読書日記

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フィリピンBC級戦犯裁判  永井 均 講談社選書メチエ

2013-12-01 13:03:01 | Weblog
 1945年2月3日に始まったマニラ市街戦は、日本軍が米軍に掃討される3月3日に終了したが、その間、米軍の戦死者は1010人、日本軍はほぼ全滅で、16665人。マニラ市民の死者は10万人にも及んだ。首都の破壊と市民の殺戮という深刻な体験が、フィリピン人の対日観に大きな影響を与え、それがマニラ戦でのBC級戦犯の裁判での厳しさに繋がってゆく。マニラ戦での詳細は本書を読んで初めて知ったが、改めて戦争という暴力の実相を知り、胸が張り裂けそうになった。
 著者は関係国の第一次資料を駆使して、この重いテーマに真摯に取り組んでいる。誠に好感のもてる書物である。因みに第25回アジア・太平洋賞・特別賞を受賞した。終戦後の米軍の犯罪捜査、フィリピン軍による戦犯裁判、受刑者の服役から、キリノ大統領の恩赦、受刑者の日本帰国まで、息をもつかせぬ展開で、ドクメンタリー映画を見ているような錯覚にとらわれた。戦犯裁判にありがちな人違いによる、無実の罪で絞首刑になった日本軍兵士の様子も描かれているが、改めて戦争の責任とは何かという問題に行きあたる。しかし当時のマニラにおける市民感情は日本軍憎しの一点にしぼられており、それを緩和させる人身御供的なものも必要だったのだろう。悲しいことだ。その中にあってキリノ大統領はキリスト教精神によって、戦犯に恩赦を与え帰国させた英断は奇跡に等しい。なぜなら彼自身、日本兵に妻子を殺されているからだ。素朴な家族感情からすると、死刑をもって報復しても足りないぐらいであったろう。しかし彼はそうはしなかった。
 1951年12月1日、キリスト教会評議会がマカラニアン宮殿において開催されたが、大統領は日本の参加(後藤光三牧師が派遣された)を心から歓迎する意を伝えた。大統領の挨拶は必然日本人向けのメッセージとなった。大統領曰く「もし私がフィリピン解放直後に日本人を見かけたなら、恐らくその人を生きたまま呑み込んでいたでしょう」と。妻子を奪われたことで、復讐心に燃えていたことを素直に告白し、それを改めると言って次のように言った、「しかし、より深く考え、そして我々が置かれている状況や日本と隣接している事実、また隣国として当然あるべき関係性などを考慮した時、私はより長い目で見るようになりました。それは、単に私の家族の将来だけでなく、母国の将来を考えてのことです。というのも、私たちはフィリピンを太平洋から大西洋その他の場所に移すことはできませんし、同様に日本をほかの場所に移すことはできないのであって、私たちは隣国であるほかないのです」と。恩赦は大統領にのみ与えられた権限であるが、それを当時のフィリピン国民の憎悪と不信の感情の中で決断したことの意味を我々日本人は再考すべきである。人間の崇高さが表明されたメッセージではないか。
 

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