写真は、京都市伏見区の紗都葵(さつき)ちゃん、5月13日生まれ。
「兄妹仲良く元気に、人に優しく出来る子に育ってください。
タマル産に着いて1時間で産んだので、一瞬のできごとでした。
みなさん優しく何でも話せたし、心強かったです。」
5月はお産が多くて、3人重なってしまって、LDRでなく分娩室でのお産になりましたね。
そんなことは年に1度有るかどうかなのですけれど。
余裕が有れば部屋を変わってもらうところでしたが、
何せ、あっという間のお産でしたからね。お詫びします。
次はだいじょうぶですからね。
伏見区からの里帰りでしたが、実は私の本籍は今でも京都市伏見区のままなのですよね。
結婚した当時を含めて、2回も住んだことが有りますからね。
京都は宇治や左京区にも住んでいたことが有ります。
だいたい母の父方は代々京都市で、お墓も高島屋の裏の街の真ん中に有るくらいです。
私の娘と孫娘が昨日まで帰ってきてくれていたのですが、
今は大阪に住んでいますが、その前は東京の足立区に居ました。
足立区はね、少し下町だそうですよ。
その足立区に渡邉先生という先生が居られて、日本産婦人科医会の記事を書かれているのですが、
少し前まで足立区には32施設の開業医が居られて、そのすべてで分娩を行なっていたそうです。
ですが今では4施設のみがお産を扱い、ほとんどは常勤医1人だそうですよ。
ここ丹波圏ではどうでしょうか。
私が丹波市で開業した20年前には、氷上郡には産婦人科の開業施設は5施設有りましたよ。
その少し前までいずれもお産をされていたのです。
一番忙しすぎた施設の先生が過労死されて、そこを引き継いでの開業でしたからね。
ですが今では1施設も無いのです。
丹波篠山市はと言うと、丸尾先生を始め、上田先生や伊熊先生がお産されていたのではないですか。
最後に丸尾先生がお産をやめられた後に、篠山でお産を引き継いだようなものです。
丹波市では新生児を紹介できる小児科が無かったのですから、仕方がないですね。
町をあげての反対運動みたいなものでしたから。
要するにこの20年で産婦人科の環境はすっかり様変わりしたのですよ。
実はさらにわずか50年ちょっと前は、日本では多くが開業助産院でのお産だったのですよ。
そしてこれからの時代はどうなるかご存知ですか?
もちろん私には分かっているのですが、皆さんには信じてもらえないでしょうね。
今、ささやま医療センターさんでは、分娩の中止を打診されているようですね。
今までも何度かそんな話は有りましたが、今度は医師会にも説明されたようですから、
本気かもしれませんね。
南隣の三田市も、分娩の中止を発表されていますしね。
そうなのです、これからは1つの市でお産できる病院を持つ時代ではないのですよ。
だって高速道路も整備されましたから、1時間以内で通える病院なら良いというのですよ。
西隣の加東市はどうですか?
小野市と三木市と共に、1つの病院を作ったでしょう?
きっかけは有ったのですよ。
20年前から、さんざんマスコミが開業医や、1人か2人の医師でお産をしている病院産婦人科を、
徹底的に叩きましたからね。
集約化の名の下に、最低5人は医師が居ないと、もうお産はできない時代ですよ。
私のように1人で開業している施設には、さらに風当たりが強くなるのでしょうね。
もっとも篠山市からも、ささやま医療センターからも、篠山市医師会からも、
まだ何の連絡も有りませんし、新聞には「幸い丹波篠山市には、もう1件有る」とか。
でもね、現在の状況は、まるでニワトリが鶏舎で集まって産んでいるようにも見えます。
私なら平飼い卵が食べてみたいですけれど。
篠山に引っ越してきた時に、子供たちを連れて、卵を拾えるファームに行ったのですが、
親鳥の抵抗に遭って、とても楽しめるような状況ではなかったのが楽しい思い出です。
古き良き時代、なんて言っていると、時代に取り残されてしまいますね。
***
真(まこと)の愛とは、永遠に続く愛です。
春にもその愛、
夏にもその愛、
秋にもその愛、
冬にもその愛、
少年時代にもその愛、
壮年時代にもその愛、
老年時代にもその愛、
永遠な世界である霊界に行ってもその愛です。
変わらない愛です。
レバレンド・ムーン
「兄妹仲良く元気に、人に優しく出来る子に育ってください。
タマル産に着いて1時間で産んだので、一瞬のできごとでした。
みなさん優しく何でも話せたし、心強かったです。」
5月はお産が多くて、3人重なってしまって、LDRでなく分娩室でのお産になりましたね。
そんなことは年に1度有るかどうかなのですけれど。
余裕が有れば部屋を変わってもらうところでしたが、
何せ、あっという間のお産でしたからね。お詫びします。
次はだいじょうぶですからね。
伏見区からの里帰りでしたが、実は私の本籍は今でも京都市伏見区のままなのですよね。
結婚した当時を含めて、2回も住んだことが有りますからね。
京都は宇治や左京区にも住んでいたことが有ります。
だいたい母の父方は代々京都市で、お墓も高島屋の裏の街の真ん中に有るくらいです。
私の娘と孫娘が昨日まで帰ってきてくれていたのですが、
今は大阪に住んでいますが、その前は東京の足立区に居ました。
足立区はね、少し下町だそうですよ。
その足立区に渡邉先生という先生が居られて、日本産婦人科医会の記事を書かれているのですが、
少し前まで足立区には32施設の開業医が居られて、そのすべてで分娩を行なっていたそうです。
ですが今では4施設のみがお産を扱い、ほとんどは常勤医1人だそうですよ。
ここ丹波圏ではどうでしょうか。
私が丹波市で開業した20年前には、氷上郡には産婦人科の開業施設は5施設有りましたよ。
その少し前までいずれもお産をされていたのです。
一番忙しすぎた施設の先生が過労死されて、そこを引き継いでの開業でしたからね。
ですが今では1施設も無いのです。
丹波篠山市はと言うと、丸尾先生を始め、上田先生や伊熊先生がお産されていたのではないですか。
最後に丸尾先生がお産をやめられた後に、篠山でお産を引き継いだようなものです。
丹波市では新生児を紹介できる小児科が無かったのですから、仕方がないですね。
町をあげての反対運動みたいなものでしたから。
要するにこの20年で産婦人科の環境はすっかり様変わりしたのですよ。
実はさらにわずか50年ちょっと前は、日本では多くが開業助産院でのお産だったのですよ。
そしてこれからの時代はどうなるかご存知ですか?
もちろん私には分かっているのですが、皆さんには信じてもらえないでしょうね。
今、ささやま医療センターさんでは、分娩の中止を打診されているようですね。
今までも何度かそんな話は有りましたが、今度は医師会にも説明されたようですから、
本気かもしれませんね。
南隣の三田市も、分娩の中止を発表されていますしね。
そうなのです、これからは1つの市でお産できる病院を持つ時代ではないのですよ。
だって高速道路も整備されましたから、1時間以内で通える病院なら良いというのですよ。
西隣の加東市はどうですか?
小野市と三木市と共に、1つの病院を作ったでしょう?
きっかけは有ったのですよ。
20年前から、さんざんマスコミが開業医や、1人か2人の医師でお産をしている病院産婦人科を、
徹底的に叩きましたからね。
集約化の名の下に、最低5人は医師が居ないと、もうお産はできない時代ですよ。
私のように1人で開業している施設には、さらに風当たりが強くなるのでしょうね。
もっとも篠山市からも、ささやま医療センターからも、篠山市医師会からも、
まだ何の連絡も有りませんし、新聞には「幸い丹波篠山市には、もう1件有る」とか。
でもね、現在の状況は、まるでニワトリが鶏舎で集まって産んでいるようにも見えます。
私なら平飼い卵が食べてみたいですけれど。
篠山に引っ越してきた時に、子供たちを連れて、卵を拾えるファームに行ったのですが、
親鳥の抵抗に遭って、とても楽しめるような状況ではなかったのが楽しい思い出です。
古き良き時代、なんて言っていると、時代に取り残されてしまいますね。
***
真(まこと)の愛とは、永遠に続く愛です。
春にもその愛、
夏にもその愛、
秋にもその愛、
冬にもその愛、
少年時代にもその愛、
壮年時代にもその愛、
老年時代にもその愛、
永遠な世界である霊界に行ってもその愛です。
変わらない愛です。
レバレンド・ムーン