カタカナ語は嫌いである。
就中、日本語表記があるにもかかわらず使ってるのは。
まあ、日本人の旺盛な好奇心の現れではあるが。
メディアリテラシーという言葉がある。
よく分からなかったのだが、
最近少し分かるようになってきた。
これには適当な日本語表記がない。
情報感度あるいは情報解釈と言ってもいいと思うが、
ピンとこない。
要するに情報の取扱方であり、
適切に情報を取り扱えと言うことである。
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例えば流氷がある。
それを見ると、
まず海がありその上に氷が浮かんでる。
見えるのは海と氷である。
でも、氷は見えてる部分だけではない。
海面の下に半分以上隠れてる。
海もそうである。
海面だけが海ではない。
海面下はもっと広大である。
情報も同じである。
流されるものだけが全てではない。
さらにそこには思い違い・誤り・嘘が紛れている。
それに何よりもそもそも選別されている。
ということは、
流されるものだけを見ていれば騙される、
ということである。
信じたらもちろん騙される、信じなくとも影響を受ける。
だから情報に対する向合い方が大事なのである。
覚悟して真摯に向き合わなければならない。
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マスメディアはそもそも信用できない。
インターネットもある。
今次、世界は情報で溢れている。
情報の適否判断のために情報を求めてもたいてい無駄である。
取り敢えずは必要なのだが、
下手をすれば情報に埋もれるだけである。
いよいよ分からなくなる。
どうすれば良いのか。
最後は自分に問うよりほかない。
自分の魂に問うのである。
それには何より、
まず自分を磨かなければならない。
常に磨いていなければならない。
明鏡止水、鏡の心。