創価学会の信仰に功徳はあるか?

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393-10.【年表遺文名の著作権法違反】御書全集(全ての版)

2017年02月06日 22時56分41秒 | 日蓮系遺文
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2.学会版御書全集、再版の年表の問題点。

 重要な日蓮遺文を選択し年表に記載する時に、行道文庫版と学会版のそれぞれの遺文名と執筆年が一致することは、考えられることです。
一致しても不思議ではありません。
学会版御書全集は行道文庫版の年表【御述作】から盗用または剽窃したと思われますが、その際に御書全集は遺文名の追加と削除を行っています。
ところが、編集方針が不自然、不統一であり、盗用または剽窃したと思われる「証拠が増える」と考えられます。

御書全集の全ての版で同じだと思われますので、御書全集をお持ちの方は、巻末にある年表の【御述作】と全集の目録(目次)の遺文名を見比べて下さい。

2-1.御書全集、再版年表の【御述作】欄の問題点を列挙。

(1)「禅宗問答抄」 欄の狭い表で5文字。目録タイトルでは、蓮盛抄。3文字。蓮盛抄を使うべき。
(2)「女人往生抄」 女人成仏抄がある。目録では、なぜか女人成仏抄のみ。
(3)「一代大意抄」 目録では、一代聖教大意。一代大意。どちらとも違う。
(4)「十法界抄」  目録では、十法界事。
(5)「法門可申事」 目録では、法門申さるべき様の事。日蓮49歳の枠の幅を狭くして48歳の枠の幅を広げれば余裕で入るはず。
(6)「大師講書」  目録では、金吾殿御返事。別名でも「大師講御書」
(7)「下山抄」   目録では、下山御消息。枠がそのままで文字が入る。
(8)「三大秘法抄」 創価系の書籍で年次がバラバラだが諸説あるため仕方ないか? 堀日亨の見解が未確認。

創価系の書籍で三大秘法抄の年次を調べようと思いましたが、やめにします。

上記の問題点は、学会版2015年7月第2版(10刷)(270刷)も全く同じです。

2-2.行道文庫版、年表の【御述作】欄。

ページ数は行道文庫版本文掲載ページを示す。
昭和59年 改訂第3版を使用。掲載順序は2-1.に従った。

(1)「禅宗問答抄」  本文P547に併記。蓮盛抄(禅宗問答抄)
(2)「女人往生抄」  本文P539(録内)、「女人成仏抄」本文P672(録外)。それぞれが目録、本文共に存在。

コンパクトな行道文庫版ですら両方記載。
学会版で女人成仏抄(録外)を入れて女人往生抄(録内)を外した理由が不明。
しかも往生抄のほうが長文。重要度は録内は女人往生抄が上ではないのか?

(3)「一代大意」   本文P214に併記。一代聖教大意(一代大意)
(4)「十法界抄」   目録と本文P238では、十法界事。行道文庫版の間違いか?
(5)「法門可申抄」  目録と本文P797では、法門可被申様之事。ユニークな遺文名の為、判別可能。
(6)「大師講書」   四条金吾の大師講書と思われる。本文がないので行道文庫版年表の間違いか?

大師講書の記述は行道文庫版の間違いかもしれないが、日蓮宗では現在でも大師講を行っている寺院が存在。
学会版年表は上記1.(6)のように遺文名の不一致がある。執筆年次については正確に記載。
但し、学会版では一ページ程度の遺文であり重要視した意味が不明。
さらに何よりも不審なのは、創価学会や日蓮正宗では大師講を重視せず大師講を行った記録が未発見。
学会が大師講を認めるのであれば、釈迦、伝教大師、天台大師等々を認めないといけなくなります。
私が入信した頃はもちろん、昭和初期から長年の釈迦仏法は不幸の要因であり、なおかつ日蓮本仏論を中心とした日蓮仏法を軸とする日蓮正宗教学や創価学会教学とは矛盾。

(7)「下山抄」      目録では、下山御消息。本文P1353

下山御消息は一つしか無い為、学会版でも行道文庫版でも判別可能。

3.その他

●【重要】遺文名について

 今は忙しくて行道文庫版をじっくりと読む時間がありません。
行道文庫版は義類別の遺文集です。
(6)に関して義類別に四条金吾編だけを読むと、理解できた良い点がありました。
行道文庫版は四条金吾という義類の中で、更にページ順に編年体になっており、便利だと思いました。

また、四條金吾殿御返事という遺文名はたくさんあります。
混乱を招かないように、遺文タイトル名も出来るだけ冒頭に近い仏教用語などを選択して別名とする「ルール」になっていると思われます。
例えば、日蓮宗でいうなら筒御器抄。筒御器で遺文本文が始まります。
本を開いて遺文を読み進めれば、納得がいきやすいですし、冒頭の単語が遺文名である場合、インデックス代わりにもなります。
加藤文雅さんか稲田海素さんなのか日蓮宗のルールかは私には分かりませんが、よく考えられ、よく出来ていると思いました。
また、遺文の新命名には日蓮宗の皆さんは慎重だったことが想像できます。

しかしながら「思惑で勝手に命名した」であろう御書全集や学会版編年体は訳が分かりません。
新命名の解説は学会版御書全集、編年体のどこにあるのでしょう?
学会版御書全集、編年体の凡例の質は悪いし、量は少ないし、昭和新修別巻のような解説本もありません。
(ここでいう凡例、解説は例えば池田大作の御書講義録の本や内容を指しません。意味が全く違います。)

御書全集と学会版編年体で遺文名が異なり不統一があります。どちらが正しいのでしょうか?
まだ詳細を未確認ですが、御書全集より改良されているはずの編年体の遺文名もおそらく昭和定本に従っておらず、独自ルールであり、その理由説明は凡例などに理由は一切ありません。
理由はあっても、せいぜい御遺文のここが重要なんだ! という思想や思惑だけでいい加減に命名したのではないでしょうか?

編年体の詳細を未確認ですが、下手すると遺文名だけでも、編年体も廃刊すべきレベルなのかもしれません。
学会が新しく遺文集を出しても、世間一般ではもう誰も信用しないでしょう。今までも御書全集に信用はありませんでした。具体的に盗用の内容が明らかになっていなかっただけです。

末端の会員は皆知らないでしょうけれど、創価大学が出す学術論文で御書全集は引用文献(リファレンス)になりません。
以前から、引用文献は昭和定本でないと学術論文として認められていないのです。
著作権法違反の疑いが濃厚な御書全集を、今後も創価大学関係者は末尾に昭和定本と共に併記するのでしょうか?

●まとめ

 御書全集の再版を出版した1954年(昭和29年)から2017年に至る63年間もの間、ずっと学会本部は手抜きをしていたと思います。
それはおそらく学会本部幹部に対し信服随従(しんぶくずいじゅう)し、媚びへつらった結果、歪んだ権威主義の現れなのでしょう。
苦労した! 心血を注いだ! とか世界で最も素晴らしい御書だ! という学会員の説明や人間革命の記述は笑ってしまいます。
そのうちもう一度、「若き日の日記」や「人間革命」を読むつもりですが、失笑するしかないでしょう。

本記事も著作権法違反の説明なのですが、働いている婦人部でも難しさとマインドコントロールから、ほとんど誰も理解できないでしょう。
学生部、男子部や69歳くらいまでの壮年部は全員が理解して欲しいところですが、壮年部は10人に1人が理解できたら御の字といったところでしょうか。

以上

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