日本は鎖国をしていた。
江戸時代である。
しかし、言葉から受ける印象ほど徹底的なものではなかった。
海外の情報はそれなりに入っていた。
シナとオランダから。
・・・・・
日本は周囲を海で隔てられている。
地理的にはもともと鎖国をしているようなものである。
遣唐使なんかも命懸けの渡航であった。
さりながら技術が発達し少しは安全に航海できるようになった。
それでもやはり危険ではあったのだが。
ともかくヨーロッパが世界に進出するのである。
貧しいヨーロッパから豊かなアジア(インド、シナ)を目指して。
そして日本にもやって来る。
だが知っての通り、それは傲慢な植民地支配を伴っていた。
日本はそれを察知した。
そして避けたのである。
それが鎖国である。
・・・・・
もともと日本には独自の文化があった。
それに文化を育みやすい土壌もある。
島国という自然な鎖国状態が自家熟成を促すのである。
それに奴隷のいない比較的平準な社会であった。
そんなこともあって、江戸時代には大衆文化が大いに花開いた。
同時代の世界と比すれば、真に稀有なことである。
それよりもっと前の平安時代もそうである。
大衆文化ではなく貴族文化ではあるが。
そこでは世界最古の小説といわれる源氏物語が書かれている。
しかも書いたのは女性である。
万人がそれなりに活躍できる社会であったということだ。
さらにその前の奈良時代には万葉集が編纂されている。
勅選和歌集とも言われるもので、
そこには皇族・貴族から庶民まで、
幅広い層の作品が載せられている。
これが日本である。
・・・・・
江戸時代までは外来文化とはシナ文化であった。
教養の中心は四書五経などであり、
漢文の素養がなければ知識人とは言えなかった。
だからこそか、日本古来のものに目覚める人も現れる。
漢心ではなく大和心だ。
これが国学である。
最も有名なのは本居宣長である。
古事記を徹底的に研究した。
大和言葉で書かれている最古の書物であるから。
相前後して四人が現れる。
国学の四大人と言われる。
荷田春満、賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤。
ちなみに、
明治維新後は欧米文化が怒涛の如く流入するのだが、
それを受け入れる準備はできていたのだ。
芯があったのである。
国学を通して、大和心という芯が。
芯があるからこそだ。
真正面から堂々と受けて、
なお自分を見失わず…。
江戸時代である。
しかし、言葉から受ける印象ほど徹底的なものではなかった。
海外の情報はそれなりに入っていた。
シナとオランダから。
・・・・・
日本は周囲を海で隔てられている。
地理的にはもともと鎖国をしているようなものである。
遣唐使なんかも命懸けの渡航であった。
さりながら技術が発達し少しは安全に航海できるようになった。
それでもやはり危険ではあったのだが。
ともかくヨーロッパが世界に進出するのである。
貧しいヨーロッパから豊かなアジア(インド、シナ)を目指して。
そして日本にもやって来る。
だが知っての通り、それは傲慢な植民地支配を伴っていた。
日本はそれを察知した。
そして避けたのである。
それが鎖国である。
・・・・・
もともと日本には独自の文化があった。
それに文化を育みやすい土壌もある。
島国という自然な鎖国状態が自家熟成を促すのである。
それに奴隷のいない比較的平準な社会であった。
そんなこともあって、江戸時代には大衆文化が大いに花開いた。
同時代の世界と比すれば、真に稀有なことである。
それよりもっと前の平安時代もそうである。
大衆文化ではなく貴族文化ではあるが。
そこでは世界最古の小説といわれる源氏物語が書かれている。
しかも書いたのは女性である。
万人がそれなりに活躍できる社会であったということだ。
さらにその前の奈良時代には万葉集が編纂されている。
勅選和歌集とも言われるもので、
そこには皇族・貴族から庶民まで、
幅広い層の作品が載せられている。
これが日本である。
・・・・・
江戸時代までは外来文化とはシナ文化であった。
教養の中心は四書五経などであり、
漢文の素養がなければ知識人とは言えなかった。
だからこそか、日本古来のものに目覚める人も現れる。
漢心ではなく大和心だ。
これが国学である。
最も有名なのは本居宣長である。
古事記を徹底的に研究した。
大和言葉で書かれている最古の書物であるから。
相前後して四人が現れる。
国学の四大人と言われる。
荷田春満、賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤。
ちなみに、
明治維新後は欧米文化が怒涛の如く流入するのだが、
それを受け入れる準備はできていたのだ。
芯があったのである。
国学を通して、大和心という芯が。
芯があるからこそだ。
真正面から堂々と受けて、
なお自分を見失わず…。