ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

邪魔な国

2018-10-15 12:54:10 | 日記・エッセイ・コラム
日本は特殊な国である。
とは言え、現下の人類はホモサピエンスという単一種である。
だから、ざっくり言えば皆同じである。
であるのに、特殊というのは一体どういうことか。
それはまあ先に述べた通りではある。
もし日本が最後の砦・希望だとして、
そういう日本を守り通すことができるのか。
潰れることはないのか。
そこが心配である。
只今は大きな逆風(リベラル風)の中にある。
それにしても邪魔なのである。
世界を一つにしようとする者には。
この日本(の特殊性)が。
・・・・・
人間は社会的動物だと謂われる。
個々バラバラに生きていては不利だから、
集まって生きることを選んだ。
ならば協働が当り前である。
だが日本以外の世界ではそれが見えにくくなっている。
近親の間ではともかく、社会全体では見失われたかのようである。
王侯・貴族と奴隷または奴隷状態の者とに分断された。
そして王侯同士のせめぎあい。
大陸はそういう世界であった。
少し前ならアフリカ等の部族社会には残っていただろう。
今それが残っているのは日本だけである。
私の知る限りでは。
それを支えているのは天皇である。
天皇が世界の王侯と違うのは、
覇王ではなく祭祀王だということ、
頂点にいるのではなく中心にいるということ、
であり、
だから絢爛豪華な宮殿に住むこともなく、
酒池肉林に耽ることもない。
そして自ら田植えをし、稲刈りを行なう。
祈る者であり、
祈り続ける者である天皇陛下は、
常に神のもとに在り、
神に近い存在である。
それを遠くから見れば神のごときであり、
ときに人はそれを現人神と謂う。
その天皇の祈りの中で培われたのが、
日本の歴史・伝統・文化である。
個は全体の為、全体は個の為、である。
いたずらに我を主張せず、周りのことを気に掛ける。
自分が大事なのは当然ながら、
なお全体と個を対立させないのだ。
むしろ、ときに譲るのである。
そこに知恵がある。
それが災害時の行動に現れる。
とりわけ東日本大震災時の振る舞いがそうであった。
世界はそれを驚嘆する。
既に見失っているから。
・・・・・
そういう日本が目障りなのだ。
邪魔になるのだ。
世界を思いのままに動かそうとする者には。
助け合い協調する者達は簡単には支配できないのです。
だから今、彼らの攻撃が激しい。
既知のことに、南京大虐殺や従軍慰安婦の件がある。
これらは勿論まったくの嘘である。
それが世界の真中で堂々と論じられるのだ。
まあ南京の件は少し影が薄くなったが。
最近は慰安婦の方が喧しい。
あの朝日新聞が強制はなかったと認めたのに。
余りにあからさまなごり押しである。
さりながら一番の問題は天皇である。
天皇が在る限り日本は安泰である。
だから天皇への攻撃が問題なのだ。
だがこのことではあからさまな攻撃はなされない。
そこは巧妙で、外堀を埋めるかのようにそろそろと攻めるのだ。
これがなかなか厄介である。
・・・・・
それにしても来年のご譲位は…。
どのような意味があるのか。
何が起こるのか。
ともかくも画期的なことである。
日本の底力に期待しよう。