読書日記

いろいろな本のレビュー

占いと中世人  菅原正子  講談社現代新書

2011-06-04 15:00:04 | Weblog
 占いは私たちの身近にあるが、古代社会では今以上に頻度が高かった。政治・祭祀を占いで行なうことはよく知られているが、本書はその具体例をあげてわかりやすく説明している。天皇家の朝廷では、占いは神祇官と陰陽寮の官人たちが行なった。朝廷で行なう占いを「御卜」(みうら)と言う。諸社寺などの奇怪なことについては、軒廊(紫宸殿の東南の階下から宜陽殿に渡る屋根つきの廊下)で神祇官と陰陽寮の官人が占った。占いの結果によっては、天皇は物忌み(謹慎)をしなければならなかった。陰陽寮の官人たちが行なった職務には、御卜、天文密奏、祈祷、祓、反閇・身固、暦の作成、日時・方角の占定・堪申などがある。世情不安な昨今の事情を鑑みて、日本の政治も「占い師」の判断を仰いだらどうか。ポスト菅は誰か。民主党の人材払底の折から、占いかくじ引きか、とにかく少しでもましな人間を選ばないと日本は沈没する。(閑話休題)
 本書はその他、陰陽師安倍清明の事跡や武田信玄が易占いを用いた話が載せられている。信玄は儒学を愛好し、『易経』を学んだことがあったらしい。信玄は軍事だけではなく学問や文学も好み、文武両道に優れた武将であったことは、彼を知る禅僧たちが法語に書き残しているという。私はこのことと、もうひとつ、第四章の、「足利学校で易占いを教えていた」ということを初めて知った。足利学校では、四書(大学、中庸、論語、孟子)・六経(易経、詩経、書経、春秋、礼記、孝経)・列子・荘子・老子・史記・文選・三註(『蒙求』『胡曾詩』『千字文』の注)以外の講義をしてはならない、さらに足利荘内では儒学以外を禁止すると関東管領・上杉憲実の学則が出されていた。つまり足利学校は、儒学を専門とする学校であった。歴史書の『史記』や詩文集の『文選』も含まれているので、必ずしも儒学の書ばかりではないが、条文の意図するところは、儒学ではない仏教に関する学問は教えないということである。また儒学書は古注(漢・唐時代の注)が多く、新注(宋の程兄弟、朱子などの注)が少ないこともわかっている。当時、足利学校の儒学のこの傾向について、東福寺の五山禅僧の岐陽方秀が、本当に儒学を研究したい人は新注を読んだ方がいいと批判していることが書かれているが、禅僧の学問レベルの高さを証明するものだ。先述の武田信玄の易占いの話も、足利学校で『易経』が教授されていたことと符合する。次期総理を易者に筮竹を使って占ってもらってもいいかも知れない。

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