読書日記

いろいろな本のレビュー

小説 私の東京教育大学 真木和泉 本の泉社

2022-03-20 15:49:20 | Weblog
 昨年8月,私の大学時代からの50年来の親友であるH君が亡くなった。奥様の話によれば、家族との食事の最中の突然のことであったらしい。最初は心筋梗塞かと思われたが、ある人からは大動脈解離の可能性も否定できないということであった。彼は東京の某私立大学の教授を定年退職して、これから好きなことをしてお互い楽しもうと話し合っていた矢先のことだった。突然のことで最初は信じられなかったが、コロナ禍の最中のことでもあり、家族葬ということで、関西在住の私は東京へ弔問にうかがうことはできず、この状態が今も続いている。

 その一月後に出たのがこの本である。書店でこれを見つけたとき、懐かしさで胸がいっぱいになった。この東京教育大学は私とH君が青春時代を過ごした大学で、私たちの母校である。惜しくも廃学になったが、筑波大学の母体になって、茗渓会という同窓会は引き継がれている。でも筑波大は紛争が起きないような管理体制を最初から敷いていたので、教育大とは全く別物というのが私の見解である。この本は教育大が筑波移転を巡って反対運動が激化した頃の学園生活を描いた三篇の作品からなっている。著者の真木氏は本名・巻和泉と言い、私より5歳上の75歳で、団塊の世代である。しかも文学部漢文学科の先輩で、実際お目にかかったこともある。さらに解説を書いておられる安藤信廣氏は真木氏の同級生で、私が付属高校での教育実習でお世話になった先輩である。中国六朝文学の専門家で最近まで東京女子大の教授をされていた。

 H君の死と本書の刊行、なんとなく不思議な縁とタイミングを感じる。収められている三篇はいずれも著者が宮崎県から上京して入学してからの生活を時系列で書いたもので、人物の固有名詞をそのまま書いているので、ノンフイクションの要素も大きい。大学の寮に入って学生生活を始めた著者は否応なく政治セクトの洗礼を受ける。この寮は桐花寮と言い、当時格安の値段(月200円)で入ることができた。当時は民生の活動家の拠点で、真木氏もその影響を受けて活動家になってゆく。その政治的活動の一端をうかがい知ることができる。現在、共産党の衆議院議員の赤嶺政賢も実名で登場する。彼は沖縄返還前に入学したので、沖縄からの留学生と書かれているのが面白い。因みに大阪で活動している漫才コンビの酒井くにお・とおるのとおる(兄)は岩手県水沢高校から東京教育大学理学部に入学して学生運動に加わって日々機動隊と戦っていたが、フラッと立ち寄った浅草松竹演芸場で見た社会派コントに魅せられ、リーダーのみなみ良雄に弟子入りして退学、後に弟のくにおとコンビを組んで、大阪に移り人気を博している。酒井とおるも桐花寮にいた可能性がある。先生方も共産党のシンパの人が多かったと思う。でも文学部の先生方は業績のある素晴らしい方々だった。

 当時の学生は自治と自由と民主の実現を目指して戦っていた。私が入学した1972年は学生運動の波がおさまってしまった感があったが、それでも大学の反権力の気風は随所で感得できた。時代は変わり、大学は就職するための場であり、娯楽の場という意識が支配的だ。クイズ番組に出て、騒いでいるのを見ると覚醒の感を強くする。でもあの時代権力に必死に抗って戦った人間が多くいたことを本書で確認するのもあながち無意味なことでもない。まして私とH君が過ごした大学であれば猶更だ。

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