豆の育種のマメな話

◇北海道と南米大陸に夢を描いた育種家の落穂ひろい「豆の話」
◇伊豆だより ◇恵庭散歩 ◇さすらい考
 

アルゼンチン,大豆,技術協力の成果品と公表文献

2011-06-07 13:07:01 | 海外技術協力<アルゼンチン・パラグアイ大豆育種>

アルゼンチン,大豆,技術協力の成果品と公表文献

 

その昔,日本国政府はアルゼンチン共和国に対して大豆育種研究の技術協力を実施した。筆者は,1980年代,JICA専門家としてこのプロジェクトに参加した。若い頃であったが,派遣は長短期を含め4回,延べ7年間で滞在年数は3年になる。その折りに取りまとめ公表した資料を下記に示す。南米大豆,アルゼンチン,技術協力に関する創始期の資料として,お役に立てば幸いである。

 

◆新品種育成・登録

1. Carcaraña INTA:アルゼンチン最初の育成品種(1985)

 

学会等発表

1. Padulles,N.L., J.E.Nisi, L.Salines und T.Tsuchiya(1979):Mejoramiento Genetico de Soja en La EERA de Marcos Juarez. 4th Reunion Tecnica Nacional de Soja. Argentina

 

2. 土屋武彦(1981):アルゼンチンにおける大豆品種の収量性,日本育種作物学会北海道談話会報18,35.

 

3. 土屋武彦(1981):アルゼンチンにおける大豆生産の現状と育種技術協力,十勝農学談話会 22,11-23.

 

4. 酒井真次・土屋武彦(1982):アルゼンチンにおける大豆育種技術協力,農林水産省作物育種部門総括検討特別検討課題講演要旨.

 

◆事業報告書

1. 赤井純・玉田哲男・土屋武彦(1978):アルゼンチン国に対する大豆病害ならびに栽培技術協力に関する報告書,JICA 37p.

 

2. Akai,J., T.Tamada und T.Tsuchiya(1979):Informe del Estudio de Cooperación Técnica sobre Cultivo y Enfermedades de Soja para La Republica Argentina. JICA 38p.

 

3. 土屋武彦(1980):アルゼンチン国大豆育種技術協力に関する報告書(2年次)JICA 72p.

 

4. 土屋武彦(1980):アルゼンチン国派遣大豆育種専門家総合報告書,JICA 123p.

 

5. Tsuchiya,T.(1980):Informe General sobre la Cooperación Técnica del Mejoramiennto Genético de Soja para La Republica Argentina. JICA 261p.

 

6. 土屋武彦(1981):アルゼンチン国大豆育種技術協力,第5年次短期派遣専門家総合報告書,JICA.

 

7. 土屋武彦(1984):アルゼンチン国大豆育種技術協力,第7年次短期派遣専門家総合報告書,JICA.

 

8. 土屋武彦(1984):アルゼンチン国大豆育種技術協力総合報告書 1977-1984[分担執筆]JICA 47p.

 

9. Tsuchiya,T.,S.Sakai und H.Nakanishi(1984):Informe General de la Cooperación Técnica para el studio sobre el Mejoramiennto Genético de Soja en la Repubulica de Argentina(1977-1984). JICA 60p.

 

国内雑誌などへの紹介記事

1. 土屋武彦・酒井真次(1981):アルゼンチンの大豆作と育種研究(1),農業技術 36(6),246-249.

 

2. 土屋武彦・酒井真次(1981):アルゼンチンの大豆作と育種研究(2),農業技術 36(7),299-302.

 

3. 土屋武彦(1979):アルゼンチン雑感,十勝野(十勝農試緑親会) 13,66-69.

 

4. 土屋武彦(1980):アルゼンチンの人々,十勝野(十勝農試緑親会) 14,73-77.

 

5. 土屋武彦(1984):アルゼンチン研修員のことなど,十勝野(十勝農試緑親会) 18,43-44.

 

この他に,中山利彦,砂田喜與志らプロジェクトに係った多くの方の報告書があるが,ここでは記載を省略した。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ボケロンのユートピア、原住民はどう思う?(パラグアイ、チャコ地方)

2011-06-05 14:49:35 | ラテンアメリカ旅は道連れ<南米旅日記>

チャコ地方

 

パンタナールの水を集めて流れるパラグアイ川はパラナ川に合流し,アルゼンチンのパンパ平野を南下し,ラ・プラタ川と名前を変えて大西洋に注ぐ。

 

南米大陸の中央,ブラジル・アルゼンチン・ボリビアに囲まれた内陸国であるパラグアイ共和国の国土は,このパラグアイ川によって東西に二分されている。東部地域は森林丘陵地帯で広大な草原と亜熱帯気候の多雨林から形成され,人口と産業のほとんどが集まり,活力ある地域となっている。一方,西部地域は人口が少なく,パンタナールと称され野生動物の宝庫である湿潤地帯と雨がほとんど降らない乾燥地帯からなっている。

 

この西部地域はチャコ地方と呼ばれる。多数の原住民が暮らし,コロンブス以前の文化や習慣が色濃く残っている。生活には不便な地域であるが,自然と動物探訪に是非訪れてみたいところだ。

 

北西部のボケロン県には,メノニータが1920年代ユートピアを求めて移住し,独自の発展を見せているフィラデルフィア,ロマプラタ,ネウランの3市がある。ボリビア戦争で疲弊したパラグアイが,この辺境の地に防衛の意味を込めて自治都市を認めたという。フィラデルフィア市でみられる町づくりは,農協組織,酪農と乳製品工場,銀行・教育・医療制度などが独自に整備され,ドイツ文化が息づいている。一方,発展の裏には,職を求めて佇む原住民の姿もある。

 

パラグアイの一般観光コースから外れるが,チャコ地方に足を延ばせば,この国の魅力が増すことだろう。首都アスンシオンからパラグアイ川を渡り,しばらく走れば椰子の林の湿地帯が広がる。その後,ボリビアへ抜ける国道を進むと乾燥地帯の植生がみられる灌木が続き,異質の文化を秘めた町フィラデルフィアが現れる。

 

この地は,畜産,酪農が中心であるが,落花生の栽培もある。町の博物館や小さな動物園,農協の店舗,乳製品工場を覗いてみるもよし。時間があれば,砂埃の道路を走ってボケロンの森,原住民の村を訪れる。道路は整備されていないが,バードウオッチングや自然が好きな君は,パンタナールに遊ぶのもよいだろう。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世界最大イグアスの滝に遊ぶ,「何だ,こりゃあ!」

2011-06-01 18:31:21 | ラテンアメリカ旅は道連れ<南米旅日記>

イグアスの滝

 

イグアスの滝(カタラタス・イグアス)は東京都がすっぽり収まるほどの面積を有するイグアス国立公園の中,ブラジル,アルゼンチン,パラグアイの国境が交わるところにある。ナイアガラの滝,ヴィクトリアの滝とあわせて世界三大瀑布と称されるが,その規模は,初めて訪れた人に「何だ,こりゃあ!」と思わず叫ばせるほど,規模で言えば世界一。

 

滝の水量は多いときで毎分36億リットル(ナイアガラ17千万,ヴィクトリア5億),滝幅は2.7km(ナイアガラ1km,ヴィクトリア1.7km),滝の数は水量が少ない季節で150,水量が増えると300近くにもなるという。イグアスの滝に圧倒されたルーズベルト元大統領夫人が「かわいそうな私のナイアガラ」とつぶやいた言葉が,今でも語り継がれている。

 

拠点となるのはブラジルのフォス・ド・イグアス,アルゼンチンのプエルト・イグアス。双方の町には空港があり,ブラジル国内からはフォス・ド・イグアス空港,ブエノスアイレスからはプエルト・イグアス空港を利用する。また,パラグアイ側の町はシウダ・デル・エステで,日本が援助して開いた空港はあるが便数は少ない。パラグアイからは「友情の橋」を渡り,ブラジルのフォス・ド・イグアスを経由して滝に至る。

 

ブラジル側の観光には,公園入り口のバスターミナルから専用のバスを利用し,ホテル・トロピカル・ダス・カタラタスの前で降り遊歩道を散策する。終点は,「悪魔の喉仏」の滝壺まで。アルゼンチン側は車の乗り入れを規制してエコトレインが走る。滝の上方,下方に遊歩道があり,「悪魔の喉仏」を見下ろす地点まで行くことが出来る。遊歩道を徒歩で散策するのが一般的だが,滝壺へのボートでのクルーズは豪快,ヘリコプターによる空から眺めることも出来る。

 

ブラジルの友人が「イグアスの滝はブラジルから眺めるのが素晴らしい」と言えば,アルゼンチンの友は「その素晴らしい滝はアルゼンチンのものだ」と応える。公園には400種を超える鳥類が観察され,珍しい蝶やほ乳類を見ることも出来る。近くに世界一を誇るイタイプーダムが出来たが,それを契機に両国には自然を守ろうとの気運も高まっている。

 

公園内のホテルは,ブラジル側にトロピカル・ダス・カタラタス(格調高い伝統のホテル),アルゼンチン側にシエラトン・イグアス・リゾート(インターナショナル型のホテル)だけであるが,フォス・ド・イグアスやプエルト・イグアスには大小のホテルがある。特に,フォス・ド・イグアスはホテルやレストランの数が多いので,観光の拠点として適している。ただし,ブラジルはビザが必要なので要注意。

 

日本からのほとんどの南米ツアーには,必ずイグアス観光が入っている。この滝を楽しむには,ブラジル側滝を1日,アルゼンチン側滝を1日,イタイプーダムに1日,さらに脚をのばしてパラグアイのシウダ・デル・エステを訪れる余裕が欲しい。

 

 

国境のトライアングルを形成するこれらの町には,それぞれ異なる表情がある

 

フォス・ド・イグアスは,イタイプーダムの建設労働者が町を形成したことから拡大し,街路樹も大きく緑が豊富な,緩やかな坂の町。プエルト・イグアスは平原の続きのような町。シウダ・デル・エステは,赤土にまみれ,生活排水の臭いが漂う雑多な賑わいを見せる町。アルゼンチン,ブラジルからは電気製品など安い生活用品を求めて買い出しに訪れるシウダ・デル・エステはまさに国境の町である。

 

ブラジルとパラグアイを結ぶ「友情の橋」は,車が渋滞,オートバイ・タクシー,歩行者が大きな荷物を担いで行き交う。両国にイミグレーションや税関はあるが,住民はかなり自由に行き来している。渋滞する車には物売りの子供がよってくる。一つ前の車の窓から手を入れて,鞄をつかんで走り去る子供を見た。渋滞で連なる車の運転手は叫んでも車を離れることは出来ない。両手を広げて,老夫婦は嘆きのポーズを見せる。数分後,別の少年が空の財布を持って運転席の窓をたたく。多分こう言っているのだろう「財布を取り返してきてやった。チップをくれ」と,空の財布を差し出す。子供らは仲間なのだ。

 

取り締まりは厳しくなっているが,トライアングルの裏には無法な社会も存在する。9.11テロのあと,マネーロンダリングが囁かれ,何人かが拘束されたニュースも何となく納得できる。宝石や高級時計を販売する店,その前の路上でシガレットを1本ずつバラして商売する人がいる。拳銃による強盗も予感させる雰囲気が漂う。しかし一方では,郊外の丘にあるゴルフ場の周辺には,目を見張るような高級住宅が集まっている。ここへの出入りは厳重にチエックされ,治安も守られている。川の対岸には不法に建てられたバラックが眺められる。このアンバランスこそ,国境トライアングルの象徴かも知れない。

 

 

日本が国策として取り組んだ最後の移住地(イグアス移住地)

 

シウダ・デル・エステから国道7号線をアスンシオンに向かって40km走ると,日系イグアス移住地がある(日本が国策として取り組んだ最後の移住地)。日本からの移住者は森を拓き,いまは豊饒の地に大豆を作っている。旅人は此の地を訪れ,開拓の苦労を偲び,日本旅館に泊まって日本食を楽しむのも良いだろう。

 

パラグアイのここアルトパラナ県は同国第1の大豆生産地となっていて,大きなサイロや工場がある。ブラジルの大豆生産はここパラナ州から北部へ広がり,世界2の生産国となった。アルゼンチンの大豆生産はここミシオネス州で試作され,その後湿潤パンパ地方に生産地を移した。南米ダイズ生産に日系人が大きな貢献をしたことも,旅人の記憶にとどめたい。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする