読書日記

いろいろな本のレビュー

週末ベトナムでちょっと一服 下川裕治 朝日文庫

2014-03-23 07:55:55 | Weblog
 下川氏による週末シリーズ第四弾。前作は「週末台湾でちょっと一息」だった。今回はベトナムだ。私も最近ベトナムへ行ってきたので興味津々だ。ベトナムの発展する状況がつぶさにルポされていて共感したが、とりわけ第四章の「チョロンから始まった『フランシーヌの場合』世代の迷走」は圧巻だった。チョロンとはホーチミン(旧サイゴン)の中華街の名前。フランシーヌとは1969年パリで、ベトナム戦争とアフリカのビアフラ戦争に抗議して焼身自殺した女性の名前で、歌は新谷のり子というフオークシンガーが歌い、80万枚売れたヒット曲だ。
 結局ベトナム戦争はアメリカの敗北で、ベトナムは南北統一され、共産主義国家となった。当時日本はベトナム戦争反対運動が真っ盛りで、「ベ平連」がその先頭を切って運動をしていた。他国に政治介入するアメリカを非難し、北ベトナムに正義があるという前提であった。
 今回チョロンを訪問した著者はガイドのベトナム人の青年から、サイゴンがホーチミンになっていいことは少しもない。もともとベトナムは南と北で別の国であったのだという発言を聞いて、あの運動は一体何だったのかという懐疑がもたげてきたそのプロセスを描いていて、私も大いに共感を覚えた。民族解放と南北統一は同じではないのではないかという著者の疑問は大事な点だと思う。ベトナムは軍事大国アメリカに対して勝利できるとは考えておらず、いくつかの戦略を立てた。その一つが、アメリカの民主主義のシステムを利用して、ベトナム反戦運動の気運を盛り上げていくことだった。その作戦ががどれほどアメリカの政策に影響を与えたのかは判断が難しいが、反戦運動を刺激した北ベトナムからの情報にはその意図の中から流れたものもあったと著者は言う。
 その頃の日本は大学・高校紛争が起きており、「造反有理」という毛沢東の言葉が東大の正門に掲げられた。その中で北爆反対運動が化学変化を起こしたように広がった。中国の文化大革命とベトナム戦争反対運動は、当時の知識人が無批判にのめり込んだという特徴があった。
 ところが南北統一したベトナムが1978年隣国のカンボジアに攻め込んだのである。アメリカ帝国主義に抗して民族解放を果たした国が、今度は他国に侵攻したことで、ベトナムの帝国主義的側面が白日のもとにさらされた。また解放直後、南ベトナムから自由主義国への多くの難民が発生したことも南北統一が歓迎されていないことを証明した。しかし以後もベトナム共産党は健在で、中国をモデルにして経済発展を遂げつつある。その中国とは領海問題で争っているのが現状である。今ベトナムから目を離せない。

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