読書日記

いろいろな本のレビュー

ジャズ喫茶論 マイク・モラスキー 筑摩書房

2010-04-17 10:03:58 | Weblog
 著者はミネソタ大学アジア言語文学科教授でジャズピアニストという異能の人だ。日本各地のジャズ喫茶を尋ねてマスターとインタビューを織り交ぜて日本のジャズ喫茶文化を分析している。
 私もジャズフアンで、1970年代前半の学生時代にジャズ喫茶に入り浸っていた。その当時コーヒーは350円で、平均2時間滞在というのがパターンだった。輸入盤は2000円以上していたから、新着のものはリクエストして試聴しとことん気に入ったものは購入した。中央線中野駅前のクレッセントとサンロードのビアズレーが中心だったが、ビアズレーはその名の通りオーブリー・ビアズレーの版画が店内に並べられており、黒い壁の装飾の中で独特の雰囲気を漂わせていた。そのころ盛んにリクエストしたのが、ハンク・モブレーの「ディッピン」(ブルーノート)のA面のリカード・ボサノバだった。この盤は長らく廃盤になっており入手が困難だった。今は簡単に国内版が手に入るがその当時のことを思うと感慨深い。その後ジャズ喫茶はドンドン廃業して厳しい時代を迎えている。同じく中央線吉祥寺のジャズ喫茶も少なくなった。70年代は時代的に右肩上がりで何となく高揚感があった。こちらが若かったということもあるが、ジャズの世界でもマイルス・デイビスが電気トランペットで60年代とは全く違う方向を模索していたし、ウエザー・リポートがマイルスのラインに呼応したようなコンセプトで人気を博していた。
 本書でも書かれている通り、ジャズ喫茶は修行の場と捉えられている事が大きな特徴である。コーヒーを飲みながら音楽を聴いて、でも会話をしてはいけないのである。静かにマッキントッシュのブルーに輝くアンプの光りとJBLのスピーカーの前で瞑想して聴くのだ。著者はここはお寺だと書いているがそう言われればたしかにそうだ。巨大なスピーカーが仏像でマスターが住職、何回か通って初めて住職と会話を許されるというまさにジャズ道を極める修行の場である。最近はカネを払ってまで修行しようという人間は少ないから、客が来なくなるのは当然の帰結だ。マイナーな世界なのである。しかしこのマイナー性は少数派の真理を含むがゆえに尊いと私は思っている。いわば自分自身のアイデンティティーである。

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