INSIDE SORAMAME

私の頭の中のキオクを綴っていくつもりです・・

近い遺産(12)

2008年08月30日 |    ┣ 近い遺産
(つづき)
天神協和ビル前バス停の現在の様子。

更新されていないのか、はたまた貼られたテープが何者かによって剥がされたのかは定かではないが、行先案内にはひと昔前の路線がそのまま残っている。
ここに表示されている路線のうち、現在運行されていないものをリストアップすると…

・12番快速 片江営業所行き
・12番  四箇田団地行き、西油山ハイツ行き
・13番  井手行き(実際の表示は「井出」と誤植)
・51番  桧原営業所行き
・52番  柏原営業所行き
・56番  動物園行き、小笹団地東門行き
・57番  小笹団地東門行き
・60番  片江営業所行き、桧原営業所行き、北片江経由桧原営業所行き
・41-1番 大名二丁目行き

現在は、「12番」の下りに快速はなく、地下鉄七隈線開業に備え新設された急行「エコルライナー」が走っている。
ただし、この「エコルライナー」も、運行開始当初と比較すればかなり本数が減っている。 
また、通学用の早良高校行きを除き、「12番」の福大病院から西へ向かう路線は廃止となっている。
廃止後は、無番の「福大病院~四箇田団地線」(運行開始当初は、片江営業所~福大病院~四箇田団地)に引き継がれたが、これも現在は免許維持路線に転落している。

先日「西高下」を取り上げた際にも書いたが、「13番」の井手、「56番」「57番」の小笹団地東門、「56番」の動物園と、ルートの途中で終点となるいわゆる「○○止め」のケースは減る傾向にある。

「52番」の柏原営業所行きは、深夜バスとして現在でも1本だけ残っている。
「52番」はかつては松本池経由ではなく、この深夜バスと同じく長住6丁目から試験場~柏原交差点を経由していたため、「51番」と「52番」は今以上に「兄弟」感が強かった。

「60番」については「欠番を訪ねて(10)(11)(12)(13)(14)」にて取り上げた。
現在は「12番」に引き継がれている(逆回りは「61番」)。

41-1番」が天神岩田屋前(現在の天神新天町入口)ではなく協和ビル前に停車していたのは、親である「41番」やその兄弟の「43番」が動物園まで行っていた時代の流れを汲んでいるものと考えられる。
(つづく)
コメント (5)
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エンギモノ(11)

2008年08月29日 |   ┣ お宝と縁起物
(つづき)
福岡県那珂川町の「埋金」(うめがね)のバス停。
先日取り上げた「市の瀬」からひとつ北に位置する。

唐津の宝当神社のように、縁起の良さそうな名称を核として「町おこし」につなげる例は多い。
もっと地元の地名を見直してみるのもいいかも。

なお、「市の瀬」のときに取り上げた行先案内における「片縄」の表示、「埋金」では黒文字になっており、どうやら「市の瀬」のものが文字色を間違っている可能性が高そうである。
(つづく)
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LEDであそぼう(9)

2008年08月28日 |    ┣ LEDに位置図
(つづき)
今回は俳句と短歌を詠んでみた
俳句のほうの季語は「」ということで…。
(つづく)
コメント (6)
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LEDにまつわるエトセトラ(11)

2008年08月27日 |    ┣ LEDに位置図
(つづき)
先日の昼間、東中洲のバス停でバスを待っていた際、桧原営業所行きのバスが立て続けに来たので、前面の行先表示の路線による違いをチェックしてみた。
画像はそれを表現したものである。

以前に、終点の「桧原営業所」を強調しすぎではないかと書いたことがあるが、その傾向は相変わらずである。
「12番」は福大前、「13番」は東油山、「52番」は長住三丁目もしくは松本池、「56番」は小笹団地などを右上に持ってきて、その下に小さく「桧原営」としたほうが親切なのではないだろうか?
特に「12番」は、他の3路線と比較してもかなり遠回りして桧原に向かうため、大きな表示では逆に不親切と思われる。
ローマ字表記は消えてしまうものの、「TENJIN」などならまだしも、東中洲の時点で「HIBARU」と表記したところで、あまり効用はないと思われる。
それに、こうすることにより、左側の経由地表示を充実させることができる。

現行の左側の経由地表示もかなりひどい
4路線とも、天神・赤坂門を経由して桧原に向かう(赤坂門まではすべて同じルートを通る)のだが、それを前提に考えると「52番」の表示は不親切極まりない。
「52番という番号や側面の表示ドアが開いた際のアナウンスなどを確認して、お客様が総合的に判断してください」ということだろうか。

また、「12番」と「13番」では、赤坂門から先の六本松に至るルートが異なるのだが(前者は警固町経由、後者は美術館東口経由)、表示はどちらも「六本松」から始まっており、この違いが反映されていない。
特に、美術館東口を通ることは「13番」のアイデンティティともいえ、観光客など都心内を移動する人に向けては重要な情報である。
「美術館東口」が文字数が多くて見にくくなるのであれば、単に「美術館」だけでもよいので入れるべきではないだろうか(六本松まで同じルートを通る「140番」は、東中洲の時点で「美術館東口」を表示している)。

さらに、「12番」と「13番」については、主要経由地である「天神」を表示していない。
「東中洲から西に向かうバスは天神を通って当たり前」ということか?
一方で「52番」と「56番」は「天神」を表示している。
表示を考える際には、「そのバス停でバスを待っているごく一般的な人」を思い描いて、その人にとって最も親切な表示を考えるべきだと思うが、「12番」「13番」と「52番」「56番」では、担当者が思い描く「ごく一般的な人」にズレがあるということになる。

思いつくまま書かせてもらったが、表示の容量や考える手間などを考えたら、実際はそう簡単にはいかないというのも確かだろう。
なので、せめて都心部(100円エリア内など)にエリアを限定するなどして、表示の考え方の統一を始めてもらいたいものである。
(つづく)
コメント (4)
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colors(10)

2008年08月26日 |    ┣ colors&ぐりーん
(つづき)
色付きのバス停、10色目は福岡県古賀市にある「グリーン」。

このシリーズの第一回目で「緑」を取り上げているので、「重複している」と言われれば返す言葉がない。
ただ、重複なしにこのシリーズを続けるのは難しそうであり、今後は、既出の色が登場するケースもあると思われます…。

このバス停を起点として、JR古賀駅の東口までの路線(番号はない)が運行されている(このバス停は終点なので、「シューテングスター」でもよかったのだが…)。
古賀地区のローカル線は主に「130番台」が付けられており、この路線にも「130番台」が付いていてもおかしくなさそうだが、「無番」として走っているのは、他の路線とは補助金の体系が異なるなどの理由があるのだろうか…?

古賀市内の西鉄バス路線も存続が危ぶまれており、近い将来廃止か、町のコミュニティバス等に移管となる可能性が高そうである。
(つづく)
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INSIDE SORAIRO

2008年08月25日 | 日記など
よ~~やく、朝夕が過ごしやすくなってきた。

写真は、週末の夕方、家族で近所を散歩していた際に撮った空。

「空色」というのも、かなり奥が深い…。
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チラシのオモテ(29)

2008年08月22日 |    ┣ チラシとキロク
(つづき)
今回のチラシは前回までと比べてぐっと時代が新しくなる。
昨年春に、夏休み期間中までの予定で運行を開始した「臨時 西鉄香椎~マリノアシティ線」の新設時のチラシが出てきたのでご紹介。

チラシには「8月26日までの期間限定」と明記しているものの、実際には、以前紹介したように、夏休み開始を待たず昨年の7月1日で運行中止となってしまった。
夏休みの利用客をターゲットにしていたのなら、とりあえず夏休みに入るまでは様子を見てもよかったのではないだろうか…。

もしこの路線がそこそこ成功していれば、その先には、「天神・博多駅を通らない都市高速経由の路線」という新たなジャンルの展開が待っていたのではないかと考えられ、早期撤退を決断してしまったこの路線は、ある意味「罪つくり」と言えるかもしれない。
(つづく)
コメント (4)
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ぐりーんぐりーん(1)

2008年08月21日 |    ┣ colors&ぐりーん
西鉄100周年記念事業の一環として、福岡市内の主要観光スポットを周遊する「福岡シティループバス『ぐりーん』」の運行を9月22日から開始するとのこと。

運行経路は…
博多駅交通センター→キャナルシティ博多前→ 櫛田神社・博多町家ふるさと館前→
→博多五町・ホテルオークラ前→ 天神四丁目・赤煉瓦文化館前→(都市高速)→
→福岡タワー南口→シーホークホテル・ヤフードーム入口→唐人町→
→西公園・大濠公園前→ 平和台鴻臚館前・福岡城址→西鉄グランドホテル前→
→天神コア前→柳橋連合市場前→住吉神社前→博多駅交通センター
とのことである。

3年前に提案してみた周遊バスのルートや停留所名にかなり近くない?
まあ、福岡市中心部の観光資源を結ぼうとすると、必然的に同じようなものができるんだろうけど…。
(つづくかも)
コメント (5)
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チラシのオモテ(28)

2008年08月20日 |    ┣ チラシとキロク
(つづき)
福岡地区の「2番」などの昭和59年4月27日当時の時刻表の一部である。
福岡市早良区の藤崎ターミナルから郊外へ向かう「2番」について、前回と同様、当時と現在の行先と平日の運行本数を比較してみると…

(当時)
・三軒屋経由四箇田団地行き 69本
・南金武行き 20本(うち快速1本)
・西山行き 4本
・羽根戸行き 12本(うち快速1本) 
・田隈新町経由四箇田団地行き 22本
・西高下行き 7本
・三軒屋行き 8本
・乙石行き 3本
 →計145本

(現在)
・次郎丸経由四箇田団地行き 47本
・金武営業所行き 38本(うち特別快速5本)
・羽根戸経由四箇田団地行き 8本
・田隈新町経由四箇田団地行き 55本
・田隈新町、四箇田団地経由早良高校行き 3本
・賀茂経由四箇田団地行き(2-9番) 29本
 →計180本

当時は「三軒屋経由四箇田団地行き」をメインとして、そこから派生する行先が枝分かれするような構造であった。
現在は、あとからできた「田隈新町経由」の本数がかなり増え、「次郎丸経由」と「田隈新町経由」という2大経由地の呼び方で大きく区別されているが(先日廃止となった「田隈」は通らないが「田隈経由」という呼び方も定着していると思う)、当時はあくまで前者がメイン、後者は脇役という位置づけであり、「次郎丸経由」という表現はあまり定着しておらず(画像の時刻表では「三軒屋経由」となっている)、利用者の間には、原から四箇田団地の間の経由地が特に書いていなければ、基本的に次郎丸・三軒屋経由だというコンセンサスがあったような気がする。
「2番」の経由地と行先が複雑であるにもかかわらず、番号の分割などが行われないのは、こういった初期の「主従関係」が影響しているのかもしれない。

なお当時は、昭和バス(野河内、三瀬方面行き)も「2番」のルートを走っており、藤崎ターミナルでは「2番」と同じ乗り場に停車していたので、当時と現在の本数の差は実質的にはもう少し縮まるはずである。
ただ、西鉄と昭和には完全に代替性があった訳ではなく、「昭和バスが来ても乗らない」という人も多かったと思うが…。

また、羽根戸を通る便は、現在は田村三丁目から西部運動公園の南側を通って羽根戸に入り、飯盛を経由して四箇田団地へと向かっているが、当時は、羽根戸道で分岐して、飯盛を経由して羽根戸で終点というカタチであり、現在とは逆方向のルートであった。 

郊外の住宅団地開発(イトーピア室見が丘)と営業所移転(四箇田→金武)という構図は前回の「月の浦」にも共通するものがある。
また当時は、「西高下」(現在の講倫館高校前)、「三軒屋」行きがあったが、このような途中の折り返し場は、西鉄全体で見ても減少傾向にある。

なお、現在は廃止となった「西山」は「南金武」のひとつ先にあり、「乙石」は県道大野城二丈線の日向峠のふもとにあった。
これらの行先が表示されているバス停は、現在もまだ残っていると思われる。
(つづく)
コメント (8)
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チラシのオモテ(27)

2008年08月19日 |    ┣ チラシとキロク
(つづき)
大野城市の西鉄下大利駅を起点とする「21番」「22番」「23番」の昭和58年9月当時の時刻表の一部である。
当時と現在の行先と本数(平日の下大利駅発)を比較してみると…

(当時)
「21番」
 南ケ丘10丁目行き 25本
 平野ハイツ行き 62本
 大野城市役所行き 11本
「22番」
 福農前行き 18本
 西鉄二日市行き 17本
「23番」
 平野中学校前行き 34本

(現在)
「21番」
 平野ハイツ行き 11本
 月の浦営業所行き 81本
 大野城サティ行き 15本
「22番」
 西鉄二日市行き 25本
「23番」
 南山手団地行き 65本
 月の浦営業所行き 9本

となっている。
平野ハイツの北西側に大型住宅団地「月の浦」ができ、それに伴い営業所も郊外に移転したことで、「21番」は距離が延び、本数も増えている。
同様に「23番」も、「南山手」団地ができたことで距離が延び、本数も大幅に増えている。
「22番」は「福農前」行きがなくなり、全体としては本数は減っているが、「23番」の増加でそれを補っている感じである。
また、現在「22番」が通る住宅団地「天拝坂」も当時はなかった(区画整理により現在は存在しない、杉塚交差点を斜めに横切る道路を通っていた)。
この間、大野城市、太宰府市、筑紫野市が、福岡市のベッドタウンとして大きく発展したことを物語っているようだ。

ちなみに、「21番」の駅から北へ向かうルートは、終点が「大野城市役所」から「大野城サティ」に延びている。
なお、当時の「南ケ丘10丁目」とは、現在の「南ケ丘5丁目」のことである
また当時は、西鉄二日市から通学用に「武蔵台高校行き」「武蔵台高校経由下大利駅行き」も運行されていた。

路線延長や運行本数の変化などはあったものの、この3路線の基本はほとんど変わっておらず、「住宅団地と鉄道駅を結ぶ」という使命を淡々と果たし続けている。
西鉄電車と争っても仕方ないからか、福岡都心行きの都市高速路線ができるなどということもなかった。

この3路線と、衰退著しい筑紫野ニュータウン線の違い(背後人口、住宅団地の開発主体…など)をいろいろと考えてみるのも面白いかもしれない。

なお当時は、初乗り運賃が90円であり、西鉄下大利から西鉄二日市までは180円(現在は300円)となっている。
安い…。
(つづく)
コメント (2)
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チラシのオモテ(26)

2008年08月14日 |    ┣ チラシとキロク
(つづき)
昭和58年3月22日当時の「58番」及び「69番」の時刻表の一部。

このとき福岡市営地下鉄1号線(現在の空港線)が姪浜まで開通したことにより、国鉄筑肥線の姪浜~博多間が廃止となり、代替バスが走るようになった。
代替バスは、旧筑肥線の区間をなるべく忠実にたどる「69番」と、その派生で、より利便性を追求した「11番」と「58番」の3路線であった。
ちなみに「11番」の番号は、それまで現在の「96番 藤崎~長住線」が使っていたが、このときの改正で「11番」から「96番」に改番となった。

「69番」は当初、【姪浜駅~藤崎~昭代~小笹~百年橋~博多駅】、及びその派生である【下長尾~小笹~百年橋~博多駅】という2系統でスタートした。
その後、下長尾系統が桧原営業所まで延び、また西側は藤崎までの運行となり(ほんの一時期、野方まで行っていたこともあったが)、現在は桧原行きが「69番」、藤崎行きが「69-1番」に分割され、本家が分家に乗っ取られたようなカタチとなっている。

藤崎発の時刻表によると、当時「69番」の都心部向けは平日59本(うち快速が7本、白金二丁目[現在の那の川二丁目。かつて高宮営業所があったところ]止めが4本)も運行されていたことがわかる。
現在は平日20本なので、ほぼ3分の1に減っている。
旧筑肥線の姪浜~博多間が当時どのくらいの本数があって、福岡市内の移動でどのような利用がされていたのかはよくわからないのだが、今から考えると当時の本数はかなり過剰に感じられる…。

なお、代替バスの「11番」は、現在のルートとほぼ変わらない(ただし、郊外部が昭代三丁目から藤崎[上りのみ能古渡船場]まで、都心部が博多駅から中央埠頭まで、それぞれ延びた)。
「58番」は、現在は各停の終日運行(一部快速あり)だが、当時は快速のみであり、通勤時間帯のみ【下長尾~小笹~薬院駅~博多駅】というルートで運行されていた。
(つづく) 
コメント (10)
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LEDであそぼう(8)

2008年08月12日 |    ┣ LEDに位置図
(つづき)
1番目。
先日Kassyさんからいただいたコメントにヒントを得て、東郷地区の日の里循環の側面LEDを考えてみた。
通過済みの箇所の矢印を消していくことがもしできるのであれば、この表示方式も意外と有用なのかもしれない。
ただ実際には、左向き3つの矢印は構造上消せないため、この表示方式の採用は難しそうである。

2番目。
古賀地区の「132番」って、短い区間の割には難しい読み方の停留所がたくさんあるなぁ…とふと思い立って作ってみたもの。
先日の西日本新聞の記事によれば、古賀市内の西鉄バス路線も廃止の方向にあるようで、LED表示自体にお目にかかれない可能性もありそうだ。
(つづく)
コメント (2)
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LEDであそぼう(7)

2008年08月09日 |    ┣ LEDに位置図
(つづき)
ついつい「ありえない」ものを作りたくなってしまう。

1番目。
【こもの~原~青柳四角~下山田~門松~黒穂四角~只越~九州国立博物館~原営業所~高雄~JR二日市~つつじヶ丘1~原~昇町~大橋駅~薬院駅~六本松~原】
という路線がもしあれば、こういう表示もありかも?
こんな表示のバスに乗ってしまったら、どこに連れて行かれるかわからなくてハラハラ(厳密にはハラハル?)してしまいそうである。

2番目。
くどすぎるよ!でも「第二」は?
宇美営業所のバスで「天神四丁目→天神三丁目」という側面表示は実際にある。
わかりにくい天神地区の停車停留所を正しく伝えるため、という観点からは、わからないでもない。
ただ一方で、「天神北」が終点なのに「天神ソラリアステージ前」が一番左に表示されているものや、単に「天神」としか表示していないものもあって、一筋縄ではいかない。
(つづく)
コメント (3)
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LEDであそぼう(6)

2008年08月08日 |    ┣ LEDに位置図
(つづき)
Riverside houseさんのブログの記事を読んでいて、ふと側面の表示も作ってみたくなったので、また落書きをしてみた。

一番目は、先日妄想してみた貝塚駅からの特快路線である。

二番目は、免許維持区間を一本で4区間通るという、効率のよい(?)路線。
まあ、客が乗らないのにバスを走らせること自体が効率のよいことではないのだけれど…。
(つづく)
コメント (8)
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欠番を訪ねて(41)

2008年08月07日 |    ┣ 欠番を訪ねて
(つづき)
昨年5月以来のこのシリーズ。

今年3月のダイヤ改正にて福岡地区の「5番」が廃止となり欠番となったため、この番号についても取り上げることにした。
3月に廃止となった「5番」についてはそのときに書いたので、今回は、その一世代前を振り返ってみたい。

20.「5番 姪浜(貫線)貝塚駅線」

一世代前の「5番」は、
【姪浜~西新~貫線(明治通り)~天神~千代町県庁箱崎浜貝塚駅】というルートを走っていた。

福岡県庁が東公園に移転する前は、千代町と箱崎浜の間は「千鳥橋」 経由であった。

もともとこの「5番」は、市内電車の代替路線であり、当時の方向幕の行先番号は、代替路線であることを示す「オレンジの丸の中に黒数字」で表わされていた。
それが、県庁経由に変更となる際に、市内電車とは異なる経路をたどるようになることから、「代替色」ではなく、一般路線と同じく「黒線の丸の中にに黒数字」の番号となった。

明治通りから貝塚駅に向かう路線としては、「5番」廃止後も「52番」の貝塚駅行きが存在したが、それも後に廃止され、現在、貝塚駅に乗り入れる路線は「25番」のみという状態になっている。

貝塚駅から天神への特快(例えば、箱崎浜、馬出三丁目、築港口のみ停車にして、区役所、ゆめタウン、千鳥橋付近の専門学校の利用者も取り込む…など?)を運行するとか、西鉄電車とバスの料金を通算するとか、貝塚駅を起点とする西鉄貝塚線(旧・宮地岳線)を活性化するための施策もいろいろあったと思うのだが、そういった試みが行われる可能性は現状ではほぼゼロに近そうである。
(つづく)
コメント (3)
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