私は安倍政権支持である。
絶対的支持である。
何より「日本を取り戻す」を支持している。
そういうことだが、個々の政策には支持しないものも多い。
この「働き方改革」もそれである。
・・・・・
日本を支えているのは日本人である。
日本の庶民である。
なお、私は庶民という言葉を敢えて使っている。
庶民というのは元を糺せば余り好ましい言葉ではないらしい。
でも、私は日本人は皆天皇の庶子だと思っている。
それに、それ以上に市民という言葉が嫌いなのである。
だから敢えて庶民という言葉を使う。
それはさておき、日本の経済は日本人の働きそのものだ。
日本人の働きの総計が日本の経済力なのだ。
いろいろ言われるが、今も日本の経済力は強いのである。
それは日本人の働きが強いからだ。
ではなぜ強いのか。
日本人にとって働くことは生きることそのものなのだ。
働きがどこまでも自分の為なら、それは遊びと変わらない。
働きを働きと謂うは自分の為でもあり、他人の為でもあるからだ。
働きとは世に関わり・世に貢献し・世に在ることである。
それが場を生きる日本人の働きだ。
なお、これがボランティアという言葉がなじまない一因である。
ボランティアとは働きの外にあるのではなく、
あくまでも働きと伴にあるものなのだ。
だから働きを除くとどうも偽善ぽく見えてしまう。
まあ、最近はちょっと変わってきたが。
日本では最高神の天照大神ですら田植えをし、機を織るのである。
今上天皇もまた田植えをし、稲刈りを為される。
働くことも祀りの一つのように。
さなればこそ、労働は神聖なものなのだ。
当然、自分は何もせず他人にだけ働かせるのを良しとしない。
「働かざる者、食うべからず」である。
なるほど奴隷制度がなかった訳である。
ここが違うのである、
労働を必要悪のように思っている欧米や、
蔑視するシナ・朝鮮とは。
・・・・・
だからである。
日本人の働き方は変える必要がない。
むしろ変えてはいけない。
そうは言うものの、働き過ぎというのは少し問題だ。
何でもそうだが、遊びは必要なのだ。
と言うより、むしろ非常に大事である。
働きと伴にある遊びは。
働き過ぎを何とかしようというなら、そこは良しとする。
江戸時代は庶民は結構遊んでいたらしい。
江戸文化は庶民の遊びが育てたようなものである。
働きと伴にある遊びは素晴らしいのだ。
でも今次の「働き方改革」には気になる文言がある。
曰く「同一労働・同一賃金」。
これは嘘である。
同じ労働などこの世にない。
人は皆それぞれ違うのである。
歌にもある、件の「世界に一つだけの花」のように。
もちろん、同じような仕事には同じような賃金を払うべきである。
そのことに異論はない。
でも同じ仕事はないのである。
「同一労働・同一賃金」とはリベラル特有の虚である。
そこは非常に危惧する。
・・・・・
そんなことは先刻承知かも知れない。
敢えて言ってるのかも…。
どちらにしてもである。
日本を取り戻すためには、
嘘を排除しなければならない。
リベラル特有の嘘を。
絶対的支持である。
何より「日本を取り戻す」を支持している。
そういうことだが、個々の政策には支持しないものも多い。
この「働き方改革」もそれである。
・・・・・
日本を支えているのは日本人である。
日本の庶民である。
なお、私は庶民という言葉を敢えて使っている。
庶民というのは元を糺せば余り好ましい言葉ではないらしい。
でも、私は日本人は皆天皇の庶子だと思っている。
それに、それ以上に市民という言葉が嫌いなのである。
だから敢えて庶民という言葉を使う。
それはさておき、日本の経済は日本人の働きそのものだ。
日本人の働きの総計が日本の経済力なのだ。
いろいろ言われるが、今も日本の経済力は強いのである。
それは日本人の働きが強いからだ。
ではなぜ強いのか。
日本人にとって働くことは生きることそのものなのだ。
働きがどこまでも自分の為なら、それは遊びと変わらない。
働きを働きと謂うは自分の為でもあり、他人の為でもあるからだ。
働きとは世に関わり・世に貢献し・世に在ることである。
それが場を生きる日本人の働きだ。
なお、これがボランティアという言葉がなじまない一因である。
ボランティアとは働きの外にあるのではなく、
あくまでも働きと伴にあるものなのだ。
だから働きを除くとどうも偽善ぽく見えてしまう。
まあ、最近はちょっと変わってきたが。
日本では最高神の天照大神ですら田植えをし、機を織るのである。
今上天皇もまた田植えをし、稲刈りを為される。
働くことも祀りの一つのように。
さなればこそ、労働は神聖なものなのだ。
当然、自分は何もせず他人にだけ働かせるのを良しとしない。
「働かざる者、食うべからず」である。
なるほど奴隷制度がなかった訳である。
ここが違うのである、
労働を必要悪のように思っている欧米や、
蔑視するシナ・朝鮮とは。
・・・・・
だからである。
日本人の働き方は変える必要がない。
むしろ変えてはいけない。
そうは言うものの、働き過ぎというのは少し問題だ。
何でもそうだが、遊びは必要なのだ。
と言うより、むしろ非常に大事である。
働きと伴にある遊びは。
働き過ぎを何とかしようというなら、そこは良しとする。
江戸時代は庶民は結構遊んでいたらしい。
江戸文化は庶民の遊びが育てたようなものである。
働きと伴にある遊びは素晴らしいのだ。
でも今次の「働き方改革」には気になる文言がある。
曰く「同一労働・同一賃金」。
これは嘘である。
同じ労働などこの世にない。
人は皆それぞれ違うのである。
歌にもある、件の「世界に一つだけの花」のように。
もちろん、同じような仕事には同じような賃金を払うべきである。
そのことに異論はない。
でも同じ仕事はないのである。
「同一労働・同一賃金」とはリベラル特有の虚である。
そこは非常に危惧する。
・・・・・
そんなことは先刻承知かも知れない。
敢えて言ってるのかも…。
どちらにしてもである。
日本を取り戻すためには、
嘘を排除しなければならない。
リベラル特有の嘘を。