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ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

メディアリテラシー

2014-06-04 13:40:32 | 日記・エッセイ・コラム

カタカナ語は嫌いである。

就中、日本語表記があるにもかかわらず使ってるのは。

まあ、日本人の旺盛な好奇心の現れではあるが。

メディアリテラシーという言葉がある。

よく分からなかったのだが、

最近少し分かるようになってきた。

これには適当な日本語表記がない。

情報感度あるいは情報解釈と言ってもいいと思うが、

ピンとこない。

要するに情報の取扱方であり、

適切に情報を取り扱えと言うことである。

・・・・・

例えば流氷がある。

それを見ると、

まず海がありその上に氷が浮かんでる。

見えるのは海と氷である。

でも、氷は見えてる部分だけではない。

海面の下に半分以上隠れてる。

海もそうである。

海面だけが海ではない。

海面下はもっと広大である。

情報も同じである。

流されるものだけが全てではない。

さらにそこには思い違い・誤り・嘘が紛れている。

それに何よりもそもそも選別されている。

ということは、

流されるものだけを見ていれば騙される、

ということである。

信じたらもちろん騙される、信じなくとも影響を受ける。

だから情報に対する向合い方が大事なのである。

覚悟して真摯に向き合わなければならない。

・・・・・

マスメディアはそもそも信用できない。

インターネットもある。

今次、世界は情報で溢れている。

情報の適否判断のために情報を求めてもたいてい無駄である。

取り敢えずは必要なのだが、

下手をすれば情報に埋もれるだけである。

いよいよ分からなくなる。

どうすれば良いのか。

最後は自分に問うよりほかない。

自分の魂に問うのである。

それには何より、

まず自分を磨かなければならない。

常に磨いていなければならない。

明鏡止水、鏡の心。