ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

見えてきた構図

2018-10-01 17:49:46 | 日記・エッセイ・コラム
見えてきたのである。
いよいよ明らかになってきたのだ。
勿論分かる人には既に自明のことだが。
何を今更ではある。
・・・・・
自分の思うままに世界を動かしたい。
それがグローバリズムの正体である。
それを為そうとする力がある。
その力がどこにどうあるのか、それがよく分からないのだが。
彼らの主たる武器はお金と言葉である。
武力が最初にあるのではない。
武力はお金と言葉でどうにでもなるのだ。
先ずはお金である。
次に言葉である。
お金はご存知の通りである。
経済を博打場にしてしまい、金持ちにお金が集まるよう仕組まれている。
おこぼれに預かる人も多少はいるが。
言葉は本来多様であるのだが、それも独占しようとする。
為にメディアを支配する。
そして自分に都合のいい言葉のみを発する。
それがリベラル的言辞の数々である。
しかして都合の悪い言葉は排除する。
そのとき持ち出すのが差別という言葉である。
差別反対というのが錦の御旗なのだ。
ダシとして最も使われるのが人種であるが、
最近は女性やLGBTもよく使われる。
なかなかいいダシが出るのだ。
平和という言葉もその一つである。
お金や言葉の前に武力が立てば、それはそれで困るのである。
武力で抑えられるのを嫌うのだ。
為に平和という言葉を持ち出す。
この言葉も実にいいダシが出るのです。
だからと言って彼らは平和を好む訳ではない。
むしろ逆である。
・・・・・
これは主として自由主義国での話である。
シナのような共産主義国ではどうだろう。
考えるまでもない、共産主義こそグローバリズムそのものである。
お金も言葉も独占である。
おまけに武力も。
さりながらシナは決して本体ではなかろう。
共産主義はあくまで見せかけである。
そして今のところは本体の忠実な手先なのです。
その証がある。
習近平は去年2月のダボス会議に招かれて基調演説をした。
貿易の自由を謳いグローバリズム経済を強調したのである。
あの共産主義国のトップがである。
ちなみにダボス会議はグローバリストの祭りである。
まあそういうことです。
ところで安倍首相はこの9月に行われた国連総会で演説をした。
そして各国代表の前で自由貿易を守ると宣言した。
しかしてその演説の後、握手を求める人が列をなしたのである。
このことメディアは無視である。
ここで確認である。
自由貿易は何もグローバリズムの専売ではないのです。
安倍さんの自由貿易とは各国がまず立って、
その上でお互いに納得ずくで貿易をしよう、
というものである。
それはアメリカのトランプ大統領も同じだ。
だから馬が合うのです。
・・・・・
ところでこの沖縄県知事選でのことだが、
小沢一郎自由党代表と志位和夫日本共産党委員長とが、
翁長氏ゆかりの地で仲良く慰霊をしたとのことである。
元自民党と日本共産党であるのに。
さりながら、ともにグローバリズムの仲間というならおかしくはない。
むしろそうなんだろう。
もともと同志である石破茂氏もそうだろう。
彼は先の自民党総裁選挙で、
もともと軍事オタクで安全保障の専門家と称されているのに、
憲法改正に反対していた。
あからさまに反対していた訳ではないが、
この期に及んでできそうもない改正案に固執することこそ、
その証である。
それに、だからこそ多くの野党の指示を得ていた。
さらに、当然のごとくメディアの指示も得ていた。
ここにハッキリと一本の糸が見える。
今や歪んだグローバリズムと真っ当な現実主義の戦いである。
そんな構図がはっきりしてきた。
うん!