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ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

鎖国

2016-03-28 10:20:17 | 日記・エッセイ・コラム
日本は鎖国をしていた。
江戸時代である。
しかし、言葉から受ける印象ほど徹底的なものではなかった。
海外の情報はそれなりに入っていた。
シナとオランダから。
・・・・・
日本は周囲を海で隔てられている。
地理的にはもともと鎖国をしているようなものである。
遣唐使なんかも命懸けの渡航であった。
さりながら技術が発達し少しは安全に航海できるようになった。
それでもやはり危険ではあったのだが。
ともかくヨーロッパが世界に進出するのである。
貧しいヨーロッパから豊かなアジア(インド、シナ)を目指して。
そして日本にもやって来る。
だが知っての通り、それは傲慢な植民地支配を伴っていた。
日本はそれを察知した。
そして避けたのである。
それが鎖国である。
・・・・・
もともと日本には独自の文化があった。
それに文化を育みやすい土壌もある。
島国という自然な鎖国状態が自家熟成を促すのである。
それに奴隷のいない比較的平準な社会であった。
そんなこともあって、江戸時代には大衆文化が大いに花開いた。
同時代の世界と比すれば、真に稀有なことである。
それよりもっと前の平安時代もそうである。
大衆文化ではなく貴族文化ではあるが。
そこでは世界最古の小説といわれる源氏物語が書かれている。
しかも書いたのは女性である。
万人がそれなりに活躍できる社会であったということだ。
さらにその前の奈良時代には万葉集が編纂されている。
勅選和歌集とも言われるもので、
そこには皇族・貴族から庶民まで、
幅広い層の作品が載せられている。
これが日本である。
・・・・・
江戸時代までは外来文化とはシナ文化であった。
教養の中心は四書五経などであり、
漢文の素養がなければ知識人とは言えなかった。
だからこそか、日本古来のものに目覚める人も現れる。
漢心ではなく大和心だ。
これが国学である。
最も有名なのは本居宣長である。
古事記を徹底的に研究した。
大和言葉で書かれている最古の書物であるから。
相前後して四人が現れる。
国学の四大人と言われる。
荷田春満、賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤。
ちなみに、
明治維新後は欧米文化が怒涛の如く流入するのだが、
それを受け入れる準備はできていたのだ。
芯があったのである。
国学を通して、大和心という芯が。
芯があるからこそだ。
真正面から堂々と受けて、
なお自分を見失わず…。