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宗教をめぐる批判 田川建三 洋泉社MC新書

2009-03-30 09:44:07 | Weblog

宗教をめぐる批判 田川建三 洋泉社MC新書



 田川氏は新約聖書学で有名な学者で、30年前の「イエスという男」は今も版を重ねている。個人的な体験を言うと、ちょうど30年前この本が出た頃、教室で3年の現代国語の授業をしていた時、ある男子生徒が授業を聞かず机の下で本を熱心に読んでいた。その本を取り上げたところ、「イエスという男」であった。こんな難しい本を読む高校生がいるのかと感動した記憶がある。そりゃ新米の私の授業より刺激的だろう。後生畏るべしである。
 氏はいう、人間は何のために生きるか、などという問いに対して答えるべきことは決まっている。そのように問うこと自体間違っている、と答えればよいと。のっけから乗りに乗っている。また、人が食って寝ることを「たったそれだけのこと」などと呼ぶのは、あきれるべき暴言である。食うためには生産しなければならず、寝るためには共同しなければならない。そこからあらゆる生産関係、社会関係が生じてくる。お互い十分に食って寝ようと思うなら、そのために生産関係、社会関係を新しく作り直していかなければならない。いかに食って寝るか、ということは、それを支え、作り出し、あるいは制限し、抑圧する世界の社会構造をどのように維持し、変革していくかということに他ならないと。非常に明快だ。氏は、このスタンスで宗教的な「聖なるもの」「非合理的なもの」に対して鋭い批判を展開していく。近代科学と宗教を二項対立の形式で並べてはならない。氏はルドルフ・オットーの『聖なるもの』という書を例にあげて、第一次世界大戦後に非合理的なものこそ人間の奥底にある一番重要なものだ、というような訴えかけ流行したが、そのような社会状況は一種のどす黒い危険性を孕んでいる社会だと言う。オットーが売れた第一次大戦から第二次大戦の間の時期、つまりフアシズムが形成された時期と、現在また「何か宗教的なもの」、非合理的なものこそ人間の本性なのですよという訴えかけが力を持ち始めたかに見えることと、ある種の類似した世相があると言わなければならないと警告を発している。この本は二十年まえの復刻だが、中味はすこしも古びていない。ナチスの台頭の過程を見れば氏の見解は確かに正しい。非合理性はマインドコントロールの重要な要素なのだ。
 後半はイエスについての記述で、故遠藤周作の『イエスの生涯』と『キリストの誕生』についての批判が展開されている。氏の一番得意な領域で、こてんぱにやっつけている。遠藤もあの世から「そこまで言わんでも」と微苦笑していることだろう。「イエスという男」という名作を世に出した人だから、間違いには黙っていられないのだろう。このリゴリズムが氏の氏たる所以である。

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