創価学会の信仰に功徳はあるか?

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法華講、大師講など。

2019年08月17日 12時20分43秒 | 日蓮宗の文献、教学など
一般論が多いので、カテゴリーは日蓮宗の文献とした。

米山士郎「@GSIHdeWIdIJA3kU @sougaku_salon 他宗では、天台大師講など先師を偲ぶ命日や記念日など儀礼としての講が形式で残存。昔は学問的だったと思われます。現代の大学で仏教学部の天台大師史とか天台大師学とか天台大師論にあたる大師の「講」義のイメージかと。なお、本コメの批判は誰でもしてくださいませ。」 / Twitter

米山士郎「@GSIHdeWIdIJA3kU @sougaku_salon 日蓮遺文を学ぶ団体名としての法華講は日蓮死後の成立です。法華の講義としての御講は平安時代から私は確認済。もっと遡れるでしょう。題目(唱題)も法華講も法華堂も日蓮の専売特許ではありません。日蓮以前に唱題も集団と講義の両方で法華講は存在し、法華堂も然り。」 / Twitter

日蓮遺文を学ぶ団体名としての法華講は日蓮死後の成立
としましたが、
【日興文献に「法華かうしう」語が見える】ということは法華講は日蓮も知っていた当たり前の単語だった可能性が高い、
に訂正します。

法華講の講を単純に講義の意味で捉えるならば、弘法大師空海や聖徳太子まで遡れることをお忘れなく。
(大御本尊の脇書きに「法華講衆等敬白」とあるので本物だ、とするのは無理がある。)
平安時代には、法華八講、法華十講などの記録が日蓮系以外の他宗にたくさんあります。

弘法大師と法華講会
空海伝の研究 - 株式会社 吉川弘文館 安政4年(1857)創業、歴史学中心の人文書出版社

気楽にブレゲ。「@yoneyama_shirou @GSIHdeWIdIJA3kU @sougaku_salon ほぼその通りでしょうね。 一代五時鶏図は、大師講での講義内容とも言われていますが、そうだとすれば非常に学問的な会だと思われます。富木常忍に大師講の担当をお願いする日蓮の書状が現存していますね。」 / Twitter

米山士郎「@mwP0s8t4fiA7LWQ @GSIHdeWIdIJA3kU @sougaku_salon 日蓮と弟子僧侶の法華経講義も講義名の法華講(義)、集団名の法華講(受講者)と見なす事は可能です。但し記録には無いと記憶します。法華衆だけ。>toALL」 / Twitter

米山士郎「@mwP0s8t4fiA7LWQ @GSIHdeWIdIJA3kU @sougaku_salon to気楽さん そういえば良いスレッドに絡んで来てくれました。日蓮正宗は大師講(天台、妙楽)の形跡、記録はあるのでしょうか?私の知る日蓮正宗系の読書した限りだとありません。今日の時点で構いませんので教えて下さい。」 / Twitter

気楽にブレゲ。「@yoneyama_shirou @GSIHdeWIdIJA3kU @sougaku_salon 富士大石寺では大師講について書かれた文献はちょっと見つかりません。元々大師講義は文永初期に始まり、佐渡以降文永10年に日昭に日蓮が大師講を行うべしと書状を送っていますから、日蓮晩年まで行われたことが推測されます。」 / Twitter

気楽にブレゲ。「@yoneyama_shirou @GSIHdeWIdIJA3kU @sougaku_salon ですから日蓮晩年まで身延山で大師講が行なわれていたことは文献から推測できるのですが、「法華講」という語は見出せません。むしろ「法華かうしう」の語を用いたのはむしろ日興であり、日蓮は熱原信徒に対して「あつわらの愚痴の者ども」と呼称していますよね。」 / Twitter

気楽にブレゲ。「@yoneyama_shirou @GSIHdeWIdIJA3kU @sougaku_salon 大師講について直接に言及された文書は、日蓮『弁殿尼御前御書』で「弁殿に申す。大師講ををこなうべし」とするのが経年では最後かなぁと。文永10年9月19日で真蹟は中山法華経寺にほぼ全文が現存しています。」 / Twitter

米山士郎「@mwP0s8t4fiA7LWQ @GSIHdeWIdIJA3kU @sougaku_salon 六老僧以後の文献を調べて無いので助かります。」 / Twitter

気楽にブレゲ。「@yoneyama_shirou @GSIHdeWIdIJA3kU @sougaku_salon 日昭は日蓮晩年に大師講を頼まれ、また天台に接近した人でもありますから、いちおう宗全上聖部収録の分は見てみたのですが「大師講」の文字はなかったかと。」 / Twitter

運ちゃん「@mwP0s8t4fiA7LWQ @yoneyama_shirou @GSIHdeWIdIJA3kU 日昭師は日蓮の元に来た時、既に天台宗の権律師の資格を持ってましたからね。天台教学にはかなり精通していたと思われます。」 / Twitter

気楽にブレゲ。「@yoneyama_shirou @GSIHdeWIdIJA3kU @sougaku_salon 思うに、天台大師講から法華最第一を導き出す教化の方法は、弟子にも引き継がれていったとは思うのですが、その距離の取り方が各教団によって違ったということかと。日興はむしろ脱天台という側面が強かったのかと思いますし。」 / Twitter





別のスレッド

気楽にブレゲ。「すでに中山日常の時代からそうですが、日蓮没後、各山は自分たちの正統性を主張して相伝書等を偽作したことが記録に残っています。日代八通譲状とか誰も信じていませんけど、同様に大石寺もまた自山の正統性を主張するなら、その客観性についてきちんと論証しなければ議論にならない筈ですよね。」 / Twitter

気楽にブレゲ。「例えば、大石寺の板本尊の正統性を主張するなら、本尊の一部を炭素年代測定にかけるとか、そもそも「法華講」という組織が「大師講」前後に存在した信頼の高い文献をあげるとか、そういうことが大石寺系教団信徒はできずに、勝手に自分たち以外の考えを排斥するだけの独善に陥ることが多いですね。」 / Twitter

気楽にブレゲ。「そもそも日興の文献には「法華かうしう」の語が見えるのですが、日蓮の文書では熱原農民信徒に対して「あつわらの愚痴の者ども」と呼称しており、「法華講」という語は日蓮遺文には見られないんですよね。」 / Twitter

米山士郎「@mwP0s8t4fiA7LWQ 【日興文献に「法華かうしう」語が見える】ということは法華講は日蓮も知っていた当たり前の単語だった可能性が高いですね。元々、法華講、法華堂も専売特許ではないのですから。」 / Twitter

気楽にブレゲ。「@yoneyama_shirou もし日蓮が「法華講」「法華かうしう」を特別な語と考えていたのなら、熱原事件の際の書状に「法華講」等の文字が並んでいて不思議はないと思います。むしろ法華講衆という呼称は日興によるもので、それについて特に特別な呼称と日蓮は考えてなかったとする方が推論としては自然かと思います。」 / Twitter

気楽にブレゲ。「@yoneyama_shirou また撰時抄、開目抄等の諸抄には「法華宗」という語がありますが、そのほぼ全てが「天台法華宗」のように天台と法華を同列に論じていますから、「法華宗」の語が天台に隔絶して特別という発想は日蓮にはなかったのではないかと個人的に思います。」 / Twitter

米山士郎「@mwP0s8t4fiA7LWQ 熱原の法難に会った人々は農民でしたね。熱原の全員が法華講(講義)に参加したと思えません。また、法華講(講衆)と呼ぶのは不自然な気がします。鎌倉時代では法華講(講義、講衆)は僧侶、武士限定の語彙と考察。」 / Twitter

法難に遭った 、の間違い。

気楽にブレゲ。「@yoneyama_shirou そうですよね。私もそう思います。 ですから日興が「法華かうしう」という語を使いながらも、日蓮は「あつわらの愚痴の者ども」だったんじゃないかなと思います。」 / Twitter

気楽にブレゲ。「@yoneyama_shirou あ、私、間違えました。 「法華かうしう」の語は佐渡国に送られた書状です。ですから熱原の農民信徒に法華講衆と呼んだ文献はないのではないでしょうか。 すいません。訂正します。」 / Twitter

気楽にブレゲ。「@yoneyama_shirou ですから、大石寺信徒が「法華講」の由来とするものは、板曼荼羅の「法華講衆等敬白」と、日興の『佐渡国法華講衆御返事』末文の「法華かうしう」の二つしか存在しないかと。それでは日蓮の生前に法華講が特別な存在として成立していたとする考えは、特に有力な根拠を持ち得ないと思います。」 / Twitter

米山士郎「@mwP0s8t4fiA7LWQ 日興さんは僧侶でない信者も「思いやりと慈悲から」「法華かうしう」である、と考えたのかもしれませんね。日興の『佐渡国法華講衆御返事』は漢文だと読めないかもしれませんが、探してみて読めそうならチャレンジしてみます。」 / Twitter

気楽にブレゲ。「@yoneyama_shirou かなりの仮名交じりです。読みやすいと思いますよ。」 / Twitter

米山士郎「@mwP0s8t4fiA7LWQ 有難うございます。私も日興の「法華かうしう」を知ったので先程自分の意見を訂正してます。ブログに残しておきたいので転載許可を下さいませ。」 / Twitter

気楽にブレゲ。「@yoneyama_shirou 全然構いません。どんどん載せてくださいませ。」 / Twitter



大師講については創価版御書の盗用剽窃の記事でも記述したので参照のこと。
他の記述は、私のブログで「大師講」で検索のこと。

以上
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