ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

覚醒

2022-03-21 09:24:13 | 日記・エッセイ・コラム
言葉はデジタルであり、
コンピュータの本質は言葉であると、
随分前からそれを想う。
しかも昨今はAIとか言って、
それが人間を超えると。
思えばコンピュータがデジタルなのは自明。
その本質が言葉だから当然だが、
それ以前に諸にデジタルなのだ。
それはそうだが、
ゆえにそこには大きな穴がある。
でも私は知らない、
それを明確に意識している人を。
むしろ言葉は万能だと思ってるようだ。
生粋の日本人ならそうでもなかろうが、
欧米に傾いてる人はそうである。
なんともはや、
である。
・・・・・
デジタルは点です。
言葉も点です。
だからそれ自体は明瞭である。
だからそれが示すものは当然に明瞭となる。
そこが凄いところ。
でもそれは部分的一時的なもの。
点の外には大きな穴がある。
と言うよりむしろ広大な広がりがある。
これもまた自明。
ところで、
書籍のジャンルに精神世界というのがある。
そこでは覚醒とかアセンションという言葉をよく見かける。
人間が一段とレベルアップするらしい。
しかもそれが起こるのが近いと。
まあ根拠はない。
でも現下の状況を見ると、
そう思いたくもなる。
それほどに乱れている。
その因は人の言葉にある。
彼らはそれに気付いてるのか。
そんな風には見えない。
だからか糺す方法は持たない。
ゆえにこそ期待するのだろう。
どこからか大きな力がやって来て、
言葉に依らない通じ合う世界が実現すると。
そこはそうなのです、
言葉に依らない世界なのです。
言葉に依らないとは、
すべてが繋がる世界です。
それはまさに次元の違う世界なのだ。
それを以って覚醒と言うのか。
私もそれを想う。
それに思うところがある。
これまでも言ってきたが、
人間の問題はすべて言葉にあると。
言葉にはそも大きな穴があるのだ。
それだけではない。
それは心魂が発したものだが、
その心魂に纏わりつくのです。
しかも纏わりついて離れない。
それに厄介なことに、
そのことに気付かないのです。
むしろそれこそが「私」だと。
自分探しをすればするほど、
自分を見失う所以である。
だから日本人は言ってきた、
「私」を捨てろと。
でなけりゃ本当(隙間のない世界)が見えないと。
にしても、
人間は言葉からは逃れられない、
捨てても捨てても捨てきれない。
それを知ろう。
それを覚悟しよう。
その上で言葉に捉われない心魂を持とう。
言葉を持ち始めた頃の瑞々しい心魂を。
それができたら、それが覚醒かと。
そう思っている。
ということで私は門の前に立っている。
でも未だ入れない。
でも大丈夫必ず入れる。
これは漏れなく入れるのだ。
神様のプログラムは完璧である。
そこは心配ないが、
・・・・・
ちなみに、
ときの(原始)時代は進化進歩が緒に着いたばかりで、
野蛮な時代だったと。
そんなイメージがあるようだ。
それは大間違い。
それはそのように仕向けられているだけ。
実は瑞々しい心魂が溢れ出ていた時代であった。
それに比べれば今の時代こそまさに野蛮な時代である。
もうあきれるほどにだ。
この戦争はなんなんだ。
一見、国と国との戦争に見える。
それは表向きのことだ。
実際はロシアとバイデン・アメリカの戦争であり、
しかもその後ろにいる見えない者たちのだ。
多くの国民は置き去りである。
既に言ったがトランプのアメリカならこうはならない。
それにクリミヤの時もそうだった。
オバマのアメリカだったのである。
米・民主党は信用できない。
彼らは人類最高の道具を武器にしている。
それは言葉である。
言葉が持っている毒を知っている。
そしてそれを使っている。
もうあからさまにである。
それはもうバレバレなのだが、
なお騙さる人が後を絶たない。
やはり覚醒しかないのか。
ならそれを待つ、

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