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ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

はじまり

2024-12-02 06:44:55 | 日記・エッセイ・コラム
私は宇宙にははじまりが無いと思っている。
始まりも終わりもない世界であると。
しても地球の始まりはあると。
それに生命の始まりも、
地球生命のです。
ここに私の思考の核心がある。
ひとつ「こと」は起点がなければ捉えられない、
ひとつ「こと」は終点がなければ定められない。
ゆえに人は始まりと終わりをつくる。
ここに思考がはじまる。
そして語るのです。
・・・・・
この世界は始まりも終わりもない。
ただ「場」があるだけ。
そこに「ものごと」がある。
「ものごと」は一体のもの。
「もの」だけで「こと」がなければ空に如かず。
「もの」は「こと」があってはじめて実となる。
そも一体なのだが物ではなく事こそ実を現わす。
ゆえ世界とは「こと」の「ば」である。
それは漢字では事場だが、これは事端としても同じ、
それをなぜか言葉とする。
音としてはすべて同じで「ことば」である。
「場」は一つであり全体を指している、
「葉」は「は〃」で無数を指している、
なるほど日本語はそも「そもそも」をしめしている。
その根本の力を「神」と表わすことも含め。
てか言葉を持ったヒトは伝えることを知る。
それを重ねて語ることを覚える。
これを覚えて思考がすすむ。
ときにできる物語りがある。
それは「はじまり」の物語りである。
起点を想う心がそれを創りだす。
てかこれは実としてあったもの。
その終点はまだ見ぬ未来である。
この語りがヒトをヒトとして人間に。
これは俗に神話と言われるもの。
神話はゆえ歴史でもあり、それは繋がってるのです。
神話は歴史であり歴史は神話である。
さらにここから宗教・哲学が起こる。
それは現今の科学にいたる。
さてもここに落し穴がある。
そも言葉は、人間の言葉は、虚構であるということ。
現実を写してるだけである。
虚構とは嘘ではありません、のように構えたものである。
あくまで構えだと謂うこと。
それを心得ていればいいが。
してもこれは魔法の道具になる。
この道具は実はなにも創らない。
でも育てられるのです、
てか作ることもできる、
場に潜む力を利用して。
それが人間の力である。
それだけが人間の力である。
そういうことですから、
ゆえそれを魔法と言う。
・・・・・
これは私の思想である。
でも私がつくったものではない。
そも日本の歴史伝統文化に内包されている。
そして何より言葉に込められている。
その言葉に生きているから、
それを取り出しているだけ、
私なりにですが。
人間は言葉の生き物である。
でもその言葉は同時に足枷にもなる。
これはもういつも言ってること。
大日本(おほやまと)はそれを心得ている。
ゆえ言葉と生きていても尚言葉に囚われず。
それが宗教への向き合い方に現れる。
俗に無宗教と言われる。
それはそうです、
宗教がなる遥か以前の心映えで、
はじまりの物語りが出来る前の、
その心のまにまに生きるのです。
事の場で言の葉に出会った頃の、
その心を持って。
柿本人麻呂はそれを歌っている。
それは万葉集の中にて。
しきしまの大和の国は、
言霊の幸はふ国ぞ、ま幸くありこそ、
と。
北畠親房は言っている。
その著神皇正統記にて。
大日本者神国、
おほやまとはかみのくになり、
と。
以て件の如し。

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