INSIDE SORAMAME

私の頭の中のキオクを綴っていくつもりです・・

続・ひっそりと(14)

2011年02月25日 |    ┣ ひっそりと趣に赴く
(つづき)
福岡市城南区の「東七隈」バス停。

行先案内の部分には、「140 茶山、明治通(経由)天神」「3 干隈、荒江四角(経由)西新、天神」と書いてあって、たくさんバスが来そうな感じもするが、実際は、各系統それぞれ一日一本ずつで、計3本しかない。
福大前~東七隈~小松ヶ丘方面」に運行する「12番」や「16番」などが停車するほうの「東七隈」は、かなりの本数がやってくるが、「福大通り」の東七隈交差点と七隈四角交差点の間にあるこののりばは、長らくこんな感じである。

ずいぶん前の記事で、“多くのバスが通る2つの道路に挟まれた地域は、相対的に本数が減る傾向にある。多くのバスが通る道路まで歩けばよいのだから、そのバス停単独でみると利便性の低下は限定的なのかもしれない。ただ、本来は、タテとヨコの軸が連携して「ネットワーク」が生まれるのであり、タテばかり充実してヨコがスカスカとなってしまっては、「本数の割りに使い勝手が悪い」という状況が進んでしまい、効率は良くないと言える”と書いたことがあった(「700番」の登場で、ヨコの軸も一応カタチが整ったので、「700番」がもし本格運行されれば、既存の他のヨコ軸ルートがさらに縮小されてしまう可能性はあると思う)。

同じ「福大通り」上の、七隈四角交差点から先の干隈三叉路までの区間は、まさにそんな場所で、かつては「14番」の「飯倉営業所行き」や「3番」の「椎原曲渕~福大病院」なども走っていたが、現在は「3番」の「福大前~東七隈~七隈四角~干隈~荒江四角~西新~天神」が2.5往復走るだけである。
一方の、ここ「東七隈交差点~七隈四角交差点間」については、かつてはたくさんバスが走っていたものが衰退した…というよりは、ずっとひっそりとしている感じである。

とはいえ、私が子供の頃は、「3番」の「片江営業所~福大前~東七隈~七隈四角~干隈~荒江四角~西新」という系統が日中も一時間に一本程度運行されていたと思う。
そしてその後、既存の「3番」の日中の便を全て振り替えるというカタチで、「95番」(片江営業所~福大病院~七隈四角~茶山~別府四丁目~荒江四角~脇山口藤崎。現在は藤崎ではなく、福岡タワー南口まで運行)が登場して以降、「3番」の福大系統は一日数本という状態が続いている。
なお、「3番」の福大系統は、数年前(このブログを始めるよりも前だとは思いますが、具体的なことは覚えておりません…)に一旦廃止となったことがあり、その後再び復活して現在に至っていることから、一定の需要はあるのかもしれず、計り知れない生命力のようなものも感じる。

「95番」が登場したのは、昭和58年の国鉄筑肥線の姪浜~博多間廃止により「11番」から番号を変えた「96番」、昭和57年の西区の分割により誕生した「97番」よりも前だった…ような気がするのだがどうでしょうか(西区の分割前、現在の城南区のエリアから西区役所がある藤崎に行く路線として開設された…と考えれば、合っている気もする)。
94番」(片江営業所~油山団地~堤~北片江~田島~城南区役所前~鳥飼~西新パレス前。現在は福岡タワー南口まで)の登場は、「95番」「96番」「97番」よりも遅かった…ような気がするのだがこれもどうでしょうか(これも、「4」という数字を飛ばして付ける傾向からすると合っている気もする)。

このバス停は「福大通り」上に立って(建って)いるが、「福大通り」とは、城南区の片江一丁目交差点(バス停でいうと「北片江」の近く)から干隈三叉路交差点までの区間に付けられた福岡市の「道路愛称」である(ちなみに、私が子供の頃は、「福大通り」のうち、現在「16番」のルートとなっている片江一丁目交差点~小松ヶ丘交差点間の道路はまだ開通していなかった)。
片江一丁目交差点から東の南区清水四ツ角交差点までは「大池通り」、その先、博多区の国際線北口交差点までは「きよみ通り」という愛称が付いている。

愛称が付いた時期は、「大池通り」(昭和54年)が先で、その後「福大通り」(平成元年)、「きよみ通り」(平成6年)と名前が付いていった。
「きよみ通り」~「大池通り」~「福大通り」は一続きの道路なので、全区間「大池通り」ではダメだったのだろうか?ということをたまに考える(今から変えたほうがいいと言っている訳ではありません)。
市内の道路が長い区間一本でつながっているということがイメージできれば、一般の人が道路を「軸」として認識しやすいのではないだろうか。
同様に、城南区の別府六丁目交差点から東区の千早駅裏までの区間についても、全区間「百年橋通り」としては?というのはやや乱暴だろうか。
「別府橋通りと今宿新道」、「パピヨン通りと吉塚通り」なども同様で、「一本でつながっている」という道路の“連続性”というものにもう少し価値を見出だしてもよいのでは?という気がしている。
まあ、「一本でつながっている」とはいっても地域の表情は移り変わっていく訳なので、「連続性」よりも「地域性」を重視したほうがよいのだという考えもわかるのだけど。

ちなみに、この「東七隈」バス停の向かい側は「松山」という町名である。
「松山」は、城南区の中で唯一バス停名として使われていない(「堤団地」など、団地名が町名となっているものを除く)町名であることから、私にとっては近そうで遠い場所である(笑)。
(つづく)

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10 コメント

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堅粕 (ちくしの疾風)
2011-02-24 17:44:59
それに近いバス停は堅粕もそうですね。
たしかに博多駅から東光町までの間かなり回り道をするというのか両バス停との距離がそんなにないのかかなり本数が少ない43番のみがひっそりと立ち寄っている博多駅の路地裏バス停という感じがします。
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Unknown (原住民)
2011-02-24 23:59:12
こんにちは。
道路愛称の再検討については個人的に同感です。
各道路愛称が命名された当時とは構造や接続が変更された道路や,個人的に違和感のある名付けがされた道路もあります。
歴史的経緯や実際の呼称状況等を踏まえた再検討がされれば…と“妄想”する次第です。
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全区間「大池通り」 (すとれいしんぐる)
2011-02-25 00:04:25
soramameさん、こんにちは。

> 全区間「大池通り」ではダメだったのだろうか?

というお考えですが、私もたまに思ったりしますね。
片江一丁目交差点から西がなぜ「福大通り」で、清水四つ角交差点から東がなぜ「きよみ通り」なのかは、「大池通り」と命名された当時(「福大通り」も「きよみ通り」も分断状態だった)の実情を知らなかったら、確かにわからないと思いますし。

しかし、別々の愛称が付いてしまったのも、折々の実情からそうなってしまったから仕方がないと割り切って考えるようにしています。
そうでもしないと、他にも、道なりに走ると違う愛称の通りになってしまったり(「昭和通り」~「明治通り」とか、途中で繋がっていませんが「渡辺通り」~「日赤通り」~「高宮通り」とか、あと反則技(?)として「よかトピア通り」~「マリナ通り」とか)、いきなり曲がってたり(「城南線」とか「大正通り」とか「空港通り」とか)などの突っ込みどころは、結構ありますからね…。
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Unknown (soramame)
2011-02-25 23:08:16
ちくしの疾風さん、こんにちは。

>それに近いバス停は堅粕もそうですね。

私の解釈は違って、堅粕は、“ずくそばにある「都心」との位置関係、道路の角度によってバスが通らなくなってしまった場所”(他の例としては、旧市民会館前や萩崎町など)と考えています。
これに対して、ここ東七隈~七隈四角や、屋形原~柏原、野芥~田隈小学校などは、“放射線と環状線のアンバランスによってバスが通らなくなってしまった場所”といえるかと思います。
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Unknown (soramame)
2011-02-25 23:09:00
原住民さん、こんにちは。

>各道路愛称が命名された当時とは構造や接続が変更された道路や,個人的に違和感のある名付けがされた道路もあります。
>歴史的経緯や実際の呼称状況等を踏まえた再検討がされれば…と“妄想”する次第です。

私も同感です。
愛称によって、地域の住民が道路を身近なものと認識して、愛着がわいて、ゴミが落ちていれば拾うとか、違法駐車はしないとか、個人の「心がけ」に作用して、市の管理コストが下がって便益が最終的に市民に帰ってくる…みたいになれば、それが本当の意味での「愛」称なのでしょうね(そういう私自身は福岡市民ではないのですが笑)。

そういう意味では、あまり長い区間よりも、適当なところで区切ったほうがいいのかなとも思います。
でも、時間が経過しても愛称として定着していないような名称については、一度再検討してもいいのかもしれませんね。
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Unknown (soramame)
2011-02-25 23:09:26
すとれいしんぐるさん、こんにちは。

>しかし、別々の愛称が付いてしまったのも、折々の実情からそうなってしまったから仕方がないと割り切って考えるようにしています。

たしかにそうですね。
当初決まった区間から延長したり短縮したり経路を変えたり…ということは、これまで行われていないみたいなので、仕方ないのかもしれませんね。

>突っ込みどころは、結構ありますからね…。

たしかに。
昭和通りと明治通りも、全く事情を知らない人からすれば、どうして?って感じかもしれませんね。
2番のバスは、昭和通り経由といいながら、明治通りもかなり長い区間走っている訳で、そう考えると結構奥深いテーマなのかもしれません。
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Unknown (ちょんびん)
2011-02-26 08:59:56
こんにちは。

福大前は、通学利用の固定客がいるのか、
大学側の要望で維持されているのかわかりませんが、
免許維持路線が軒並み整理されていく中で、
しぶとい存続のしかただと思います。

>私にとっては近そうで遠い場所である
私も、福岡近郊のバス停はほぼ認識しているつもりなので、
結果、福岡近郊の地名についても把握している気分になり、
松山・大宮・多賀・市崎などの地名に、
必要以上に反応することがありますねw
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ポチたま (東西方向のアクセス)
2011-02-26 18:20:20
不確かな記憶ですが…

短期間だったと思いますが
今でいう大橋ローカルの位置づけで
10番の番号で桧原営業所から
県道49号線を経由し雑餉隈営業所
までを結ぶ路線がありました

今でこそ外環状線の一部開通で
49号線の渋滞はかなり解消され
ましたが当時はバスナビもない
時代で1時間前後の遅れは当たり前
だったと聞きます

時々チェックしておりますが社会実験中
の700番は全時間帯で遅れが
10分も出てない状況なので
本格運行になれば西端も東端も
延長され利用の幅がますます拡大
するかもしれませんね
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Unknown (soramame)
2011-02-26 21:28:11
ちょんびんさん、こんにちは。

>福大前は、通学利用の固定客がいるのか、
>大学側の要望で維持されているのかわかりませんが、
>免許維持路線が軒並み整理されていく中で、
>しぶとい存続のしかただと思います。

なるほど、大学側の要望という可能性もあるかもしれませんね。

七隈線が大きく角度を変える場所であり、かつ、700番の起点ともなったことで、福大前(というより実際は福大病院&福大前駅ですが)と、福岡市の西の副都心である西新地区を結ぶラインというのは結構重要な意味を持っているような気がします。
でも3番(福大)や95番の現状、姪浜駅と橋本駅を結ぶ路線の現状…などをみていると「そうでもないのかな」という気もして、なかなか理論と実践は結びつかないなぁ…ということを感じます。
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Unknown (soramame)
2011-02-26 21:28:14
ポチたまさん、こんにちは。

10番については、私も、2005年の7月17、19、20日の記事で取り上げておりますので、そちらをご参照いただければと思います。
ブログを始めてまだ間もない頃の記事なので、それだけ私にとっても印象に残る路線だったということかもしれません。

なお、10番は大橋ローカルではなく、春日ローカルとしての位置付けだったようです。

>時々チェックしておりますが社会実験中の700番は全時間帯で遅れが10分も出てない状況なので本格運行になれば西端も東端も延長され利用の幅がますます拡大するかもしれませんね

数ヶ月間の「幻」に終わらずに、ヨコの移動にも需要があることを証明してほしいものですね。
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