goo blog サービス終了のお知らせ 

ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

日本にとって意味ある数字

2014-11-04 08:31:44 | 日記・エッセイ・コラム
今年(平成26年)は皇紀2674年であり、
今上天皇は神武天皇から数えて125代目である。
皇紀2674年および125代という数字は、
日本(皇室)にとって意味あるものだと思っている。
・・・・・
古事記、日本書紀は日本の正史である。
歴史は時の支配者の都合が反映されるというが、
それは当然だ。
それがその人(人々)の歴史である。
もちろん嘘は論外である。
古事記、日本書紀は神世の時代から始まっている。
それは歴史とは言えない。
それはそうである。
確かに事実としての歴史とは言えない。
だが事実を反映した思いの系譜であり、
その意味においては歴史でもある。
神話とは時間を凝縮した思いの歴史である。
神話から汲み取るのは事実ではなく、
事実に基づいた思いである。
・・・・・
古事記、日本書紀をもとにすれば、
今年は皇紀2674年であり今上天皇は第125代である。
世の歴史家には、
古代の天皇は寿命が長すぎて不自然であるとか、
実際は存在しない架空の天皇(欠史八代)があるとか、
言う者がいる。
意見としてはもちろん自由であり、
なるほどとも思える。
でも私はそうは思わない。
日本の始まりをより古く見せるためなら、
寿命を操作しなくても代を増やせばいいことだ。
でも代は事実だから変えられない。
それに単に古く見せるためなら、
2674年前でも2100年前でも大差はない。
でも2674年前という年は変えられない。
ということではないか。
・・・・・
ということは、
皇紀2674年という数字、
今上天皇が第125代であるという数字、
は変えられないのである。
それらは意味ある数字だということだ。
私はそう確信している。

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。