今回の韓国の旅客船事故は死者・行方不明者を含めて300人を超える大事故になったが、船長と乗組員が乗客を見捨てて逃げて生還したことで、終末の厄災とも言うべき展開になった。儒教の国・韓国というイメージが強かっただけに今回の船長の行動は大きな波紋を呼んだ。ローマ法王が異例の会見をして倫理の復権を唱えたことからもわかる。儒教で孔子に次ぐ孟子は性善説を唱えて、人はだれでも「人に忍びざるの心」(他人の不幸を平気で見過ごすには耐えられない心)を持っていると言った。たとえば、幼児が井戸に落ちそうになっているのを見れば、だれでも惻隠(かわいそうに思う)の心を起こすだろうと。この心が仁への糸口になるという四端の説を展開するのは御承知の通り。今回の船長の行動はこの孟子の人間観を崩すものとなった。
その一方で、犠牲者の多くを占める修学旅行中の高校生を引率していた教頭はたまたま救出されたが、その後生徒に申し訳がない、生きて行くのがつらいといって自殺した。この教頭は教育者としての倫理観を持っており、船長とは対極の位置にいると言えるだろう。自分が教頭の立場ならどうするか。この決断は非常に難しいが、私としては生きて欲しかったという気がする。
その後、この船はいつも過積載で危ない橋を渡っていたことがわかり、その中で行政との癒着も判明した。金もうけ主義の犠牲になった若い命を思うと、たまらなく悲しい。あの船長も善なる心を持っていたが、その心が金もうけ主義という外物に蔽にわれて曇ってしまい、倫理が引っ込んだのではないか。船会社のモラルなき拝金主義の犠牲者ではないかとも思えてくる。
前置きが長くなったが、今回『ブラック企業』を読んで、社員を使い捨てて何の痛痒も感じない企業が増えていることがわかった。大手企業でもそのような使い捨てが横行しており、やり口が非常に巧妙になっている。そのような会社のオーナーがカリスマ経営者だとちやほやされるのも間違っている。若者を叩いて使い捨てにすることは、天に唾するようなもので、いずれそのつけは国力低下というかたちになって現われる。今回の韓国の沈没船事故の会社を他人ごとと思ってはならない。以て他山の石とすべきである。
その一方で、犠牲者の多くを占める修学旅行中の高校生を引率していた教頭はたまたま救出されたが、その後生徒に申し訳がない、生きて行くのがつらいといって自殺した。この教頭は教育者としての倫理観を持っており、船長とは対極の位置にいると言えるだろう。自分が教頭の立場ならどうするか。この決断は非常に難しいが、私としては生きて欲しかったという気がする。
その後、この船はいつも過積載で危ない橋を渡っていたことがわかり、その中で行政との癒着も判明した。金もうけ主義の犠牲になった若い命を思うと、たまらなく悲しい。あの船長も善なる心を持っていたが、その心が金もうけ主義という外物に蔽にわれて曇ってしまい、倫理が引っ込んだのではないか。船会社のモラルなき拝金主義の犠牲者ではないかとも思えてくる。
前置きが長くなったが、今回『ブラック企業』を読んで、社員を使い捨てて何の痛痒も感じない企業が増えていることがわかった。大手企業でもそのような使い捨てが横行しており、やり口が非常に巧妙になっている。そのような会社のオーナーがカリスマ経営者だとちやほやされるのも間違っている。若者を叩いて使い捨てにすることは、天に唾するようなもので、いずれそのつけは国力低下というかたちになって現われる。今回の韓国の沈没船事故の会社を他人ごとと思ってはならない。以て他山の石とすべきである。