欧米には悪魔が住んでいる。
まあ見たことはないが。
一般的には個人主義だと謂われている。
この個人主義というのが曲者なのです。
それを知ろう。
個人主義には全体主義が付いている。
これは裏表一体であり同じものです。
多くの人は別物だと思ってるが。
全体主義は全体が個と化すもの、
そこでは独裁が発生する。
ときに個人が消える。
根っこが奴隷社会である所以か。
だからこそ又個人が前に出る。
自由平等や人権とか言って。
民主主義も又そうである。
如何にもではある。
ちなみにその根底に一神教がある。
すべては一神教ゆえなのか、
あるいは一神教は結果なのか、
はてさて。
どちらにしても、
神と悪魔は表裏一体で同じもの。
欧米ではそれを別物と考える。
そこが日本とは違うところ。
・・・・・
ドイツとロシアは似ている。
ようなところがある。
地理的に近いからか喧嘩もするし、
お互い警戒しながらも手を組む。
そこにはシナも入ってくるが。
シナも個人主義だが、
神なき個人主義であり、
謂わば超個人主義である。
扱いにくいことこの上なし。
勿論ドイツやロシアが特別な訳ではく、
欧米は基本的には同質である。
でも英国は少し違うような、
そんな気が…。
それはさておき、
個人主義が問題なのは場が消えること。
場とはすべてなのに。
それは世界であり宇宙であり、
そこに在るすべてである。
場があって我があり、
我は場の一部としてある、
このこと自明の理也。
そんな当り前を個(我)が消してしまう。
これは言葉の技です。
これが言葉の毒です。
一神教の毒でもある。
・・・・・
日本は個人主義ではない。
だから全体主義には決してならない、
と思っている。
なら何なのかと言えば、
それは集団主義である。
全体主義と集団主義は似て非なるもの。
全体はそれを一つと見做す。
そのとき個が消える。
そのとき場が消える。
集団は個が集まっているだけ、
個が消えることはない。
常に場とともにある。
そこが決定的に違う。
だから日本人が戦うときは、
個の為でもあるが、
当然場の為である。
だから欧米人には分からない、
日本人が大東亜戦争を戦った意味が。
日本人も見失っている。
欧米思考に惑わされて。
でも日本の根本は変わっていない。
歴史伝統文化の中で今も厳にある。
でもそろそろ気付いてほしい、
自覚的に。
お願いしますよ、
橋下さん。
上2行は余計なこと。
・・・・・
ちなみに今のウクライナ人は、
戦っている戦士は皆神風の人、
その魂はともにある。
場とともにある。
ロシア人は貧乏くじを引いた。
悪役をやらされている。
もとよりウクライナ人と戦うつもりはないだろう。
でもそうなってしまった。
そのように仕向けられた。
ロシア人の心中や…。
この戦いは大きな仕掛けの中にある。
目的はロシアを叩くため。
がしかしそれさえ表向きかも。
その実は、
集団(場)と全体(個)の戦いであり、
民衆と支配者の戦いである。
どのような結末となるか。
まあどうなろうと、
ここから世界はかわる、
必ずかわる。
まあ見たことはないが。
一般的には個人主義だと謂われている。
この個人主義というのが曲者なのです。
それを知ろう。
個人主義には全体主義が付いている。
これは裏表一体であり同じものです。
多くの人は別物だと思ってるが。
全体主義は全体が個と化すもの、
そこでは独裁が発生する。
ときに個人が消える。
根っこが奴隷社会である所以か。
だからこそ又個人が前に出る。
自由平等や人権とか言って。
民主主義も又そうである。
如何にもではある。
ちなみにその根底に一神教がある。
すべては一神教ゆえなのか、
あるいは一神教は結果なのか、
はてさて。
どちらにしても、
神と悪魔は表裏一体で同じもの。
欧米ではそれを別物と考える。
そこが日本とは違うところ。
・・・・・
ドイツとロシアは似ている。
ようなところがある。
地理的に近いからか喧嘩もするし、
お互い警戒しながらも手を組む。
そこにはシナも入ってくるが。
シナも個人主義だが、
神なき個人主義であり、
謂わば超個人主義である。
扱いにくいことこの上なし。
勿論ドイツやロシアが特別な訳ではく、
欧米は基本的には同質である。
でも英国は少し違うような、
そんな気が…。
それはさておき、
個人主義が問題なのは場が消えること。
場とはすべてなのに。
それは世界であり宇宙であり、
そこに在るすべてである。
場があって我があり、
我は場の一部としてある、
このこと自明の理也。
そんな当り前を個(我)が消してしまう。
これは言葉の技です。
これが言葉の毒です。
一神教の毒でもある。
・・・・・
日本は個人主義ではない。
だから全体主義には決してならない、
と思っている。
なら何なのかと言えば、
それは集団主義である。
全体主義と集団主義は似て非なるもの。
全体はそれを一つと見做す。
そのとき個が消える。
そのとき場が消える。
集団は個が集まっているだけ、
個が消えることはない。
常に場とともにある。
そこが決定的に違う。
だから日本人が戦うときは、
個の為でもあるが、
当然場の為である。
だから欧米人には分からない、
日本人が大東亜戦争を戦った意味が。
日本人も見失っている。
欧米思考に惑わされて。
でも日本の根本は変わっていない。
歴史伝統文化の中で今も厳にある。
でもそろそろ気付いてほしい、
自覚的に。
お願いしますよ、
橋下さん。
上2行は余計なこと。
・・・・・
ちなみに今のウクライナ人は、
戦っている戦士は皆神風の人、
その魂はともにある。
場とともにある。
ロシア人は貧乏くじを引いた。
悪役をやらされている。
もとよりウクライナ人と戦うつもりはないだろう。
でもそうなってしまった。
そのように仕向けられた。
ロシア人の心中や…。
この戦いは大きな仕掛けの中にある。
目的はロシアを叩くため。
がしかしそれさえ表向きかも。
その実は、
集団(場)と全体(個)の戦いであり、
民衆と支配者の戦いである。
どのような結末となるか。
まあどうなろうと、
ここから世界はかわる、
必ずかわる。
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