言葉とは不可思議なものだ。
言葉は霊(もの思う力)が発した音であり、
その音には霊の思いが乗っている。
言霊といわれる所以である。
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霊の抜けた言葉には意味がない。
現今はそんな言葉が氾濫している。
例えば、開発と破壊。
開発も破壊も中身は同じである。
現状を変更することである。
自分に都合が良ければ開発と言い、
そうでなければ破壊と言う。
あるのは自分の都合だけである。
意味がない。
例えば、説明と弁解。
ともに事象について話すことである。
説明といっても嘘やごまかしがあれば弁解と変わらない。
弁解といっても理があれば説明ともいえる。
発する者や受ける者の都合でどちらにも変わる。
意味がない。
現下の世界はそんな言葉で溢れてる。
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日本にはまことの言葉がある。
天皇の言葉である。
祈主、斎主、祝主であり祭祀王である天皇の言葉。
天皇は説明しない。
天皇の言葉は祈りである。
受けての思いは様々だろうが、
そこに紛れはない。
まことの言葉である。
そのことは何より和歌に現れている。
和歌はもとより説明しない。
思いの、心からの思いの表現である。
霊のままの音である。
これが御製である。
御製はまさに祈りの体現である。
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日本は守られている。
まことに。
天皇の霊力に守られている。