目指す右派団体である日本会議や右派宗教団体で構成する「日本の建国を祝う会」では、2月11日に明治神宮会館で「奉祝中央式典」を開催し、映画「平成のご巡幸―鎮魂と平和への祈り」と記念講演「美しい国へ―戦後レジームからの脱却―」(講師:安倍晋三衆議院議員)を行いました。そして「皇室を国の中心と仰ぐ国柄を明らかにする活動の展開を期す」との決議を採択しています。

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