INSIDE SORAMAME

私の頭の中のキオクを綴っていくつもりです・・

チラシのオモテ(55)

2010年03月13日 |    ┣ チラシとキロク
(つづき)
福岡市西部と博多駅地区を都市高速経由で結ぶ「514番」と「515番」の増便を知らせるチラシ。
ただし現在は再び減便され、通勤通学&帰宅時間帯のみの運行に逆戻りしている。

福岡市西部地区からの都市高速路線のチラシには、都市高速道路や車窓からの景色のイラストが描かれる傾向が強く、地下鉄への「対抗意識」を反映したものといえそうである。

本日もまた実のない考察を…。

「514」「515」という番号の、
百の位の「5」は、郊外では都市高速の百道よりも西のランプを利用するという意味、
十の位の「1」は、都心では呉服町ランプを利用するという意味、
一の位の「4」は、壱岐農協前、橋本を経由するという意味、
同じく一の位の「5」は拾六町団地を経由するという意味であり、
一応「法則」がある。

百の位が「3」であれば、郊外で西公園ランプか百道ランプを経由するのが原則だが、愛宕ランプを通る「304番」という例外もある。
また、十の位が「0」であれば、都心では天神北ランプを経由するのが原則だが、呉服町ランプを通る「306番」という例外もある。

「310番」は、福岡市中心部と篠栗方面を結ぶ路線の番号「31」の末尾に、都市高速経由であることを意味する「0」を付けたものなので、「法則」の外にあり、西公園ランプも百道ランプも通らない。

百の位が「2」、十の位が「0」であれば、西区、早良区方面から国体道路経由で都心に向かうという意味である(「にひゃくなんばん」というのは、当初、202号バイパス(当時)を走るバスという意味で付けられたと思われる)。
204番」の「20」は国体道路経由、「4」は壱岐農協前、橋本経由という意味になる。
十の位を「0」から「1」に変えた「214番」は、国体道路経由ではなく「城南線」経由である。
この「法則」に従えば、現在の「17番」は「210番」、「19番」は「211番」でないといけなくなるのだが、「法則」を厳格に適用することだけを目的として番号を変え出したら大混乱になりそうだ。

なお、「210番」は、福岡市中心部と志賀島を結ぶ路線の番号の「21」の末尾に、「0」を付けた番号として既に存在する。

というわけで、「法則」といっても、かなりゆる~いものなので、あまり気にしないほうがよいと思われる。
(つづく)


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5 コメント

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Unknown (都市高502)
2010-03-12 17:39:58
420・410番と502番のチラシをトラックバックさせていただきますが、確かに都市高速路線のチラシは都市高速のイラストが多いですね。

私は明治通以北発着の系統が300番台であるというように解釈しています。
また、200番台は100番台の各停版ということで200番台になったのかな?と思ってました。
一の位の「5」も、105番や215番の全盛期は姪浜行きという意味だったものの、現在は拾六町団地を経由するというように様変わりする例もありますね。
一の位の「2」の意味もよく分からなくなってきましたね。
214番は結構後になってできた系統であることが番号からもなんとなく分かりそうです。

「法則」に従って、一回福岡地区の行先番号を全て整理してみると、半数近くが別の番号に変わるかもしれないですね。
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Unknown (ちょんびん)
2010-03-12 22:17:59
こんにちは。
都心部が同じ経由地の枝部分を、
番号がある限り順番に並べていって、
番号がなくなると新しい法則を考えるので、
そこが路線の沿革を今に伝えて面白いんですけど、
場当たり的であることは否めないですよね。

17・18・19は路線ができた順番に付いたので、
道の東西とは合ってなかったですし、
19までいっちゃったので、次の番号がなくなって、
214・215は苦肉の策かと。
かといって今更18に付け直すと混乱しますし。

小田部一丁目から西に直進するものが、
全部204だった時代があったことを考えると、
205・206はうまく分割できた例ですね。

西新から室見団地が「8」なので、
国体道路→原北中を「208」にして、
現「201」の田隈新町経由を「202」に分けてやれば、
さらに502との整合性がでてくるんですけど。

法則性を最優先にして、
140には堤ランプから都市高速に乗ってもらうとかw
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Unknown (Tokyo Chikushi)
2010-03-13 15:38:59
手許に「昭和53年6月1日現在」と書かれた「福岡市内バスご案内図」があります。たしかこの少し前に3桁の番号が使用され始めたと思います。
その3桁番号とは100番台ではなく、200番台です。したがって、200番台が100番台からの派生で作られた、ということはないのです。

201、202、203、204という4つがあり、西進して「原」までは全く同じ。
ここで南下して2番と同じ経路をたどるのが「201番」。行き先は、「西高下」、「三軒屋」または「四箇田団地」。
小田部一丁目で北へ上がり「室見団地」へ向かうのが「202番」。
南へ折れて「室住団地」へ向かうのが、「203番」。
さらにまっすぐ行くのが「204番」ですが、この先の経路はさまざまに分かれ、行き先も「野方」、「西陵高校」、「野方台」、「拾六町団地」、「宮の前団地」、「下山門」とさまざまです。

また、おもしろいことに、都心側は国体道路の東端の祇園町まで行き、博多駅へ右折するのですが、「201」「203」「204」には、このほかに「渡辺通四丁目」で左折して天神へ向かうものがありますが、なぜか「202番」だけはそれがありません。
一番下に路線名の一覧表がありますが、路線の名称は、「201番」が「三軒屋(国体道路)博多駅線」で、ほかの3つは全て「福重(国体道路)博多駅線」で同じ名称なのです。でも実際に「福重」バス停を通るのは、「204番」の一部だけです。

201番より1つ若い番号は93番で、90番台は、91、92、93の3つだけがあります。
91番は「鳥飼線」で、別府橋から筑肥線沿いに昭代や西新駅前を通って原へ向かって左折する、という特殊なルートを通ります。
しかし、92と93はどちらも「荒江線」という名称で、202号バイパスを通るという点で200番台とルートがよく似ていて、行き先は「92」が「野方」と「西高下」、「93」が「飯倉」と「西高下」。これらが200番台と違っているのは、都心側で「天神」を通るという点です。「92」が「警固町」から北へ上がり「検察庁前」で東へ向かって「天神三丁目」が終点。「93」が「渡辺通四丁目」から北へ上がり、「天神」を抜けて昭和通りに入り、「蔵本町」から博多駅へ向かうというもの。

当時、この90番台と200番台を見て、もう少し系統的に路線を分類できないものかともどかしさを感じたものです。きっと、昭和40年代後半から急速に開発が進み人口も急増した現早良区から西区の区域に、次々にバス路線を敷いていき、ひとつひとつ番号を振っていったところ、まとまりがつかなくなった、というところでしょうか。203番まで付けたところで、面倒になって残りは全て204番のままにしておいたという状態とも読みとれます(笑)。
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Unknown (レパード乗り)
2010-03-13 23:03:11
僕は・・・
100番台  一般路線から派生した市内急行
200番台  国体道路~西部方面
300番台  都市高速~ももち方面
と考えています。


>Tokyo Chikushiさん
原育ちなので、その辺りの歴史はよくわかります(笑
後から新設の200番は、201番より東側の路線で、しかもちょうど空き番号でしたね。
ちょっとわからないのは、急行(当時)105番と205番は、どちらが先だったのでしょうか?

あと、2-1・3-1は、どちらかというと201-1・200-1という感じなのでしょうが、番号が長すぎになりますよね。
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Unknown (soramame)
2010-03-14 00:45:09
都市高502さん、こんにちは。
>私は明治通以北発着の系統が300番台であるというように解釈しています。
たしかに都市高速が西に延び、300番台が姪浜、野方、原方面に行かなくなった今となってはそう解釈するのが妥当なのでしょうね。
>一の位の「2」の意味もよく分からなくなってきましたね。
たしかに「502番」の「2」は、200番台とはいまいち対応していないですね。
ルート的に「501」と「503」の間に位置するので「502」、かつ、それが昭和通り経由の「2」とたまたま一致したので、「なんだかうまく収まったように見えている」という感じでしょうか。

ちょんびんさん、こんにちは。
>番号がなくなると新しい法則を考えるので、
>そこが路線の沿革を今に伝えて面白いんですけど、
>場当たり的であることは否めないですよね。
ほんとにその通りですね。
「200番」も今では200番台にうまく収まっていますが、できたのは「201~205」よりはかなり後であり(たしか100番が博多駅に行かなくなったとき?)、当時は「200が空いててよかった」と思ったものです。
>17・18・19は路線ができた順番に付いたので、
>道の東西とは合ってなかったですし、
(あ)都市高速/(い)明治通り(昭和通り)/(う)国体道路/(え)城南線
とした場合、末尾の数字が(一応)対応関係にあるのは(あ)(500番台)と(う)だけなんですよね。
連続運行しているので、必然的に対応するのかもしれませんけど。
(あ)の300番台は、新設当時に限っていえば、一応(い)と対応していましたね。
(あ)~(え)で整合性を取るのは不可能ではないのかもしれませんが、あまりメリットはないのかもしれません。
野方地区からの(い)は、既に天神、博多駅には行かなくなっており、時代も全く変わってしまってますからね。
>法則性を最優先にして、
>140には堤ランプから都市高速に乗ってもらうとかw
「39B」にも、香椎浜ランプで降りてどうにかひばりが丘まで行ってもらわないといけませんね(笑)。

Tokyo Chikushiさん、こんにちは。
>その3桁番号とは100番台ではなく、200番台です。したがって、200番台が100番台からの派生で作られた、ということはないのです。
そうなんですよね。
200番台という番号が202号線バイパスを通るからという理由で付けられたのでは?と私が考えた理由はそこにあります。
>また、おもしろいことに、都心側は国体道路の東端の祇園町まで行き、博多駅へ右折するのですが、「201」「203」「204」には、このほかに「渡辺通四丁目」で左折して天神へ向かうものがありますが、なぜか「202番」だけはそれがありません。
たしかに。
202号バイパス(当時)の北側からバイパスに入り、再び北上して天神に向かうという利用をあまり想定しなかったということなのでしょうかね?
>当時、この90番台と200番台を見て、もう少し系統的に路線を分類できないものかともどかしさを感じたものです。
「91番」と「92番」は、200番台との代替性という意味では「やや劣る」面がありそのまま残り、「93番」は、国道263号沿線エリアからの200番台の役割を既に果たしていたと思われるため、原以西にしか200番台が付けられなかったということなのかもしれません(その後、国道263号エリアにも200番台が走ることにはなるのですが)。

レパード乗りさん、こんにちは。
>僕は・・・
>100番台  一般路線から派生した市内急行
>200番台  国体道路~西部方面
>300番台  都市高速~ももち方面
>と考えています。
そうですね。
これに、西部方面「以外」に「210番」「310番」などの「例外」が出てくるのはまあ仕方ないという感じでしょうかね。
ただ、「140番」はエリア的にも法則的にもちょっとどうかな…?という感じです。
>あと、2-1・3-1は、どちらかというと201-1・200-1という感じなのでしょうが、番号が長すぎになりますよね。
もし今あらたに番号をつけようとしたら「2-1番」「3-1番」だと「えっ?」という感じなのでしょうが、「3-1番」が、「200番」や「93番」ができる前からずっと走り続けているということで「許容されている」という面があるのかもしれませんね。
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