(つづき)
昭和59年4月27日当時の「103番」「202番」「203番」「204番」の時刻表の一部である。
「警固神社前」(現在の「天神警固神社三越前」)バス停から郊外方面の、当時と現在の行先と平日の運行本数を比較してみると…
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(当時)
「204番」
・六本松、壱岐農協、橋本経由野方行き 31本
・六本松、壱岐農協、橋本、野方経由藤ケ丘団地行き 14本
・六本松、壱岐農協、橋本、野方経由野方台行き 17本
・六本松、壱岐農協、橋本、野方経由西陵高校行き 19本
・六本松、壱岐農協経由宮の前団地団地行き 21本
・六本松、壱岐農協経由拾六町団地団地行き 8本
・六本松、壱岐農協、拾六町団地団地経由野方行き 10本
・六本松、壱岐農協経由下山門行き 9本
「202番」
・六本松、原、むろみ団地経由原北中学校行き 32本
「203番」
・六本松、原経由室住団地行き 15本
・六本松、原、室住団地経由野方行き 17本
「急行103番」
・六本松、原、室住団地経由野方行き 31本
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(現在)
「204番」
・六本松、壱岐農協、橋本経由野方行き 64本
・六本松、壱岐農協、橋本、生松台経由野方行き 8本
・六本松、壱岐農協、橋本、野方経由三陽高校行き 8本
「205番」
・六本松、壱岐農協、宮の前団地経由西陵高校行き 21本
(ただしこのうち4本は「205番」ではなく「エコルライナー」)
・六本松、壱岐農協、拾六町団地経由野方行き 15本
「202番」
・六本松、原、むろみ団地経由原北中学校行き 15本
「203番」
・六本松、原、室住団地経由野方行き 57本(うち深夜バス1本)
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となっている。
住宅地が西へ西へ広がり、それにあわせてバス路線も開設されていく。
それを示すかのように、昭和59年当時、「204番」はかなり複雑化してしまっているが、その後、福重交差点(バス停でいうと壱岐農協前)を左折するものを「204番」、直進するものを「205番」に分割して、現在はいくぶんすっきりしている。
また当時は、「野方台」や「宮の前団地」から先にバスは通っておらず、これらのバス停は「狭義の終点」であったが、その後の生松台やウエストヒルズ(西の丘)などの住宅地開発により、路線が延びている。
また、当時「204番」には「下山門行き」「藤ケ丘団地行き」があった。
昭和57年に西区が3つ(西区、早良区、城南区)に分割された際、新西区役所(内浜)への足として「97番」が、
西山・四箇田団地~羽根戸~藤ケ丘団地~中村~下山門~都橋~内浜~姪浜
というルートで運行を開始したが、それ以前は「下山門」「藤ケ丘団地」ともに「狭義の終点」であった(「2番」の終点「羽根戸」も)。
下山門から南にしか出られないというのも今では考えられないが、それだけ当時は、十郎川の対岸を走っていた昭和バス城の原線にも存在感があったということだろう。
当時は「103番」以外にも「100番」「101番」「105番」「113番」などの城南区・早良区・西区方面に向かう「市内急行」が走っていたが、これらはいずれも廃止されるか大幅に縮小されている。
一方で、その後にできた「151番」「152番」「161番」といった南区方面への急行は健在である。
ちなみに「105番」は、地下鉄開通に合わせ、地下鉄に対抗して姪浜と博多駅を202号バイパス(現在はバイパスではなく本線となっている)、城南線経由で結んだ福岡都市圏初(ということは西鉄初?)の「市内急行」である。
この「105番」は、現在でも、「快速」に種別をかえ平日朝上り2本のみになりながら、しぶとく生き延びている。
「市内急行発祥の証」を絶やしたくないという意地のようなものを感じずにはいられず、さながら「走る近い遺産」と言えそうだ。
当時と現在の合計の本数を比較すると、224本から188本に、約16%減っている。
その分、天神から都市高速道路を経由して西区方面に向かう「500番台」が充実しているので、利便性の低下は限定的と思われる。
ただ、現在の188本の中には、「500番台」として天神にやってきた路線の実質折り返し便が午前中を中心に多く含まれていることから、それを考慮すれば、日中の時間帯、六本松あたりから西区方面に向かう際の利便性は低下していると言えるかもしれない。
(つづく)
昭和59年4月27日当時の「103番」「202番」「203番」「204番」の時刻表の一部である。
「警固神社前」(現在の「天神警固神社三越前」)バス停から郊外方面の、当時と現在の行先と平日の運行本数を比較してみると…
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(当時)
「204番」
・六本松、壱岐農協、橋本経由野方行き 31本
・六本松、壱岐農協、橋本、野方経由藤ケ丘団地行き 14本
・六本松、壱岐農協、橋本、野方経由野方台行き 17本
・六本松、壱岐農協、橋本、野方経由西陵高校行き 19本
・六本松、壱岐農協経由宮の前団地団地行き 21本
・六本松、壱岐農協経由拾六町団地団地行き 8本
・六本松、壱岐農協、拾六町団地団地経由野方行き 10本
・六本松、壱岐農協経由下山門行き 9本
「202番」
・六本松、原、むろみ団地経由原北中学校行き 32本
「203番」
・六本松、原経由室住団地行き 15本
・六本松、原、室住団地経由野方行き 17本
「急行103番」
・六本松、原、室住団地経由野方行き 31本
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(現在)
「204番」
・六本松、壱岐農協、橋本経由野方行き 64本
・六本松、壱岐農協、橋本、生松台経由野方行き 8本
・六本松、壱岐農協、橋本、野方経由三陽高校行き 8本
「205番」
・六本松、壱岐農協、宮の前団地経由西陵高校行き 21本
(ただしこのうち4本は「205番」ではなく「エコルライナー」)
・六本松、壱岐農協、拾六町団地経由野方行き 15本
「202番」
・六本松、原、むろみ団地経由原北中学校行き 15本
「203番」
・六本松、原、室住団地経由野方行き 57本(うち深夜バス1本)
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となっている。
住宅地が西へ西へ広がり、それにあわせてバス路線も開設されていく。
それを示すかのように、昭和59年当時、「204番」はかなり複雑化してしまっているが、その後、福重交差点(バス停でいうと壱岐農協前)を左折するものを「204番」、直進するものを「205番」に分割して、現在はいくぶんすっきりしている。
また当時は、「野方台」や「宮の前団地」から先にバスは通っておらず、これらのバス停は「狭義の終点」であったが、その後の生松台やウエストヒルズ(西の丘)などの住宅地開発により、路線が延びている。
また、当時「204番」には「下山門行き」「藤ケ丘団地行き」があった。
昭和57年に西区が3つ(西区、早良区、城南区)に分割された際、新西区役所(内浜)への足として「97番」が、
西山・四箇田団地~羽根戸~藤ケ丘団地~中村~下山門~都橋~内浜~姪浜
というルートで運行を開始したが、それ以前は「下山門」「藤ケ丘団地」ともに「狭義の終点」であった(「2番」の終点「羽根戸」も)。
下山門から南にしか出られないというのも今では考えられないが、それだけ当時は、十郎川の対岸を走っていた昭和バス城の原線にも存在感があったということだろう。
当時は「103番」以外にも「100番」「101番」「105番」「113番」などの城南区・早良区・西区方面に向かう「市内急行」が走っていたが、これらはいずれも廃止されるか大幅に縮小されている。
一方で、その後にできた「151番」「152番」「161番」といった南区方面への急行は健在である。
ちなみに「105番」は、地下鉄開通に合わせ、地下鉄に対抗して姪浜と博多駅を202号バイパス(現在はバイパスではなく本線となっている)、城南線経由で結んだ福岡都市圏初(ということは西鉄初?)の「市内急行」である。
この「105番」は、現在でも、「快速」に種別をかえ平日朝上り2本のみになりながら、しぶとく生き延びている。
「市内急行発祥の証」を絶やしたくないという意地のようなものを感じずにはいられず、さながら「走る近い遺産」と言えそうだ。
当時と現在の合計の本数を比較すると、224本から188本に、約16%減っている。
その分、天神から都市高速道路を経由して西区方面に向かう「500番台」が充実しているので、利便性の低下は限定的と思われる。
ただ、現在の188本の中には、「500番台」として天神にやってきた路線の実質折り返し便が午前中を中心に多く含まれていることから、それを考慮すれば、日中の時間帯、六本松あたりから西区方面に向かう際の利便性は低下していると言えるかもしれない。
(つづく)
また、三陽・西陵高校は、205宮の前団地と上手く組み合わせて効率よく本数を維持したなぁと感じます。
昔は、まさか宮の前から三陽側に回ってくるとは、思ってもみませんでした。
同じく昭和バスが撤退するなんて・・・
>また、三陽・西陵高校は、205宮の前団地と上手く組み合わせて効率よく本数を維持したなぁと感じます。
>昔は、まさか宮の前から三陽側に回ってくるとは、思ってもみませんでした。
たしかに。
やはり今後は他のエリアでも、路線廃止、減便などの前に、既存路線の組み合わせなどで利便性が低下しない方法をできる限り考えてもらいたいものですね。