INSIDE SORAMAME

私の頭の中のキオクを綴っていくつもりです・・

no alternative(25)

2024年05月26日 |   ┣ no alternative

(つづき)
「西鉄三苫駅」にしか行くことができない“no alternative”な路線図。


「美和台二丁目」。


23番」と「23A」の終点の一つ手前。
「美和台循環バス」の廃止から既に7年以上が経過。
全国的に路線バスの減便・廃止で住民が不便になることがクローズアップされていますが、住民の利便性向上を考えて走らせた路線があまり利用されずに廃止になった例も相当あるわけで、なんとも複雑。


ここから「アイランドシティ方面」に行くことができたのは2019年春まで
アイランドシティ方面に向かう「210番」「220番」は、現在は、次の西鉄三苫駅が始発に。


久原と山田で久山警固と弥永と東郷で警弥郷朝町と野坂で朝野宮田と若宮で宮若福間と津屋崎で福津…のように、三苫の「み」と和白の「わ」で美和台
ちなみに、多々良と津屋で多の津…ではないようです。

なお、三苫の「み」といいながら、あてられた漢字は「美」。
近くの住宅団地「高美台」も、過去の地名が「大字上和白字高見」だったことに由来するそうだが、こちらもあてられた漢字は「見」ではなく「美」。

他にも、小郡筑紫野ニュータウンの「美しが丘」「美鈴の杜」「美鈴が丘」の「美」は「三国」から来ていると思われるなど、住宅団地の名前に「美」を入れると成功するというジンクスみたいなものがあったのかなかったのか。

ただ、蓑島が美野島、産みが宇美など、地名に「美」を入れたい欲求は人々の心の中に昔からあるのかもしれません。

(つづく)

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趣に赴く(90)

2024年05月04日 |    ┣ ひっそりと趣に赴く

(つづき)
京の隈」で取り上げた“右さいふ 左はかた”の道しるべに続いて、こちらは福岡市東区多の津にある “右いの大神宮”の道しるべ。

 
旧唐津街道から、猪野皇大神宮方面への分岐点。


左が旧唐津街道、右が猪野方面。
左は、現在も県道町川原福岡線

「青柳四角」の記事で、
“さらに、昭和3年になると薦野に車庫ができ「薦野~千代町」「薦野~米多比~青柳町~古賀駅」「薦野~米多比~筵内~古賀駅」のバス路線が運行されるようになったとのことで、福岡市との間の路線は消滅したものの、それ以外は、現在の路線網にほぼそのままの形で受け継がれている”
と書きましたが、「薦野~千代町」の路線は、ここを走っていたと考えられる。

また、「八尻」の記事では、
“なお、県道町川原福岡線は、西鉄香椎から先は旧「70番」のルートとほぼ重なります”
とも書きました。
道路整備が進んで、「薦野~福岡線」が香椎から福岡市中心部間は国道3号を走るようになると、


旧ルートは「70番」に引き継がれた・・という流れではないかと。
なお、「70番」という番号は昭和40年代前半に付けられたものなので、引き継がれた当初は番号なし、もしくは他の番号だったと思われます。

 
左に向かって、国道201号を横切って、

 
傷んでいるという大橋を渡ると、


「多々良大橋」。
かつては、単に「大橋」という名称でした。
旧「70番」では3つ先だった「中学校前」が「多々良中学校前」になったように、抽象名称を具体化したという側面もあると思いますが、


「大橋」は町名でもあったようです。

 
バスのルートは少しずつ乗せ換えられ、この付近では県道町川原福岡線(青いほう)ではなく川沿いの道路(赤いほう。こちらも県道ですが)を走っています。
かつてはここから松崎、火の見下、子供の家前、中学校前、水谷、香椎参道まで一続きの道路でした。
五十川とか、南片江とか、道路整備により“一続きの道路”ではなくなることで時代の流れを実感します。
今後は、やよい坂友泉亭などでもそのような思いを抱くことになるのかも。

  
天神、千早駅方面。

   
土井団地方面。

「70番」の流れを汲むのは「3番」
現在は、一日数本しか運行されていないが、そんな路線が100年前まで歴史を遡れるということに感慨を覚え・・ませんかね?

オートザム!これにも感慨。
(つづく)

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