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(つづき)
昭和58年3月22日当時の「58番」及び「69番」の時刻表の一部。
このとき福岡市営地下鉄1号線(現在の空港線)が姪浜まで開通したことにより、国鉄筑肥線の姪浜~博多間が廃止となり、代替バスが走るようになった。
代替バスは、旧筑肥線の区間をなるべく忠実にたどる「69番」と、その派生で、より利便性を追求した「11番」と「58番」の3路線であった。
ちなみに「11番」の番号は、それまで現在の「96番 藤崎~長住線」が使っていたが、このときの改正で「11番」から「96番」に改番となった。
「69番」は当初、【姪浜駅~藤崎~昭代~小笹~百年橋~博多駅】、及びその派生である【下長尾~小笹~百年橋~博多駅】という2系統でスタートした。
その後、下長尾系統が桧原営業所まで延び、また西側は藤崎までの運行となり(ほんの一時期、野方まで行っていたこともあったが)、現在は桧原行きが「69番」、藤崎行きが「69-1番」に分割され、本家が分家に乗っ取られたようなカタチとなっている。
藤崎発の時刻表によると、当時「69番」の都心部向けは平日59本(うち快速が7本、白金二丁目[現在の那の川二丁目。かつて高宮営業所があったところ]止めが4本)も運行されていたことがわかる。
現在は平日20本なので、ほぼ3分の1に減っている。
旧筑肥線の姪浜~博多間が当時どのくらいの本数があって、福岡市内の移動でどのような利用がされていたのかはよくわからないのだが、今から考えると当時の本数はかなり過剰に感じられる…。
なお、代替バスの「11番」は、現在のルートとほぼ変わらない(ただし、郊外部が昭代三丁目から藤崎[上りのみ能古渡船場]まで、都心部が博多駅から中央埠頭まで、それぞれ延びた)。
「58番」は、現在は各停の終日運行(一部快速あり)だが、当時は快速のみであり、通勤時間帯のみ【下長尾~小笹~薬院駅~博多駅】というルートで運行されていた。
(つづく)
昭和58年3月22日当時の「58番」及び「69番」の時刻表の一部。
このとき福岡市営地下鉄1号線(現在の空港線)が姪浜まで開通したことにより、国鉄筑肥線の姪浜~博多間が廃止となり、代替バスが走るようになった。
代替バスは、旧筑肥線の区間をなるべく忠実にたどる「69番」と、その派生で、より利便性を追求した「11番」と「58番」の3路線であった。
ちなみに「11番」の番号は、それまで現在の「96番 藤崎~長住線」が使っていたが、このときの改正で「11番」から「96番」に改番となった。
「69番」は当初、【姪浜駅~藤崎~昭代~小笹~百年橋~博多駅】、及びその派生である【下長尾~小笹~百年橋~博多駅】という2系統でスタートした。
その後、下長尾系統が桧原営業所まで延び、また西側は藤崎までの運行となり(ほんの一時期、野方まで行っていたこともあったが)、現在は桧原行きが「69番」、藤崎行きが「69-1番」に分割され、本家が分家に乗っ取られたようなカタチとなっている。
藤崎発の時刻表によると、当時「69番」の都心部向けは平日59本(うち快速が7本、白金二丁目[現在の那の川二丁目。かつて高宮営業所があったところ]止めが4本)も運行されていたことがわかる。
現在は平日20本なので、ほぼ3分の1に減っている。
旧筑肥線の姪浜~博多間が当時どのくらいの本数があって、福岡市内の移動でどのような利用がされていたのかはよくわからないのだが、今から考えると当時の本数はかなり過剰に感じられる…。
なお、代替バスの「11番」は、現在のルートとほぼ変わらない(ただし、郊外部が昭代三丁目から藤崎[上りのみ能古渡船場]まで、都心部が博多駅から中央埠頭まで、それぞれ延びた)。
「58番」は、現在は各停の終日運行(一部快速あり)だが、当時は快速のみであり、通勤時間帯のみ【下長尾~小笹~薬院駅~博多駅】というルートで運行されていた。
(つづく)
博多駅工事前には、69番だけは博多口まで足を延ばしていましたが、
これは筑肥線代替だからということなのでしょうか。
でも実際に筑紫口を乗り越して博多口まで乗り通した人はいなかったのではないでしょうか。
あまり現実的な施策ではなかったような気がします。
設定当初の本数が多かったのは、
市交通局の都合で廃止になった国鉄線を、
民間企業である西鉄が代替したことで、
福岡市からの補助金が出たからなのかなという気もします。
それも年数が決められていて、
代替後何年間かは補助金で運用し、
その後、自力運用に移行。
その時には利用者数が減少しており、
本数もそれに従って削減というかたちに思えます。
おぉ!
これは私の最寄路線(69番ネ)ではないですか^^
博多口までの件ですが、私はよく
乗ってましたよ~。
他に乗っている人はいませんでしたが…(汗)
某、古本屋に行く時とかに利用していました^^
藤崎行きは意外に利用者が居たりします。
まあ、だいたいの人は途中で降りますが・・・
私的にはもう少し藤崎行きを増やして
ほしいなぁ~と思います・・・
まあ、桧原行きの方が乗車率はいいですが…
たしかに補助金の関係もあるのかもしれませんね。
代替路線のために新たに営業所をひとつ作るというのもすごいことでしたし。
廃止から25年以上経った今でも、細々とでも運行開始時のルートがそのまま残っているということのほうが特筆すべきなのかもしれませんね。
まあ、本当の意味での筑肥線代替なら、弥生二丁目から西は7番のルートに変更しないといけないはずなのですが…。
たくとんさん、こんにちは。
たしかに藤崎行きはガラガラという訳でもなく、そこそこ乗っている感じはしますね。
藤崎行きを利用している人に、かつてこの区間の筑肥線を利用していた人も少なからずいるんでしょうかね?
そういうことを想像するとなかなか面白いです…(私だけ?)。
知ってるつもりで知らないことが多いものです(^-^;)
58番ができた当初は、方向幕の番号も代替であることを示す表示(青丸に白数字)だったと思います。
でも今では代替路線の面影はまったくないですね…。
「天神~渡辺通~那の川~平尾~小笹~北片江~片江営業所」という「65」がその少し前になくなっていたような気も・・・・。
ちなみに旧・筑肥線は1時間に1本(ラッシュ時に2本)だったと思います。
「西高下」同様、「小笹団地東門」止めのバスも現在ではなくなってしまいましたね…。
栗田ジュニア長男氏のクロスの番組は秋からも続くでしょうかね?
筑肥線の運行本数はそんなもんだったんですか…。
末期の国鉄だから仕方ないのかもしれませんが、もっとちゃんと運営していれば廃止する必要もなかったのかもしれませんね。
あと、急行「平戸」という列車も走っていました。
博多~姪浜~筑前前原~東唐津(旧駅)~山本~伊万里~松浦~平戸口~佐世保~早岐~大村~諫早~浦上~長崎という大回りをした路線だった。
ちなみに、別府二丁目バス停の裏にあった「鳥飼駅」は姪浜~博多間では最も乗降数が多かった気がします。
レールバスなどに転換していれば、最短距離で福岡空港まで行けた気もします。
栗田長男さんは1学年上、二男は1学年下でしたけど、クロスFMではどうなんでしょうね?。
引越しする前、朝の通勤時に小笹付近でよく藤崎行きとすれ違ってましたが、
中村高校への通学生が何人か乗っているようです。
西新駅は何度か利用した記憶があります。動物園(小笹駅)に行く時とか・・・
あと、駅止めの小荷物を引き取りに行った事もありますよ。
筑肥線の廃止、ホント勿体無いですね。
>69番は、のこ渡船場行き(発は不明)が2本位あった時期もありました。
言われてみればそんな気がします。
かなりの遠回りですよね。
>西新駅は何度か利用した記憶があります。動物園(小笹駅)に行く時とか・・・
私も何度か利用したことがあります。
たしか最後までとても古かったですよね。
>筑肥線の廃止、ホント勿体無いですね。
ほんとそうですよね。
交通計画の長期的な展望のなさを感じます。
うまく利用すれば、七隈線の投資額を抑えることもできたでしょうに…。