(つづき)
「筑紫野市役所前」バス停。
前回取り上げた際は、まだ「3番」が一方向のみの循環運行だったので、ここからバスで行ける場所は「西鉄二日市」ただひとつだったが、その後、双方向に運行されるようになったため、反対側の二日市温泉方面にも行くことができる。

二日市温泉方面の乗り場と二日市温泉方面、

西鉄二日市方面の乗り場と西鉄二日市方面。

このガードをくぐると、旧国道3号(現在は県道福岡日田線)に出る。
(つづく)
「筑紫野市役所前」バス停。
前回取り上げた際は、まだ「3番」が一方向のみの循環運行だったので、ここからバスで行ける場所は「西鉄二日市」ただひとつだったが、その後、双方向に運行されるようになったため、反対側の二日市温泉方面にも行くことができる。





二日市温泉方面の乗り場と二日市温泉方面、




西鉄二日市方面の乗り場と西鉄二日市方面。

このガードをくぐると、旧国道3号(現在は県道福岡日田線)に出る。
(つづく)
(つづき)
「宗像市役所」バス停。

西鉄バスは庁舎の敷地には乗り入れず、乗り入れるのは宗像市のバス(西鉄の「宗像市役所前」バス停は、南東側の県道上にあり)。
一口に「宗像市のバス」といっても、

ふれあいバス、

コミュニティバス、

そして循環バスと、いろんなチャンネルがある。

これは「ふれあいバス」。
(つづく)
「宗像市役所」バス停。


西鉄バスは庁舎の敷地には乗り入れず、乗り入れるのは宗像市のバス(西鉄の「宗像市役所前」バス停は、南東側の県道上にあり)。
一口に「宗像市のバス」といっても、

ふれあいバス、

コミュニティバス、


そして循環バスと、いろんなチャンネルがある。


これは「ふれあいバス」。
(つづく)
(つづき)
福岡市早良区役所最寄りバス停、「藤崎」のターミナル。

正式名称は、「藤崎バス乗継ターミナル」。
“福岡市営地下鉄と西鉄バス(当初は昭和バスも)を乗り継ぐ際の利便性を図ることを目的に建設された施設だが、「バス乗継」ということは、すなわち、名称には出てこない「地下鉄」が主語であり、市が設置した施設ということを物語っている”
ということは以前の記事で書いた。

「藤崎ターミナルの路線案内図」

…とはいうものの、姪浜駅、のこ渡船場、マリノアシティ方面へ行く路線は、ここ「藤崎」で地下鉄から乗り継ぐことが想定されていないため(←これはある種の「建前」なのですが)、ターミナル内には乗り入れず、明治通りを挟んで向かい側の乗り場に停車する。
まあ、建物の外の乗り場まで含めて「ターミナル」だということなら、「藤崎ターミナルの路線案内図」でもいいのでしょうけど。

「不審物を発見された場合には、○○営業所にご連絡いただきますよう…」。
テロリストから舐められそう。

地下鉄線に対して垂直に南下して原方面に向かう「2番」などが停車する6番乗り場。
「地下鉄とバスを乗り継ぐ」ことが最も想定されるパターンであり、郊外行きのメインといえる乗り場。
かつては、「1番」「2番」「3番」いずれも明治通り(当時は貫線)経由であったものが、地下鉄開通により「2番」だけが昭和通り経由に変更になった背景には、この「乗継ターミナル」の存在も大きいといえそう(「2番」が地下鉄と同ルートの貫線経由のままだとターミナルの設置理念と合わない。でも、西鉄としては都心直通のバスは残したい。という両者の妥協の産物?)。
なお、「地下鉄とバスを乗り継ぐ」ことが想定されるパターンとしては、ターミナルのオープン(1981年)時にはまだ存在しなかった「シーサイドももち地区」へ向かう路線が停車する1番乗り場も、現在は一大勢力となっている。

6番乗り場には、9月から値上げされた「2-9番」も停車。
(つづく)
福岡市早良区役所最寄りバス停、「藤崎」のターミナル。

正式名称は、「藤崎バス乗継ターミナル」。
“福岡市営地下鉄と西鉄バス(当初は昭和バスも)を乗り継ぐ際の利便性を図ることを目的に建設された施設だが、「バス乗継」ということは、すなわち、名称には出てこない「地下鉄」が主語であり、市が設置した施設ということを物語っている”
ということは以前の記事で書いた。

「藤崎ターミナルの路線案内図」

…とはいうものの、姪浜駅、のこ渡船場、マリノアシティ方面へ行く路線は、ここ「藤崎」で地下鉄から乗り継ぐことが想定されていないため(←これはある種の「建前」なのですが)、ターミナル内には乗り入れず、明治通りを挟んで向かい側の乗り場に停車する。
まあ、建物の外の乗り場まで含めて「ターミナル」だということなら、「藤崎ターミナルの路線案内図」でもいいのでしょうけど。

「不審物を発見された場合には、○○営業所にご連絡いただきますよう…」。
テロリストから舐められそう。




地下鉄線に対して垂直に南下して原方面に向かう「2番」などが停車する6番乗り場。
「地下鉄とバスを乗り継ぐ」ことが最も想定されるパターンであり、郊外行きのメインといえる乗り場。
かつては、「1番」「2番」「3番」いずれも明治通り(当時は貫線)経由であったものが、地下鉄開通により「2番」だけが昭和通り経由に変更になった背景には、この「乗継ターミナル」の存在も大きいといえそう(「2番」が地下鉄と同ルートの貫線経由のままだとターミナルの設置理念と合わない。でも、西鉄としては都心直通のバスは残したい。という両者の妥協の産物?)。
なお、「地下鉄とバスを乗り継ぐ」ことが想定されるパターンとしては、ターミナルのオープン(1981年)時にはまだ存在しなかった「シーサイドももち地区」へ向かう路線が停車する1番乗り場も、現在は一大勢力となっている。


6番乗り場には、9月から値上げされた「2-9番」も停車。
(つづく)
(つづき)
福岡県糟屋郡の「宇美町役場」バス停。
「宇美町役場入口」よりも、そこからさらに役場に近い「上宇美」よりも、さらに役場に近く、庁舎のまん前。
糟屋郡の中で一番南に位置する宇美町。
糟屋郡は、同じ福岡市を取り巻く(取り巻いていた)郡の中でも、筑紫郡や糸島郡などと比較すると、福岡市までの「軸」が一本に定まっておらず、かなり多様な表情を持っていると思う。
古賀市もかつては糟屋郡古賀町だったことを考えると、その思いはなおさら。

庁舎前には、西鉄ではなく町の福祉巡回バス「ハピネス号」が乗り入れ。

外見はかなり「西鉄バス」ですが。
車体については全く詳しくない私でも、「橋本駅循環バス(ルートA)」「美和台コミュニティバス」「長丘~高宮循環バス」などの小型バスとは異なるということはわかる。
「ハピネス号」で使われているのは「リエッセ」で、「長丘~高宮循環バス」などは「ローザ」という車種だそうです。
「覚えたい」という欲求はあまりないので、車両についての解説コメントなどは特に不要です(笑)。
(つづく)
福岡県糟屋郡の「宇美町役場」バス停。
「宇美町役場入口」よりも、そこからさらに役場に近い「上宇美」よりも、さらに役場に近く、庁舎のまん前。
糟屋郡の中で一番南に位置する宇美町。
糟屋郡は、同じ福岡市を取り巻く(取り巻いていた)郡の中でも、筑紫郡や糸島郡などと比較すると、福岡市までの「軸」が一本に定まっておらず、かなり多様な表情を持っていると思う。
古賀市もかつては糟屋郡古賀町だったことを考えると、その思いはなおさら。


庁舎前には、西鉄ではなく町の福祉巡回バス「ハピネス号」が乗り入れ。

外見はかなり「西鉄バス」ですが。
車体については全く詳しくない私でも、「橋本駅循環バス(ルートA)」「美和台コミュニティバス」「長丘~高宮循環バス」などの小型バスとは異なるということはわかる。
「ハピネス号」で使われているのは「リエッセ」で、「長丘~高宮循環バス」などは「ローザ」という車種だそうです。
「覚えたい」という欲求はあまりないので、車両についての解説コメントなどは特に不要です(笑)。
(つづく)
(つづき)
福岡市中央区の「長浜二丁目」バス停。

「長浜一丁目」と「港一丁目」の間に位置する、福岡高等検察庁最寄りのバス停であり、「長浜二丁目」の下には「検察庁前」の文字が。
「検察庁前」という文字列の取り扱いは「大名二丁目」における「中央区役所」の取り扱いと全く同じ。
なので、このバス停がもしバステラス化されると、バス停から「検察庁前」の文字が消えてしまう可能性はある。
なお、私が子供の頃は、現在の「法務局前」が「検察庁前」だった。
那の津通り上のバス停だが、ここを通る「68番」は、経由地として「長浜通」を掲げる。
「那の津」の文字を見て、須崎ふ頭地区(那の津四丁目など)に行くという誤認を防止する意図と、ラーメンなどによる「長浜」の高い知名度にあやかりたい意図があると考えられる(あくまで個人的な解釈ですが)。

西行き乗り場。
「61番」は福大若葉高校、唐人町三丁目経由で、「68番」は港銀座通り、給油センター経由で、それぞれ「福浜」に向かう。

路線図の体裁が、対面側とは全く異なる東行き乗り場。
「61番」は天神、日赤通り、野間四角経由で若久方面へ、「68番」は天神、キャナル、祇園町経由で博多駅に向かう。
天神大丸前まではともに同じルートであり、天神に隣接する業務エリアである割に「TMI」はそれほど高いとは言えない。
以前にも何度か書いた「長浜地区~赤坂門~警固町~薬院大通~薬院駅前~渡辺通一丁目~住吉~博多駅」のような路線をぜひ検討してもらいたいものである。
“都心内完結型路線”の衰退については、かつて触れたことがあるが、都市の外延的発展が限界を迎えようとしている今、“都心内完結型路線”が再び脚光を浴びる時代がやってくるのでは?と勝手に考えているのだがいかがでしょう。
(つづく)
福岡市中央区の「長浜二丁目」バス停。

「長浜一丁目」と「港一丁目」の間に位置する、福岡高等検察庁最寄りのバス停であり、「長浜二丁目」の下には「検察庁前」の文字が。
「検察庁前」という文字列の取り扱いは「大名二丁目」における「中央区役所」の取り扱いと全く同じ。
なので、このバス停がもしバステラス化されると、バス停から「検察庁前」の文字が消えてしまう可能性はある。
なお、私が子供の頃は、現在の「法務局前」が「検察庁前」だった。
那の津通り上のバス停だが、ここを通る「68番」は、経由地として「長浜通」を掲げる。
「那の津」の文字を見て、須崎ふ頭地区(那の津四丁目など)に行くという誤認を防止する意図と、ラーメンなどによる「長浜」の高い知名度にあやかりたい意図があると考えられる(あくまで個人的な解釈ですが)。



西行き乗り場。
「61番」は福大若葉高校、唐人町三丁目経由で、「68番」は港銀座通り、給油センター経由で、それぞれ「福浜」に向かう。




路線図の体裁が、対面側とは全く異なる東行き乗り場。
「61番」は天神、日赤通り、野間四角経由で若久方面へ、「68番」は天神、キャナル、祇園町経由で博多駅に向かう。
天神大丸前まではともに同じルートであり、天神に隣接する業務エリアである割に「TMI」はそれほど高いとは言えない。
以前にも何度か書いた「長浜地区~赤坂門~警固町~薬院大通~薬院駅前~渡辺通一丁目~住吉~博多駅」のような路線をぜひ検討してもらいたいものである。
“都心内完結型路線”の衰退については、かつて触れたことがあるが、都市の外延的発展が限界を迎えようとしている今、“都心内完結型路線”が再び脚光を浴びる時代がやってくるのでは?と勝手に考えているのだがいかがでしょう。
(つづく)
(つづき)
福岡市中央区の「大名二丁目」バス停。

中央区役所の目の前のバス停である。

都心方面は、県庁方面(吉塚営業所行き、九大病院行き)が「1番」、博多駅行きが「3番」に統一されているが、天神(天神北)止めについては統一はなく始発時点の番号のままなので、番号がたくさんある。

郊外方面行きの時刻表など。
「1番」「3番」が反対方向にも走っていることが、見方によっては「矛盾」だということは以前書いた(改めるべきだと言いたい訳ではありません)。

一覧表形式の運賃表、この中から目的地を探すのは結構大変…。
「大名二丁目」は、バス車内の自動アナウンスでは、「大名二丁目 中央区役所」と案内されるが(ただし、繰り返しの2回目は「大名二丁目」のみ)、バス停の表記は単に「大名二丁目」である。
バステラス化される前は、「大名二丁目」の下に小文字で「中央区役所」という表記がなされていたと思う。
同じ福岡市都心部のバス停である「市役所北口・アクロス福岡前」「川端町・博多座前」「平和台鴻臚館前」は、現在では、「アクロス福岡前」「博多座前」「鴻臚館前」まで含めて正式な名称となっているが(ただし、「市役所北口・アクロス福岡前」については西鉄のサイト上はなぜか未だに「市役所北口」のまま)、ここでは「中央区役所」が正式名称には含まれていない。
「中央区役所」は公共施設なので、「梅野眼科前」(六本松三丁目)、「KBC前」(那の津口)のように広告料は発生していないと考えられるが、このような“スポンサーではない副名称”は、「赤坂三丁目(舞鶴公園南口)」「福岡タワー南口(総合図書館北口)」などにも見られる。
「区役所」という重要な施設であるにもかかわらず、それが正式名称の中に入ってこない背景には、西区役所の前を通るバスに乗っている乗客に対する西区民の割合、南区役所の前を通るバスに乗っている乗客に対する南区民の割合、城南区役所の前を通るバスに乗っている乗客に対する城南区民の割合…などと比較すると、中央区役所の前を通るバスに乗っている乗客に対する中央区民の割合が圧倒的に低く、相対的に停留所名として使用する施設としての重要度が低くなっていることがある…と考えることもできるのではないだろうか。
“福岡市の場合、一般の窓口業務は主に各区役所で行われているため、市役所が天神の一等地にあり続ける意味があるのだろうか、とたまに思ったりもする”と、以前書いたことがある。
二重行政の排除、行政のスリム化、自治体のあり方の再構築などの時代の要請を踏まえれば、市役所の規模縮小&郊外移転は本気で議論する余地があるのではないだろうか。
さらに言えば、福岡県庁についても福岡市に置いておくよりは、北九州市や久留米市、飯塚市などに置いたほうが、県土の均衡発展という観点からもよっぽど意味があると思う(ただ、そうなると福岡県の「県庁所在地」が「福岡市」ではなくなってしまうのですが)。
(つづく)
福岡市中央区の「大名二丁目」バス停。


中央区役所の目の前のバス停である。





都心方面は、県庁方面(吉塚営業所行き、九大病院行き)が「1番」、博多駅行きが「3番」に統一されているが、天神(天神北)止めについては統一はなく始発時点の番号のままなので、番号がたくさんある。




郊外方面行きの時刻表など。
「1番」「3番」が反対方向にも走っていることが、見方によっては「矛盾」だということは以前書いた(改めるべきだと言いたい訳ではありません)。


一覧表形式の運賃表、この中から目的地を探すのは結構大変…。
「大名二丁目」は、バス車内の自動アナウンスでは、「大名二丁目 中央区役所」と案内されるが(ただし、繰り返しの2回目は「大名二丁目」のみ)、バス停の表記は単に「大名二丁目」である。
バステラス化される前は、「大名二丁目」の下に小文字で「中央区役所」という表記がなされていたと思う。
同じ福岡市都心部のバス停である「市役所北口・アクロス福岡前」「川端町・博多座前」「平和台鴻臚館前」は、現在では、「アクロス福岡前」「博多座前」「鴻臚館前」まで含めて正式な名称となっているが(ただし、「市役所北口・アクロス福岡前」については西鉄のサイト上はなぜか未だに「市役所北口」のまま)、ここでは「中央区役所」が正式名称には含まれていない。
「中央区役所」は公共施設なので、「梅野眼科前」(六本松三丁目)、「KBC前」(那の津口)のように広告料は発生していないと考えられるが、このような“スポンサーではない副名称”は、「赤坂三丁目(舞鶴公園南口)」「福岡タワー南口(総合図書館北口)」などにも見られる。
「区役所」という重要な施設であるにもかかわらず、それが正式名称の中に入ってこない背景には、西区役所の前を通るバスに乗っている乗客に対する西区民の割合、南区役所の前を通るバスに乗っている乗客に対する南区民の割合、城南区役所の前を通るバスに乗っている乗客に対する城南区民の割合…などと比較すると、中央区役所の前を通るバスに乗っている乗客に対する中央区民の割合が圧倒的に低く、相対的に停留所名として使用する施設としての重要度が低くなっていることがある…と考えることもできるのではないだろうか。
“福岡市の場合、一般の窓口業務は主に各区役所で行われているため、市役所が天神の一等地にあり続ける意味があるのだろうか、とたまに思ったりもする”と、以前書いたことがある。
二重行政の排除、行政のスリム化、自治体のあり方の再構築などの時代の要請を踏まえれば、市役所の規模縮小&郊外移転は本気で議論する余地があるのではないだろうか。
さらに言えば、福岡県庁についても福岡市に置いておくよりは、北九州市や久留米市、飯塚市などに置いたほうが、県土の均衡発展という観点からもよっぽど意味があると思う(ただ、そうなると福岡県の「県庁所在地」が「福岡市」ではなくなってしまうのですが)。
(つづく)
(つづき)
福岡県筑後市の「筑後市役所前」バス停。
久留米市と大牟田市をつなぐ国道209号上のバス停だが、バス路線は、現在は大牟田市まではつながっていない。

南行き乗り場。
「50番」が「船小屋」と、その3つ先の「筑後船小屋駅前」まで、「55番」は「羽犬塚駅前」までの運行。

「船小屋」で「5番」(九州新幹線全線開通、筑後船小屋駅開業に合わせて走り始めた路線)に乗り換えて、「西鉄柳川駅」まで行けることをアピールしている。
“このバス停に停まらない路線”まで案内するとは、なかなか気が利いている。
ちなみに「5番」という行先番号は、「津屋崎橋~西鉄新宮駅」「大橋駅~板付七丁目」などのように、複数の行先番号の「体系」をまたぐ場合に突如として出現するケースが多く、“どこから数えて5番なのか?”がいまいちはっきりしないことが多いと思う(キリがよくて覚えやすい数字、かといって「1番」にするほどでも…じゃあ「5番」で!的なノリ?)。

北行き乗り場。
「50番」が高良台経由(国道209号経由)で、「55番」が荒木経由で、それぞれJR久留米駅まで運行されるのだが、

本数が少ない「55番」のほうは、“このバス停に停まる路線”であるにもかかわらず記載がない…。
(つづく)
福岡県筑後市の「筑後市役所前」バス停。
久留米市と大牟田市をつなぐ国道209号上のバス停だが、バス路線は、現在は大牟田市まではつながっていない。


南行き乗り場。
「50番」が「船小屋」と、その3つ先の「筑後船小屋駅前」まで、「55番」は「羽犬塚駅前」までの運行。

「船小屋」で「5番」(九州新幹線全線開通、筑後船小屋駅開業に合わせて走り始めた路線)に乗り換えて、「西鉄柳川駅」まで行けることをアピールしている。
“このバス停に停まらない路線”まで案内するとは、なかなか気が利いている。
ちなみに「5番」という行先番号は、「津屋崎橋~西鉄新宮駅」「大橋駅~板付七丁目」などのように、複数の行先番号の「体系」をまたぐ場合に突如として出現するケースが多く、“どこから数えて5番なのか?”がいまいちはっきりしないことが多いと思う(キリがよくて覚えやすい数字、かといって「1番」にするほどでも…じゃあ「5番」で!的なノリ?)。



北行き乗り場。
「50番」が高良台経由(国道209号経由)で、「55番」が荒木経由で、それぞれJR久留米駅まで運行されるのだが、

本数が少ない「55番」のほうは、“このバス停に停まる路線”であるにもかかわらず記載がない…。
(つづく)
(つづき)
福岡市城南区の「城南区役所前」バス停。
城南区役所は、城南区の中ではかなり中央区寄りに位置しているが、西区の分区にあたり、城南区役所を区域の中央部付近、例えば茶山とか七隈あたりに設置していれば、その後の都市化の進展や地下鉄七隈線の利用状況なども大きく違っていたかもしれない…というのは思いっきり結果論。
バス停は、国鉄筑肥線の線路跡の道路上にあり、城南区役所連絡の役割を担う「94番」と、筑肥線代替の役割を担う「69-1番」が停車する(「69-1番」に現在でも筑肥線代替の役割があるのか、というのは微妙かもしれませんが)。
樋井川筑肥橋ができて、油山観光道路方面に道路がつながったことで、「94番」と「69番」(当時)が区役所の前までやってくるようになった…んでしたっけ?。

こちらは西行き(ただし、「94番」はすぐに右折、右折、左折をして北へ向かう)。

そして東行き(ただし、「69-1番」「94番」ともにほどなく南へ進路を変える)。
いずれの路線も本数は少なく、都心部とも直接的にはつながっていのだが、区役所への来庁舎がターゲットであるならば、それは特に問題ではないのかも。

ただ、「14番」の城南区役所経由の便は、2006年春に廃止となっている(隣りのバス停の「別府二丁目」と「城南区役所北口」はその名残り)。


ひとつ北側の、旧筑肥線と並行して走る道路上には「城南区役所北口」。
都心部に直結する「6番」「7番」「11番」が停車し、本数も「城南区役所前」と比較すると格段に多い。
「城南区役所北口」は、以前は「鳥飼六丁目」、さらにその前は「鳥飼駅前」という名称であった。
バス停付近の商業集積に、この付近に駅があったという雰囲気を感じ取ることができる。
(つづく)
福岡市城南区の「城南区役所前」バス停。
城南区役所は、城南区の中ではかなり中央区寄りに位置しているが、西区の分区にあたり、城南区役所を区域の中央部付近、例えば茶山とか七隈あたりに設置していれば、その後の都市化の進展や地下鉄七隈線の利用状況なども大きく違っていたかもしれない…というのは思いっきり結果論。
バス停は、国鉄筑肥線の線路跡の道路上にあり、城南区役所連絡の役割を担う「94番」と、筑肥線代替の役割を担う「69-1番」が停車する(「69-1番」に現在でも筑肥線代替の役割があるのか、というのは微妙かもしれませんが)。
樋井川筑肥橋ができて、油山観光道路方面に道路がつながったことで、「94番」と「69番」(当時)が区役所の前までやってくるようになった…んでしたっけ?。



こちらは西行き(ただし、「94番」はすぐに右折、右折、左折をして北へ向かう)。



そして東行き(ただし、「69-1番」「94番」ともにほどなく南へ進路を変える)。
いずれの路線も本数は少なく、都心部とも直接的にはつながっていのだが、区役所への来庁舎がターゲットであるならば、それは特に問題ではないのかも。

ただ、「14番」の城南区役所経由の便は、2006年春に廃止となっている(隣りのバス停の「別府二丁目」と「城南区役所北口」はその名残り)。








ひとつ北側の、旧筑肥線と並行して走る道路上には「城南区役所北口」。
都心部に直結する「6番」「7番」「11番」が停車し、本数も「城南区役所前」と比較すると格段に多い。
「城南区役所北口」は、以前は「鳥飼六丁目」、さらにその前は「鳥飼駅前」という名称であった。
バス停付近の商業集積に、この付近に駅があったという雰囲気を感じ取ることができる。
(つづく)
(つづき)
「役場前」バス停。
ここはどこの役場の前でしょう……?(特にクイズという訳ではありません)。
全国に「役場前」というバス停は、どれくらいあるのだろうか。
市制の施行や市町村合併が進み、町役場、村役場の数自体が減っているので、“最盛期”に比べればかなり減っているのだろうけど。
(つづく)
「役場前」バス停。
ここはどこの役場の前でしょう……?(特にクイズという訳ではありません)。
全国に「役場前」というバス停は、どれくらいあるのだろうか。
市制の施行や市町村合併が進み、町役場、村役場の数自体が減っているので、“最盛期”に比べればかなり減っているのだろうけど。
(つづく)
(つづき)
「大板井」と「小板井」の間なので「中板井」かと思いきや、「小郡市役所」バス停。
小郡市内には、かつては「鳥栖~小郡~松崎~北野~久留米」「鳥栖~小郡~松崎~甘木」「鳥栖~小郡~松崎~乙隈」「鳥栖~端間~本郷」「基山駅~東野~小郡」「三国が丘駅~ニュータウン第一~原田駅~筑紫駅」…など、市町村、そして県の枠を超えて、様々な西鉄バスのバス路線が走っていて、バス路線のネットワークの「要衝」という感さえあった。
しかし、時代とともに次々に廃止となり、現在は、「西鉄小郡駅」のバス停一つだけが、鳥栖プレミアムアウトレット行きの起点として残るだけである(大分自動車道上の「高速大板井」は除く。また、「新津古橋」バス停は、小郡市内にはないものとして扱われている)。
西鉄バスに代わり、コミュニティバス6路線がそれぞれ数便ずつ、市内各所と市中心部(市役所、あすてらす〔福祉センター〕、文化会館など)を結んでいるが、西鉄の時代とは異なり、いずれも市内のみの運行であり、「バスで行くことのできる場所」は大きく様変わりしてしまっている(「西鉄白木原駅」でも似たようなことを書いた)。
一昨年9月の「17番」の三国が丘系統の廃止により、市内の「美鈴が丘」「希みが丘」などの住宅地から、隣りの筑紫野市にある商業施設ベレッサ(旧筑紫野とうきゅうショッピングセンター)やJR原田駅に行くことができなくなり、住民から改善を求める声があがっていた。
そして、今月1日から、自治会が独自で運行する住民用のミニバン「ベレッサ号」がスタートしている。
「ベレッサ号」は、「美鈴が丘」「希みが丘」それぞれ週2日ずつ、一日4便が運行されているとのこと(運転手さんはボランティアだそうです)。
西鉄が開発した住宅団地が多く含まれる地区であるにもかかわらず、住民の方(かた)がバスのことでここまで苦労しないといけないというのは、なんだかやりきれない感じもする。
ゆくゆくは、「隣接する筑紫野市と共同でコミュニティバスを運行」…みたいになって、この苦労が報われればいいなと思うのだが、先行きやいかに。
(つづく)
「大板井」と「小板井」の間なので「中板井」かと思いきや、「小郡市役所」バス停。
小郡市内には、かつては「鳥栖~小郡~松崎~北野~久留米」「鳥栖~小郡~松崎~甘木」「鳥栖~小郡~松崎~乙隈」「鳥栖~端間~本郷」「基山駅~東野~小郡」「三国が丘駅~ニュータウン第一~原田駅~筑紫駅」…など、市町村、そして県の枠を超えて、様々な西鉄バスのバス路線が走っていて、バス路線のネットワークの「要衝」という感さえあった。
しかし、時代とともに次々に廃止となり、現在は、「西鉄小郡駅」のバス停一つだけが、鳥栖プレミアムアウトレット行きの起点として残るだけである(大分自動車道上の「高速大板井」は除く。また、「新津古橋」バス停は、小郡市内にはないものとして扱われている)。
西鉄バスに代わり、コミュニティバス6路線がそれぞれ数便ずつ、市内各所と市中心部(市役所、あすてらす〔福祉センター〕、文化会館など)を結んでいるが、西鉄の時代とは異なり、いずれも市内のみの運行であり、「バスで行くことのできる場所」は大きく様変わりしてしまっている(「西鉄白木原駅」でも似たようなことを書いた)。
一昨年9月の「17番」の三国が丘系統の廃止により、市内の「美鈴が丘」「希みが丘」などの住宅地から、隣りの筑紫野市にある商業施設ベレッサ(旧筑紫野とうきゅうショッピングセンター)やJR原田駅に行くことができなくなり、住民から改善を求める声があがっていた。
そして、今月1日から、自治会が独自で運行する住民用のミニバン「ベレッサ号」がスタートしている。
「ベレッサ号」は、「美鈴が丘」「希みが丘」それぞれ週2日ずつ、一日4便が運行されているとのこと(運転手さんはボランティアだそうです)。
西鉄が開発した住宅団地が多く含まれる地区であるにもかかわらず、住民の方(かた)がバスのことでここまで苦労しないといけないというのは、なんだかやりきれない感じもする。
ゆくゆくは、「隣接する筑紫野市と共同でコミュニティバスを運行」…みたいになって、この苦労が報われればいいなと思うのだが、先行きやいかに。
(つづく)
(つづき)
北九州市八幡東区の「八幡東区役所下」バス停。
区役所の最寄りとしては「八幡東区役所前」というバス停もあるが、こちらには「40番」(香月営業所~千代四丁目~小嶺車庫~馬場~引野口~小鷺田~西鉄黒崎バスセンター~久喜町~祗園三丁目~平野一丁目~八幡東区役所~中央三丁目~大蔵~七条~鞘ケ谷社宅前~天籟寺~天神四角~戸畑区役所~戸畑駅~幸町~八幡製鉄所総合センター/若松駅前)のみしか停車せず、「1番」や「22番」といった「動脈」が停車するここ「八幡東区役所下」のほうが圧倒的に本数は多く、名前は「下」でも格は「上」である。
以前、「90番」「91番」「97番」の経路の違いについて書いたことがあるが、この「40番」まで含めると、この付近の経路は結構複雑なものとなる。
それでも、「43番」が中央二丁目経由になる以前に比べればましだろうか(←あくまで、地元でない者から見た意見です)。
ちなみに、「1番」「40番」「97番」などは、最近の記事でも出てきたが、それらは福岡都市圏を走る路線についてであり、この記事に出てくる北九州地区の「1番」「40番」「97番」とは全く別物である(…ということはいつもいちいち説明していませんが、たまには言っておかないといけないかな?と思って補足)。
福岡地区のバステラス(新型バスシェルター)における停留所名の英字表記は「読み重視」であるのに対し、北九州地区では「意味重視」である(ただし例外はあり)。
このバス停の英字表記は「YAHATAHIGASHI WARD OFFICE」となっていて「下」はネグレクトされている。
最後の「下」をどう訳すのか、見てみたかった気もする。
(つづく)
北九州市八幡東区の「八幡東区役所下」バス停。
区役所の最寄りとしては「八幡東区役所前」というバス停もあるが、こちらには「40番」(香月営業所~千代四丁目~小嶺車庫~馬場~引野口~小鷺田~西鉄黒崎バスセンター~久喜町~祗園三丁目~平野一丁目~八幡東区役所~中央三丁目~大蔵~七条~鞘ケ谷社宅前~天籟寺~天神四角~戸畑区役所~戸畑駅~幸町~八幡製鉄所総合センター/若松駅前)のみしか停車せず、「1番」や「22番」といった「動脈」が停車するここ「八幡東区役所下」のほうが圧倒的に本数は多く、名前は「下」でも格は「上」である。
以前、「90番」「91番」「97番」の経路の違いについて書いたことがあるが、この「40番」まで含めると、この付近の経路は結構複雑なものとなる。
それでも、「43番」が中央二丁目経由になる以前に比べればましだろうか(←あくまで、地元でない者から見た意見です)。
ちなみに、「1番」「40番」「97番」などは、最近の記事でも出てきたが、それらは福岡都市圏を走る路線についてであり、この記事に出てくる北九州地区の「1番」「40番」「97番」とは全く別物である(…ということはいつもいちいち説明していませんが、たまには言っておかないといけないかな?と思って補足)。
福岡地区のバステラス(新型バスシェルター)における停留所名の英字表記は「読み重視」であるのに対し、北九州地区では「意味重視」である(ただし例外はあり)。
このバス停の英字表記は「YAHATAHIGASHI WARD OFFICE」となっていて「下」はネグレクトされている。
最後の「下」をどう訳すのか、見てみたかった気もする。
(つづく)
(つづき)
2月4日の記事ということで、福岡市西区の「内浜西区役所前」バス停。
同じ「○○浜■区役所前」でも、「箱崎浜東区役所前」のほうは、(西鉄のサイト上は)正式名称が「箱崎浜」であり、「東区役所前」は正式名称には含まれないのだが、こちらは「内浜西区役所前」が正式名称である。
もともとは、すぐ近くの「内浜ウエストコート東」という西なのか東なのかわからないバス停とともに「内浜」という名称だったが、いつの頃からか別々のバス停という扱いになった。
現在このバス停には、「1-4番」「97番」「507番」が停車する(かつては「205番」や昭和バスも停車していたが、近年は本数減少傾向が顕著である)。
このバス停から「姪浜駅南口」を挟んで反対側にある「姪浜駅東」バス停には「7番」と「507番」が停車する。
「7番」「97番」「507番」と、末尾に「7」が付く路線が多いが、「拾六町団地」を走る「1-5番」「205番」「505番」「515番」の末尾の「5」とは異なり、何の関係もない。
このバス停と、西隣りの「都橋」「車両基地前」には、昭和57年の「97番」運行開始とともにバスが走り始めた。
そのひとつ隣りの「下山門」から先は、「204番」が南に向かって運行しており、かつては「下山門」が「狭義の終点」だった。
姪浜と下山門がバスでつながっていなかったというのは、現在の状況からはあまり考えられないが、かつてはそれだけ十郎川の対岸を走っていた昭和バスの存在感が大きかったということなのかもしれない。
(つづく)
2月4日の記事ということで、福岡市西区の「内浜西区役所前」バス停。
同じ「○○浜■区役所前」でも、「箱崎浜東区役所前」のほうは、(西鉄のサイト上は)正式名称が「箱崎浜」であり、「東区役所前」は正式名称には含まれないのだが、こちらは「内浜西区役所前」が正式名称である。
もともとは、すぐ近くの「内浜ウエストコート東」という西なのか東なのかわからないバス停とともに「内浜」という名称だったが、いつの頃からか別々のバス停という扱いになった。
現在このバス停には、「1-4番」「97番」「507番」が停車する(かつては「205番」や昭和バスも停車していたが、近年は本数減少傾向が顕著である)。
このバス停から「姪浜駅南口」を挟んで反対側にある「姪浜駅東」バス停には「7番」と「507番」が停車する。
「7番」「97番」「507番」と、末尾に「7」が付く路線が多いが、「拾六町団地」を走る「1-5番」「205番」「505番」「515番」の末尾の「5」とは異なり、何の関係もない。
このバス停と、西隣りの「都橋」「車両基地前」には、昭和57年の「97番」運行開始とともにバスが走り始めた。
そのひとつ隣りの「下山門」から先は、「204番」が南に向かって運行しており、かつては「下山門」が「狭義の終点」だった。
姪浜と下山門がバスでつながっていなかったというのは、現在の状況からはあまり考えられないが、かつてはそれだけ十郎川の対岸を走っていた昭和バスの存在感が大きかったということなのかもしれない。
(つづく)