なんでも内科診療日誌

とりあえず何でも診ている内科の診療記録

糖尿病性ケトアシドーシス

2019年07月01日 | Weblog

 内科の若い先生(地域医療研修の内科専攻医)は先週の土曜日の日直だった。3名内科入院にしたが、それぞれ重症ではなかった。内科当番なので、そのまま病院に泊まって待機していた。

 当直の外科医から、当院の糖尿病外来(大学病院からバイト)に通院している68歳男性が糖尿病性ケトアシドーシスで受診した、という連絡がきた。

 緩徐進行1型糖尿病の患者さんだった。インスリン強化療法をしていて、毎食直前と就寝前にそれぞれ20単位以上(計100単位弱)皮下注していた。

 大阪に2泊3日の旅行に行って帰ってきたばかりだった。インスリン製剤は持って行ったが、インスリン注射用の針(ナノパスニードル)を忘れてしまったそうだ。奥さんが最寄の病院を受診することを勧めたが、本人がいやがって受診しなかったので、旅行の間はインスリン注射なしになった。

 当地に戻ってきて、超速効型インスリンを20単位皮下注したが、血圧が低下して(受診時90台)意識も低下した。それでも救急搬入ではなく、家族が車で連れてきた。

 もともとHbA1c8%程度の血糖コントロールだった。その日は血糖588mg/dlで、血液濃縮を呈していた。血液ガスはpH7.070・PaO2 118.0・PaCO 12.7・HCO3 3.5・BE -25.1・AG 25.1と著しい代謝性アシドーシスになっている。尿ケトン体(4+)。

 生食の急速輸液と速効型インスリンの持続静注が開始された。翌朝には血糖が200mg/dl台になって、速効型インスリン持続静注は中止されて、インスリン皮下注に切り替えていた。翌日の血液ガスはpH 7.390まで改善した。

 今日は普段のインスリンよりは少なめの強化療法にして、血糖200mg/dl台で推移すれば、早めに退院にすると言っていた。

 

 この患者さんは2002年からの記録が残っていて、糖尿病治療歴はもっと古い。SU薬+α-GIが処方されていたが(当時の内服はそんなもの)、その後2003年からはインスリン注射に切り替わっていた(30Rの混合型製剤の2回打ち)。2010年に外注検査で抗GAD抗体12400l・Cペプチド0.13U/mlの記録がある。緩徐進行1型糖尿病相当だった。

 その後に始まった糖尿病外来(大学病院からバイト)通院になって、その後バイトが来なくなって一般内科で診て、その後また始まった糖尿病外来(大学病院からバイト)に通院という経緯だった。当院の糖尿病診療の歴史が見て取れる。またインスリン製剤の進歩も見て取れるという経緯だった。

 1型糖尿病は3日間インスリンをしないと死ぬんだ、と思い知らされたエピソードになった。内科の若い先生は、一通りの指示を出した後に病院で寝ていたが、患者さんが死ぬんじゃないかとひやひやしていたという。

 午前0時前だったので高次施設搬送も難しい状況だった。日中であれば、糖尿病専門医のいる病院・救急部をもつ病院に搬送させてもらうことになる(受け入れてもらえればだが)。

 

 

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