INSIDE SORAMAME

私の頭の中のキオクを綴っていくつもりです・・

もっと愛をください(4)

2009年07月31日 |    ┣ 愛をください
(つづき)
愛をください」で取り上げた「一頭目の鹿」に引き続き、熊本県熊本市に居る「二頭目の鹿」。

ただし、「一頭目の鹿」と同様、「鹿」の字は「シカ」とは読まず、かつ、「一頭目の鹿」のときとは読み方が異なる。

ここは熊本法務局の最寄バス停であり、私も熊本出張の際にはよく訪れる場所でもある。

「大江渡鹿」を通る熊本都市バス(熊本市営バスの一部を移管した会社)の「第一環状線」の、ここから上熊本駅あたりまでは、狭路市街地の峠道を体験でき、なかなか乗り応えがある。

なお、福岡とは異なり、熊本市のバスは「循環」ではなく「環状」という呼び方が多く使われる。
「第一環状」以外にも、「中央環状」「八王子環状」「藤崎宮環状」といった路線がある。
(つづく)
コメント (2)
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タイムリーヒット(3)

2009年07月30日 |   ┣ タイムリーヒット
(つづき)
30日の記事ということで福岡市早良区の「三十田橋」(さんじゅうだばし)を取り上げてみる。

「三十田橋」バス停は、「橋」を挟んで北側に上り(写真)、南側に下りのバス停があり、両者はやや距離が離れている。

下りバス停は地下鉄七隈線賀茂駅」に距離的に近いことから、駅の最寄バス停として扱われているが、上りバス停まではやや距離がある。
そこで、七隈線開業時に上りのみ「次郎丸中学校前」のバス停が新設され、上りについてはこちらが駅への最寄バス停となった。
このため、地下鉄賀茂駅への最寄バス停は、上りと下りでは異なるという状態になっており、「地下鉄開業は我々とは全く関係ない話なので、従来の枠組みは変えませんよ」とでも言っている感じである。
本来なら、上りの「次郎丸中学校前」と下りの「三十田橋」を、それぞれ「賀茂駅入口」などに改称するのがスマートのような気がするのだが…。

なお、「三十田橋」の南に位置する「田隈新町」についても、上りのみ「田隈新町第二」というバス停が存在する。
この付近は、上りと下りでは停車停留所数が2つも違う(上りのほうが2つ多い)という事態が生じている。

田隈新町交差点北側に、上りのみ存在する「田隈新町第二」は、もともとは「本家」の「田隈新町」であった。
209番」が運行を開始した際、田隈新町交差点の南側に、「田隈新町」の「209番」上り専用乗り場ができ、その後そのバス停に「209番」だけでなく「2番」「201番」なども停車するようになった。
その際、交差点南側の乗り場が「本家」の「田隈新町」となり、北側の乗り場は「田隈新町高石公園前」という「分家」扱いとなり、その後「田隈新町第二」に改称され現在に至っている。

私が幼い頃は、この「三十田橋」バス停がある三十田橋北詰交差点~講倫館南口(かつての西高南口)交差点間の道路はまだなく、今から30年くらい前に、暫定供用の砂利道を車で通った記憶がある。
道路供用開始後は、まず「2番」の田隈経由がここを通るようになった(1980年頃ではないかと思う)。
路線開通前、この「三十田橋」や「平田」のバス停に黒ビニールがかかっているのをワクワクしながら見に行った思い出がある。

なお、その後しばらくして、「三十田橋」バス停が電照式となり、はじめて英字表記が付いた際には「MITODABASHI」と表示されていた。
小さな頃からこういう例をいろいろと目にしてきたので、西鉄のバス停の英字表記に対して、「間違っていて当たり前」「正しい表記を期待するのは酷」という寛容さ(?)が自然と身についてきたのかもしれない(笑)。 
(つづく)
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近い遺産(25)

2009年07月29日 |    ┣ 近い遺産
(つづき)
中間市の「通谷電停前」バス停。

以前取り上げた「犬王」の隣に位置する。
現在はここに香月営業所~中間市街地と福岡(天神)を結ぶ高速バスも停車する。

行先案内にある「黒崎駅前」「折尾車庫前」「水巻駅前」「大膳橋」…いずれも現在はここからバスで行くことはできない
ただ、これらの行先に行けた頃も、通谷団地口~筑鉄中間を通ってJR中間駅の西側へと向かっていたので、かなり遠回りであった。

大まかなイメージで示すと、かつては数字の「6」のような運行経路(「6」の始点が折尾で、交点かつ終点がJR中間駅、円の部分が筑鉄中間~通谷団地口~通谷電停方面)であったのが、現在は小文字の「」(「」の始点かつ交点が筑鉄中間、半円の部分が通谷団地口~通谷電停~JR中間駅方面、終点が香月営業所)のようなルートになっている(←派生や例外もあるので、あくまで「大まかなイメージ」)。

なお、このバス停の行先案内部分は、テープをはがしたような跡があった。
遺産」に手を加えるのは時間の流れを曲げることにもなりかねない。
はがれる」のは仕方ないが、「はがす」のは絶対やめましょう。
(つづく)
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イミカヨミカ(15)

2009年07月28日 |   ┣ イミカヨミカ
(つづき)
福岡県宗像市の「中央公民館前」バス停。

英字表記は「意味重視」ではあるのだが、「CENTRAL PUBLIC HOLL」となっており、試験で書いたら減点されそうだ。

行先案内の部分には、「1-3番」の国立病院行きなど、懐かしい路線が見て取れる。

福岡市中心部と宗像市を旧3号線経由で結ぶ「26番」は、かつては10分間隔で運行されていたが、現在は郊外向けが1日4本だけ(深夜バスを含めると5本)という状態になっており、都市高速・旧3号線経由の「26A」、都市高速・新3号線経由の「赤間急行」に、その地位を譲っている。

バス停の行先案内には「26 福岡天神」「26A 都市高速経由天神」と表示されているが、前述の通り、現存する「26番」は郊外向けのみの運行なので、「26番」はここには停車しない。

行先案内では、「26番」の行先は「福岡天神」、「26A」は「天神」となっている。
宗像市は福岡市と北九州市の中間に位置しており、当初は北九州市のベッドタウンとして発展してきた(宗像市からさらに福岡市側にある旧福間町の原町団地も、もともとは新日鉄の社宅として開発されたらしい)が、近年は福岡市の影響力のほうが優勢となっている。
「福岡天神」は北九州市のベッドタウンの色合いが強かった頃の表現、「天神」は現在の表現といえそうであり、この行先案内にはそれらが混在している。
バス停名の一斉変更の際にも書いたが、これも北九州市の影響力の変化を示す事例といえるかもしれない。
(つづく)
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雨の後、雨の跡、雨の痕。

2009年07月27日 | 日記など
週末の九州北部の豪雨。
被害に遭われた方にはお見舞い申し上げます。

運休などの続出で、西鉄のサイトもかなりつながりにくかったようで、何らかの情報を求めてこのブログにたどりついた方もおられたようだが、何もお役に立てる情報が提供できず申し訳ない。

我が家の近くでも小さな川が溢れて道路が一時通行止めとなった。
その川は氾濫防止のための改修工事を長年にわたってやっているのだが、何のための工事なんだか…という感じである。
次の選挙で政権が変わっても、そういうところは変わらないのかな…。
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シューテングスター(32)

2009年07月25日 |    ┣ シューテングスター
(つづき)
「3番 脇山線」の終点のひとつ、福岡市早良区の「椎原」(シイバラやシイバルではなく、シイバ)。
ここから県道入部中原停車場線をどんどん上って行くと、「板屋」にたどりつく。

現在ここ「椎原」からは、早良営業所までの路線が2系統(脇山小~谷経由と、脇山小~西神の原~陽光台経由)運行されているが、いずれも廃止の検討対象となっている。

「椎原」は、かつて取り上げた「曲渕」と同様、脇山線の末端として有名(?)な場所である。
「椎原」と「曲渕」は、福岡都心部までの路線がなくなるときも、福大病院まで延長されるときも、福大病院行きがなくなるときも、いつも一緒であり、仲の良い「兄弟」のような感じがしていた。
「曲渕」には野河内三瀬方面に向かう昭和バスも走っていたため、西鉄バスの運行本数は長年「椎原」のほうが若干多く、「椎原」のほうが「兄」のようなイメージだったが、近年は「曲渕」のほうがやや「兄」になっている。
兄弟仲睦まじいのは良いことなのだが、廃止の候補にされるときも一緒というのは寂しいものがある。
(つづく)
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もっと愛をください(3)

2009年07月24日 |    ┣ 愛をください
(つづき)
愛をください」で取り上げた「一頭目の熊」に引き続き、熊本県熊本市に居る「二頭目の熊」。

熊本には当然たくさんのが居るので、代表的なバス停を。
といっても、JR熊本駅は市街地からかなり離れているため、「代表的」とするには疑義があるかもしれない。

九州新幹線全線開通、合同庁舎の移転など、熊本駅を取り巻く環境は激変中であり、バス停の「暫定感」もそれを大いに物語っているようだ。
いつの日か、本当の意味での代表的なバス停になる時が来るだろうか…。
(つづく)
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く・ふ・う(11)

2009年07月22日 |   ┣ 工夫とSWEET NAIL
(つづき)
福岡県宗像市の国道3号上の「南郷朝野団地入口」バス停。

現在は「赤間急行」「赤間特急」と、赤間駅南口もしくは赤間営業所と東郷駅日の里口森林都市経由で結ぶ「17番」が停車する。
「17番」は、住宅団地の風景旧街道の雰囲気を同時に味わうことができる路線でありおススメである。

「特急」についての「お知らせ」看板は、方向幕の例示まであってとても丁寧だが、路線図については「左から右」ではなく「右から左」であればもっとポイントが高かったのになぁと思う(あくまで個人的感想)。

ちなみに、当ブログのここ3週間のアクセス状況は以下の通り。

   日付       閲覧数 訪問者数   ランキング
2009.07.12~07.18  8882PV 2323IP 2350位/1262153ブログ
2009.07.05~07.11 10032PV 2311IP 2351位/1259057ブログ
2009.06.28~07.04  7967PV 2270IP 2351位/1255844ブログ

ここ3週間に限らず、最近はとても動きが穏やかであり、安定性という観点ではなかなかの「優良銘柄」である。
「固定客」の皆様に支えられていることを実感しております。
(つづく)
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素顔のままで(6)

2009年07月20日 |    ┣ 素顔のままで
(つづき)
福岡市西区の「保育所前」バス停。

羽根戸から金武方面に抜ける新道」「羽根戸から金武方面に至る新道」という表現で過去二回ほど触れた「新道」に対する「旧道」上にこのバス停はある。
流鏑馬などでも有名な飯盛神社への登り口付近に位置しているものの、停留所名はかなり控えめである。

現在ここには「2番」の羽根戸経由の便が平日8往復、土日祝日6.5往復停車するのみである。
バス停には、郊外行きの「四箇田団地」、都心行きの「西新、天神」が併記してあり(西新止めは現存せず)、「東区役所前」、かつての「太閤水」、県道大野城二丈線上のかつての「野芥」などと同様、1本のバス停で上り・下りを兼ねている。
なお、以前の羽根戸系統は、今年の春の改正時に「田村七丁目」に改称された「羽根戸道」で県道内野次郎丸弥生線から分岐して、農協前~金武小学校~吉武~飯盛~保育所前を経由して「羽根戸」で終点というルートだったため、上りと下りが逆であった。

「1番 野方、橋本、新室見(経由)姪浜」の文字も見えるが、これは、先日取り上げた「97番」からバトンタッチした「1番」が旧道を走っていた頃の名残であり、「四箇田団地」と「西新」の間にうっすらと見える「山」の文字は、「1番」の郊外行きの終点「西山」である。

この付近は市街化調整区域に指定されていることもあり、立地条件の割には田舎の風景が味わえる場所である。
(つづく)
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colors(25)

2009年07月18日 |    ┣ colors&ぐりーん
(つづき)
色付きのバス停、25色目は福岡市西区の「柿色」。

以前の記事に対するコメントでもいただいたが、このバス停は「97番」運行開始時に設置されたと思う。
「97番」は、昭和57年の旧西区の分割(西区、早良区、城南区へ)に際し、区内から新西区役所(内浜)への足として運行を開始した路線である。

現在の「97番」は「姪浜駅南口~内浜西区役所前~都橋~下山門~中村~拾六町団地~野方」というルートで運行しており、ここ「柿の内」は通らないが、当初は「姪浜~内浜~都橋~下山門~中村~(拾六町団地には入らず)~野方」をメインとしつつ、野方終点ではなく、藤ケ丘団地~羽根戸~四箇田団地入口を経由して「西山行き」(南金武のひとつ先にあった終点)と「四箇田団地行き」がそれぞれ一日3本ずつあり、これらの系統が「柿の内」に停車していた。
その後、「四箇田団地行き」がなくなったり、拾六町団地に乗り入れるようになったり、能古渡船場行きや西新行きができたり、「97番」をベースとして都心部まで足をのばす「1-1番」ができたりと(←時系列はいい加減です)、ちょこちょこと変化を遂げている。

さらにその後、西区役所を含む姪浜地区と金武方面とを連絡する役割は、下山門経由の「97番」ではなく、新室見・橋本経由の「1番」が担うようになり、現在に至っている。
「97番」のほうは、地下鉄七隈線開業時には野方から橋本駅まで延伸されたりもしたが、現在は野方までの運行に再び戻っており、本数も「507番」との重複もあるからなのか大幅に減便されている。
ただ、「1-3番」など、「1番」の一部でも全然おかしくないルートであるにもかかわらず、独立した「97番」を付けているところには、一種の「こだわり」のようなものも感じる(実際は、「今さら番号を変えても混乱するだけなので、あえて変えなくてもいい」という程度の理由だとは思うけど)。

またこの間に、羽根戸から金武方面に抜ける新道の開通、「柿の内」バス停そばの野方交差点から北に向かう新道へのバス路線乗せ換え(それまでは「野方天満宮前」バス停などは十郎川沿いの道路上にあった)、「西山」の廃止と金武営業所の開設など、路線を取り巻く環境はいろいろと移り変わっている。

かつては、羽根戸は「2番」の、藤ケ丘団地と下山門は「204番」の、いずれも「狭義の終点」であったが、「97番」が登場したことによりこれらのバス停は「末端」ではなくなっており、「ネットワーク」の構築という観点に立てば、この「97番」が果たした役割は大きいといえる。
このような「狭義の終点」減らしの例としては、最近では「420番」の登場により博多区の板付七丁目が「狭義の終点」ではなくなった。
一方で、免許維持路線「土井営業所→上脇田線」の廃止により、粕屋町の「上脇田」が新たに「狭義の終点」の仲間入りをしている。
(つづく)
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イミカヨミカ(14)

2009年07月17日 |   ┣ イミカヨミカ
(つづき)
北九州市八幡東区の「中央二丁目」バス停。

英字表記は「CYUOU 2CYOUME」となっており、「ナナクマヨトゥカド」「トーゴーエキヒノサトグチュ」などとは異なり、カタカナでは表現し辛い。
「CYU」を「チュ」と読ませている例もたまに目にするが、「チュ」は、ヘボン式なら「chu」、訓令式なら「tyu」だと思うので一般的とはいえず、「減点」の対象といえそうだ。
「中央」において「長音を表記しない」方式を採用している点では「加点」、「丁目」において同方式を採用していない点では「減点」だろうか。

近年北九州地区のバス停の行先案内では、ひとつひとつの行先を表示する方法をやめ、「大まかな方面」のみを表示する方法順次切り替わっているが、このバス停には「大まかな方面」すらなく、真っ白である。
「八幡駅・黒崎方面」とでも表示しておけばよいと思うのだが、このバス停には福岡(天神)への高速バス「いとうづ号」も停車することから、それも踏まえた表示を考えはじめると面倒になってしまったのだろうか??

福岡地区に引き続き、今月21日には北九州地区でも免許維持路線の整理が行われるようである(ただし福岡地区とは違い、路線の新設なども併せて行われる)。
時代の流れと言ってしまえばそれまでなのだが、やはり寂しい。
今回廃止とならない(と思われる)区間については、少しでも長く生き延びてほしいものである。
(つづく)
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チラシのオモテ(50)

2009年07月16日 |    ┣ チラシとキロク
(つづき)
おかげさまで「チラシのオモテ」も今回で50枚目である。
途中、自作のものを2つほど取り上げたが、これらについてはタイトルを「チラシのウラ」としたほうが、文脈的にはよりエレガントだったよなぁと、ひとりでどうでもいい後悔をしている…。

さて今回は、前回までの「桜ケ丘第四シリーズ」のスピンオフとして、昭和59年8月21日現在の「38番」の南福岡駅系統の時刻表である。

「桜ケ丘第四~月隈団地~宝満尾~金隈~西鉄雑餉隈駅入口~電話局南口~南福岡駅」というルートで平日一日3往復が運行されていたが、ごく短命だったと記憶している。
この路線、南福岡駅でJR(当時は国鉄)、もしくは雑餉隈駅で西鉄電車に乗り換えて博多・天神方面に向かうことを想定して開設されたのだろうか。
だとすると、時刻表付属の路線図では、桜ケ丘第四~南福岡駅の所要時間は33分なのに対し、桜ケ丘第四~博多駅は30分(39番)ないし32分(38番)となっており、全く優位性がない。
JRや西鉄で久留米方面に通勤する人にとっては一定の利便性はありそうだが、そこまで需要はなさそうである。
こう考えると、短命であったのも頷けてしまう…。

ただ、この路線や「10番 南福岡駅~桧原」「5番 板付七丁目~大橋駅」「四箇田団地~福大病院」「三陽高校~今宿」のように、「都心直通という“タテ”の壁に風穴を開け、“ヨコ”のつながりをもたらしてくれる路線」たちにはとても魅力を感じてしまうのである。
(つづく)
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シューテングスター(31)

2009年07月15日 |    ┣ シューテングスター
(つづき)
太宰府市コミュニティバス「まほろば号」の「内山(竈門神社前)」のバス停。

竈門(かまど)神社は宝満山の登山口となっており(RKBラジオが毎年開催している「宝満登山会」の集合場所にもなっている)、私もここから何度か山に登ったことがある。

「まほろば号」は、太宰府市内を縦横に走っているが、ほとんどが循環運行なので、「狭義の終点」はかなり少ない。
ここ「内山」は山間部に位置するものの、太宰府の市街地からはそこまで距離がない。
貴重な折り返しスペースの存在という理由もあるのか、1時間あたり2~3本と、かなりの本数が走っている。

太宰府市内を流れる「御笠川」は福岡平野を北西に流れて博多湾へと注ぐが、宝満山を挟んで反対側の筑紫野市を流れる「宝満川」は、筑紫平野を南西に流れ「筑後川」と合流して有明海へと注ぐ。
空から降ってきた雨が、山のどちら側に落ちるかというほんの小さな差によって、全く違うところにたどりついてしまうという、どこか「運命」を感じる現象である(?)。

ちなみに、同じ「登山口」でも、かつて「31番」の終点であった「若杉登山口」へのバスは一日数本であり、しかも末期は、登山ができそうな時間にはバスが走っていなかった。
(つづく)
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梅雨空の西鉄香椎2009

2009年07月14日 |    ┣ ○○の西鉄香椎
今年の春に引き続き、現在の西鉄香椎駅前の様子。

セピア通りから西鉄香椎駅に向かう一方通行道路(西鉄香椎行きのバスが通る道路。先日の交差点からは西にわずか100m)は工事中で切り回しが行われており、このあたりの風景も変貌を遂げそうな気配である。

一方で、バス停の行先表示には「2番」の「青柳四角、JR古賀駅」がまだ残っていたりする。

今思えば、この「2番」、そして「西鉄香椎~マリノアシティ線」が走っていた頃は、IIKもずいぶんと高かった。
もっと遡れば「230番」「28番」、そして「27番」(現在のものとは異なる「西鉄香椎~土井」)などもここを発着していた訳で、「拠点性」はかなり低下している。
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近い遺産(24)

2009年07月13日 |    ┣ 近い遺産
(つづき)
福岡市東区のJR香椎駅を出て一つ目の交差点(セピア通りと県道町川原福岡線が交差する交差点)の南行き道路(香椎参道の踏切方面へ通じる決して広くはない道)に設置されている標識(ちなみにこの看板があった店のすぐそば)。

大型車通行止めの標識の下に「路線バス・マイクロを除く」とある。
現在この道路には路線バスは走っていないのだが、交通規制的には、バスが走ってもOKとなっているようだ。

昔の地図で、この交差点から香椎参道の踏切までの間にバス路線がひかれているものを見たことがあるので、かつてここに路線バスが走っていたときの交通規制が現在もまだ活きているということなのかもしれない。
ここから西に約300mに位置する現在の国道3号ができる前は、こちらの道路(県道町川原福岡線)がメインだったはずなので、狭い道とはいえバスが走っていたとしても全然不思議ではないのだが、私自身はどのような路線が走っていたのか知らない。
ここに走っていたバス路線についてご存知の方がいらっしゃったら、ぜひ情報をお寄せください。
(つづく)
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