INSIDE SORAMAME

私の頭の中のキオクを綴っていくつもりです・・

see the light of day(3)

2011年10月05日 |    ┣ 思惑と提案
(つづき)
過去記事に光を当てるシリーズの3回目。

今回は、過去に書いた記事に一部加筆&再構築することにより、天神地区の「バス乗り場」について思うところをまとめたみた。

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西鉄バスの現在の「天神北」バス停は、かつて「天神(ショッパーズ前)」だった。
また、現在の「天神警固神社三越前」は「警固神社前」であり、「天神南」と「天神一丁目」はかつては「渡辺通四丁目」だった。
この変更は、1997年9月、ソラリアターミナルビルのオープンとともに行われた。
すなわち、「天神(ショッパーズ前)」が「天神北」となることで、マツヤレディス、フタタ、ショッパーズダイエーなどがあるエリアは天神地区の「はずれ」として位置づけられたことになった。
逆に、天神の南側の「警固神社前」や「渡辺通4丁目」など、それまで天神の名を冠していなかったエリアに「天神」の名がついた。
それまでのパラダイムが大きく転換した瞬間である。
ここ10年~15年の天神地区は、人の流れが変化し、「天神地区の重心が南に動いている」と言われてきた。
この背景には、バス停名を変えることによる心理的な誘導作戦もあったのではないだろうか。

現在、「天神」地区にはたくさんのバス停があり、「乗り場番号」で区別されるとともに、「天神協和ビル前」「天神新天町入口」「天神大和証券前」など、「天神」の下に様々なコトバが付くことによっても区別されている。
ただ、「天神○○」というのが、「天神」という大きなカテゴリーの中のひとつの乗り場である場合(Aとする)と、「天神」とはまた別のバス停として扱われる場合(Bとする)がある。
「天神協和ビル前」「天神新天町入口」「天神大和証券前」などはAであり、ここではその意味で、「天神(協和ビル前)」「天神(新天町入口)」「天神(大和証券前)」と表現することにする。
「天神コア前」もAなのだが、「天神コア」という建物の前にあるバス停なので、意味的には「天神(天神コア前)」となり、呼び方を厳密にすれば「天神天神コア前」ということになる。
「天神バスセンター三越前」も同様に、「天神天神バスセンター三越前」ということになる。
ただし、「天神郵便局前」は、その前にある郵便局は「天神郵便局」ではなく「福岡中央郵便局」なので、意味が「天神(郵便局前)」だと考えれば、呼称が「天神郵便局前」でも一応問題はない。

この考えを援用すると、「天神三丁目」もAなので、意味は「天神(天神三丁目)」、呼び方は「天神天神三丁目」ということになるのだが、「天神(三丁目)」だと解釈すれば「天神三丁目」という呼び方でも一応矛盾はない。
一方で「天神四丁目」はBであり、「天神(四丁目)」ではなく、意味的にも呼び方的にも「天神四丁目」で正解となる。

「天神北」は、もともと「天神(ショッパーズ前)」でありAであったものが、先に述べた「天神の重心を南に移そう」という「策略」(?)のもと、「天神」から外れたような名前に変わったものであり、AからBに一歩足を踏み入れたような位置付けになっているのだが、運賃などの面からみると依然Aに属すると考えられるので、意味的には「天神(北)」ということになる。
もともと「渡辺通四丁目」だったバス停のうち、現在の「天神南」はB、現在の「天神一丁目」はAに、それぞれ属している。
上記「策略」により、外見上どちらもAになったようにもみえるが、実態は依然として「天神南」はB、現在の「天神一丁目」はAであり、前者は「天神(南)」ではなく「天神南」、後者は「天神(一丁目)」ということになる。
ちなみに、北九州市戸畑区の「天神四角」は「天神(四角)」ではなく「天神四角」、春日市の「天神山」は「天神(山)」ではなく「天神山」、熊本市の「味噌天神」は「(味噌)天神」ではなく「味噌天神」である。

ここ最近まで続いてきた北天神地区の衰退を伴う天神の重心の南下は、今後もずっと続いていくという訳でもなく、ある程度のところで限界点を迎えている感がある。
また、南とともに西にも及んでいた面的な拡大も、天神地区以外のライバルの台頭もあり、波がひくように再び東に戻ってきている(なお、ここでの方角は、実際の方角ではなく福岡仕様)。

今後、天神地区の来街者数を維持し、バスによる回遊性をより高めていくためには、上で述べたような「天神」という名前を冠していても「天神」とは扱われないバス停があるというようなわかりにくい状況に早々にピリオドを打ち、「天神」というバス停をもう少し拡大解釈する必要があるのではないかと思う。
例えば、現在Bに属している「市役所北口アクロス福岡前」「天神四丁目」「西鉄グランドホテル前」「那の津口」「渡辺通二丁目」などもAに編入すれば、博多駅~西鉄グランドホテル前間や赤坂門~市役所北口アクロス福岡前(西鉄イン福岡最寄りのバス停)などが100円で移動できるようになり、都心部内をバスで移動することの後押しになるのでは?といつも考えている。

また、かつての「8番 荒江循環線」のように、「赤坂門~天神~警固神社前(現在の天神警固神社三越前)」のような、「天神をまたぐカタチでの都心部内の移動(以下、TMIと呼ぶことにする)」の手段を提供していくことも必要なのではないだろうか。
現在、天神地区にこれだけ大量のバスが乗り入れているにもかかわらず、「TMI」が可能な方向は限られており、天神で一回降りて、乗り換えのために乗り場の間をかなり歩くということも多い。
60番 桧原循環線」が健在の頃(厳密には、その後を受けた「61番」西公園行きの廃止まで)は、「赤坂門~天神~渡辺通一丁目」という移動が可能であったし、「72番」の渡辺通一丁目行き、「34番」の福岡競艇場行きなどがあった頃は、天神より東側の昭和通り(蔵本方面)から天神の南北地区への移動ができた訳で、今と比較すれば「TMI」の選択肢がかなり多様だったといえる。
「TMI」の選択肢が増えることは、すなわち、天神地区の交差点でいろんな方向に曲がるバスが出てくることを意味するため、そのことが「さらなる渋滞の原因になる」という懸念や批判もあるだろう。
ただ、何事も「バランス」なので、現時点で過剰と思われるものを調整するなどして「TMI」を高めて、バスを都心部内の移動手段としてもっと有用なものとすることについても検討する余地はあるのではないだろうか。
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(つづく)


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6 コメント

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Unknown (れぱん)
2011-10-04 16:42:21
バス停留所の名称・・・北九州市戸畑区の「天神四角」・・・このバス停留所、何年前かな?戸畑中央高校下?から名称がこのように変更されたわけなんですけど(学校名が変わったというのもありますね)、いまだにピンときませんね。ジモティーには、「北交の前んとこね」的な概念の方が場所を説明しやすいんです、北交とは北交大和タクシーの略称です。
よくよくバス停留所の名前とは、面白いつけ方しているなと思うのも時々ありますね。その反対で、「しょーもない」名称も多いですね。
天神のバス停留所・・・多すぎて、ジモティー以外の方は、混乱すると思います。
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Unknown (Tokyo Chikushi)
2011-10-05 08:41:06
長文になるかも…

この記事を読んで、昔読んだ本の記述を思いだしました。書庫に行ってその本を捜しだしてきました。「さよならチンチン電車 電停風土記・電車博物記 読売新聞福岡総局編 1975」(赤間関書房)1975.11.30。
市内電車の貫線、呉服町線、城南線が廃止され、いよいよ電車の全廃が現実味を帯びてきた時に、廃止を惜しんで出版された本で、全265ページです。

この中の「那の津口」電停の記述。忠実に書き写します。
「天神に来る客足が北に伸びるとは、大型スーパーの出現まで考えられないことだった。客は続々と群れをなして天神から北へ歩き始めた。お陰で、乗降客があまりなかった那の津口電停は、急に脚光を浴び、“北天神電停”になった。・・・」
そして「那の津口」のタイトルの下に、「今や“第2の天神”」とサブタイトルがついています。添付されている写真は、買い物袋をぶら下げた女性が大勢列をなして電車に乗っていく様子が写っており、その説明文に「ダイエーが那の津口の人の流れを変えた」と。

現在の状況を考えると、まさに時の流れを感じてしまいます。

でも、実は「大型スーパー」により天神の重心が北に移る7~8年前には、重心がやや南へ移動した時期がありました。大牟田線の電車が高架となり、名店街ができ、さらに南のバスセンターの地下に「味のタウン」ができた時、この時今の岩田屋の本館と新館の間の道(新しく名称がついたのでしたね)を越えて人の波が少しだけ南へ行くこととなりました。

この50年間に、天神の重心は、やや南へ移動、次に北へ移動、そしてまた、大きく南へ移動したことになります。
次に北へ移動するのは、「福岡五輪」が実現する時だと思っていましたが、かないませんでした。

明治通りと渡辺通の交差点でのバスの運行方向の自由度が小さいのは、明治通りの道路幅の狭さも要因でしょうが、市内電車の運行方向が今だに無意識のうちに残っているような気がします。
電車はそれぞれの道を直線で突き抜ける以外は、明治通りの東方向と渡辺通の南方向を結ぶものしかありませんでした。
そんな中、60番は異彩を放っていましたね。9番というのが短命ながらあったような気もします。それから49番も南から上がってきて交差点を左折し西公園方向に向かっていませんでしたか?
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はじめまして (ふくふく)
2011-10-08 00:03:30
以前は「天神メリルリンチ日本証券前(運賃表上では略して天神メリル)」、「天神愛眼メガネビル前」という、インパクトがあるバス停がありましたよね。知名度アップにはいいと思いますが、長すぎるのもどうかと思います。
あと天神のどこかバス停で昔「MMファンドでお馴染みの山一証券前」って聞き覚えがあります。
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Unknown (soramame)
2011-10-09 00:06:17
れぱんさん、こんにちは。

>よくよくバス停留所の名前とは、面白いつけ方しているなと思うのも時々ありますね。その反対で、「しょーもない」名称も多いですね。

たしかに。
味のある名称から、何も思い浮かばなくて適当に付けた感じの名称まで様々ですね。

>天神のバス停留所・・・多すぎて、ジモティー以外の方は、混乱すると思います。

何十年も前から、「わかりにくい」という意見は常に出ている訳ですが、特に何も変わらないまま現在に至っていますね。
あ、何も変わらないまま、というのはやや失礼かもしれません。
ただ、乗り場の抜本的な変更などは行われず、従来の枠組みは維持しながら、「案内」のほうを充実させるという方針がとられているようです。
路線が「固定」されていれば、乗り場の整理も考えやすいのかもしれませんが、路線自体が頻繁に変わる「流動」が常になっている現状ではなかなか難しいのかもしれませんね。
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Unknown (soramame)
2011-10-09 00:06:21
Tokyo Chikushiさん、こんにちは。

本の紹介ありがとうございました。

ダイエーの登場は、かなりインパクトがあったんですね。
このときの重心移動は、天神自体の北への「拡大」という側面がまだ強く、どっちかが栄えるとどっちかが衰退するという現代とは、やや構図がやや異なるのかな?などという気もしております(想像ですが)。

>明治通りと渡辺通の交差点でのバスの運行方向の自由度が小さいのは、明治通りの道路幅の狭さも要因でしょうが、市内電車の運行方向が今だに無意識のうちに残っているような気がします。

たしかにそれはあるのかもしれませんね。
それに、天神、博多駅、県庁の位置関係は変わらない訳ですから、それを前提とすれば、方向も自ずと決まってくるという面もあると思います。

>9番というのが短命ながらあったような気もします。それから49番も南から上がってきて交差点を左折し西公園方向に向かっていませんでしたか?

9番は、渡辺通一丁目の再開発完成に伴い走り始めた路線だと聞いたことがあります(私の少年時代までは、まだ健在でした)。
49番が、西新、飯倉に向かっていたときのことは、2008年6月6日の記事に書いております。
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Unknown (soramame)
2011-10-09 00:06:34
ふくふくさん、はじめまして。
コメントありがとうございます。

>以前は「天神メリルリンチ日本証券前(運賃表上では略して天神メリル)」、「天神愛眼メガネビル前」という、インパクトがあるバス停がありましたよね。知名度アップにはいいと思いますが、長すぎるのもどうかと思います。
>あと天神のどこかバス停で昔「MMファンドでお馴染みの山一証券前」って聞き覚えがあります。

天神メリルについては、2008年10月11日の記事をご参照ください。
天神ではほかに、西鉄名店街前、信用金庫前、ソニービル前、東海銀行前…などもありましたね。

山一証券前は、現在の郵便局前の西行き乗り場が、かつてはそう呼ばれておりました。

今後とも、よろしくお願いします。
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