なんでも内科診療日誌

とりあえず何でも診ている内科の診療記録

脳梗塞(心原性脳塞栓症)

2024年07月31日 | 脳神経疾患

 こちらも当直の時に、翌日の早朝に救急搬入された。96歳女性で、発語がないとして救急要請された。

 発症時間が不明の脳梗塞かと思われたが、そうではなかった。施設に入所していて、午前3時に職員が排便の介助をしたが、その時はいつも変わりなかった。

 午前6時に自室を訪問した時には、発語がなくなっていた。救急隊も「発語がない」とだけ言っていて、バイタルには異常がないと報告してきた。

 搬入時、開眼はしているが発語はない。口唇をちょっと動かしていて、失語症が疑われた。両上肢を持ち上げたり、両下肢の膝立を行うと、右半身の麻痺があった。左側の脳梗塞だとすると失語症になる。

 心電図で心房細動を認めたが、かかりつけのクリニックから抗凝固薬は処方されていなかった。心房細動があっても、96歳に抗凝固薬を出すかどうかという問題はあるだろう。

 発症して長くても3時間経過しているかどうかだった。頭部CTは出血がないことを確認するのに行った。脳出血はなく、当然だが梗塞巣は指摘できなかった。頭部MRI拡散強調画像でも描出できるかどうかと思われた。

 頭部MRIでは左中大脳動脈領域の脳梗塞がしっかり描出された。MRAは頭を小刻みに動かしていたこともあり、うまく描出されていない。心房細動があり、発症してすぐに症状が完成しているので、心原性脳塞栓症でいいのだろう。

 診断がついて、後は当院で診るかという問題になる。年齢的に高次医療機関で受けてくれるかどうか。

 連絡を受けた家族の娘さんが病院に来ていた。息子さんも駆け付けて来るが、地域の基幹病院の職員だった方で、定年になったばかりだという。

 とりあえず基幹病院に搬送依頼をしてみることにした。電話を入れると、年齢を伝えてもすぐに受けてもらえた。引き受けた後で、ところで男性ですか女性ですがと訊かれた。どちらも空きベットがあったということか。(ちょっと拍子抜けするくらいのやり取りだった)

 急性期の治療後に当院転院になるが、ほぼ完全麻痺なのでベット上臥床の状態になる。食事摂取もできないかもしれない。

 

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熱中症

2024年07月30日 | 水電解質・輸液

 7月26日(金)の当直は午後5時の搬入要請から始まった。一人暮らしをしている93歳女性が自宅で倒れて動けなくなっているという。

 隣の家に弟夫婦が住んでいる。2日前の水曜日にはデイサービスもあり、弟の妻(義妹)が訪問していて、特に変わりはなかったそうだ。

 前日は誰も訪問していない。搬入されたその日は、別の弟が訪問して姉が倒れているのを発見したという経緯だった。

 その日も暑かったが、救急隊の話では、エアコンはついていなくて室内は暑かったという。肩甲骨部・仙骨部・膝関節部・足関節部に発赤(とびらん)があり、褥瘡が始まっていた。少なくとも1日は同じ姿勢でいたのだろう。

 搬入時、開眼していて会話はできる。エアコンのことを訊くと、最近新しいエアコンに代わったが、使い方がわからないので使用していなかったそうだ。

 頭部CTは脳委縮のみで、脳血管障害はなさそうだった。胸腹部CTで胆道系の拡張があるが、2年前からある所見だった。本人は食道癌術後といっていたが、開腹だけの手術痕なので胃癌食道浸潤かもしれない。

 バイタルは血圧が250と著しい高血圧症だった。当院の腎臓内科外来に通院していて、複数の降圧薬を処方されているが、それでも血圧が150~160から180くらいにもなっていたそうだ。

 降圧薬は2日分内服していなかった。点滴と降圧薬のニカルジピン注を行った。家族が処方薬をそっくり持ってきたので、再開した。

 土日は少なめの点滴を入れていたが、入院後から食事摂取は良好で、週明けの月曜日の日中の分で中止した。経過はいいが、一人暮らしなのでこれまでのように歩行できないと退院にはできない。降圧薬の追加も必要だ。

 後はエアコンの使い方をしっかり教えてもらう必要があるが、毎日誰かが行って調整しないと難しいかもしれない。

 

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大腿骨骨幹部骨折

2024年07月29日 | 整形外科疾患

 7月26日(金)は当直だった。翌27日(土)の早朝に転倒して右大腿痛がある87歳男性が救急搬入された。

 当院の整形外科に通院していて、9月4日に左膝関節の人工関節置換術を受ける予定だった。

 その日は午前6時ごろにトイレに行こうとしてベットから起きて、杖を持って立ち上がった。バランスを崩して倒れた時に、ベットの角に右大腿を打撲した。意識消失はなく、状況を説明できた。 

 救急隊からの連絡を受けた時は、大腿骨近位部骨折かと思われたが、右大腿部はそれよりも下で腫脹していた。X線で確認すると、右大腿骨の骨幹部骨折だった。

 整形外科医に電話すると、開放骨折でないことを確認して、そのまま入院させるよう指示された。早ければ週明け火曜日には手術を予定することになった。

 もともとロキソプロフェン内服が整形外科外来から処方されている。疼痛の指示などは整形外科の必要時指示項目に入っているので、それを入力しておいた。

 搬入時はよく通る声ではきはきと答えていた。入院後は、夜間せん妄になって向精神薬の投与を要するようになっていたが。

 

 昨年度から整形外科が再開されて、骨折の入院を受けるようになった。四肢の骨折もあるが、脊椎がメインになっている。保存的治療の胸腰椎圧迫骨折も入院するので、整形外科はかなりの需要がある。

 脊椎疾患の評価にはMRIを要する。脊椎MRIを見る機会が大分増えた。

 

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多発性筋炎・間質性肺炎

2024年07月28日 | リウマチ膠原病

 7月25日(木)の呼吸器外来に71歳男性が受診していた。膠原病肺(多発性筋炎・間質性肺炎)のフォローで半年に1回診ている。

 ちょっと驚いたのは、多発性筋炎は現在無治療で経過観察となっていることだった。2018年からプレドニンが中止となった。

 

 2002年に多発性筋炎が発症して、内科から脳神経内科に紹介になった。外来からそのまま大学病院に紹介された。ステロイドパルス療法からプレドニン60mg/日で開始して、症状軽快後に漸減となった。

 2009年に潰瘍性大腸炎が発症して、当院消化器科に入院となった。プレドニンだけでは経過が思わしくなかった。大学病院から内視鏡の応援に来ていた先生に相談して、消化器内科と外科が炎症性腸疾患を扱っている病院に紹介となった。白血球除去の治療が行われたが、反応がなく、結局外科手術となった(術式の詳細は不明)。

 2010年には多発性筋炎が再燃して、当院の脳神経内科に入院した。大学病院と同じメニューで治療して軽快している。外来でプレドニンの漸減と糖尿病(ステロイド糖尿病)の治療が行われた。そして2018年からはプレドニンが中止となり、そのまま安定して状態を保っている。

 発症当初から胸部X線・CTで間質性肺炎(両側下肺野背側に間質性陰影)を認めて、当院呼吸器内科外来(現在は非常勤)でフォローしていた。現在はこのくらいの陰性で当初よりは陰影が増加しているが、経過観察となっている。

 脳神経内科は昨年春に担当医が退職して閉科となった。現在は地域の基幹病院脳神経内科に通院している。膠原病肺のフォローは当院になっているが、これも先方の病院に紹介した方がいいのだろう。

 多発性筋炎はリウマチ膠原病科か神経内科かという問題もあるが、今だとリウマチ膠原病科に紹介になるのが主流だと思う。あと、当時はあまりいわれなかったが、今だと多発性筋炎のどのタイプかということになる。

 

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脳出血

2024年07月27日 | 脳神経疾患

 7月25日(木)に地域の基幹病院脳外科から74歳男性が、リハビリ目的で転院してきた。

 6月30日に右麻痺で発症して救急搬入されていた。右視床出血の診断で、保存的治療が行われた。視床なので、右半身の間隔鈍麻があり、失語症とも記載されていた。

 利き手交換で食事摂取は(介護用スプーンを用いて)自力摂取できる。食事形態は普通食(高血圧食)でその点では看護の面で助かる。

 

 麻痺は右上肢はMMT1(筋収縮は認められるが、関節運動は起こらない)、右下肢はMMT2(重力がかからなければ動かせる、ベット上を這わして動かせる)だった。現状では上肢は全く実用性はなく、下肢も歩行はできない。

 家族(同居の妻と息子)に現状の麻痺では歩行は不可能で、今後の回復の程度にもよるが、難しいだろうとお話した。視床出血といっても、運動神経の経路である内包後脚を巻き込んでる。

 家族は、先方の病院のリハビリの人(理学療法士だろう)には歩行できるといわれました、という。いやいやまず歩行は難しいだろう。リハビリを継続してまた相談しましょうと伝えた。

 最終の頭部CTは7月17日に行われていて、血腫は大分吸収されてきている。そこから1週間経過しているので血腫成分はほとんどないかもしれない。レンズ上の低濃度域になっていくはずだ。

 介護保険は申請していた。家族は日中は仕事に行くので、歩行できなければ在宅介護は困難だという。

 

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脳出血・くも膜下出血

2024年07月26日 | 脳神経疾患

 7月23日(火)に、脳血管疾患の専門病院から68歳男性が転院してきた。計3回の脳出血とくも膜下出血の既往があり、今回は右被殻出血で、リハビリ目的の転院だった。

 当市内在住だが、ずいぶん昔に職場の健診を当院で行っているが、病気での受診歴はない。ずっと紹介先の病院の扱いになっているが、最初は市内の開業医の先生が紹介したのかもしれない。

 最初に右側頭葉皮質下出血が起きて、その後に右小脳出血が起きている。

 2021年にはくも膜下出血でコイル塞栓の治療を受けた。その後はコイル塞栓の追加、さらに2023年12月にFDステント留置と記載されている。

 FDステントは知らなかった。フローダイバーターステントは脳動脈瘤のある血管に網目の細かい特殊構造のステントを留置して、脳動脈瘤内が血栓化・治癒を目指す治療だった。

 脳動脈瘤の治療は開頭クリッピング術だったが、血管内治療(コイル塞栓術)の方が治療成績が優れていることがわかった。しかし、口の広い動脈瘤(広頸瘤)や大型瘤では十分なコイルの充填が困難で、治療後の再発が発生する。そこで登場したのが、塞栓術フロダイバーターステントということだ。

 この治療をすると、留置後に抗血小板薬の内服が必要になる。今回は右被殻出血を来したため、抗血小板薬2剤を内服していたのを一時的に中止して、急性期を過ぎたところで抗血小板薬1剤を再開となっていた。

 

 この方はステント留置のための抗血小板薬だが、脳血管障害では脳出血と脳梗塞の両者を来す患者さんだと、抗血栓薬(抗血小板薬、抗凝固薬)の処方をどうするかという問題がある。

 大抵は出血の急性期だけ中止して、その後は使用継続となるが、また出血が起きた時は当然裏目に出る。

 

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コロナが増えてきた

2024年07月25日 | COVID-19

 新型コロナの患者さんが増えてきている。現在病棟の稼働率が良く空きベットがほとんどなくなっているため、コロナで入院が必要となった時に困ってしまう。

 7月24日(水)に自宅近くを散歩(徘徊)していた79歳男性が、転倒して右前額部を打撲した。同部から出血があった(oozing)。

 救急隊が到着していた時は路上の縁石に座っていて、会話は可能だった。かかりつけの病院(居住地の町立病院)が受け入れ困難ということで当院に搬入された。

 バイタルは血圧・酸素飽和度に問題なかったが、38℃の発熱があった。搬入時に発熱外来扱いとなり、迅速検査をしたところ、コロナ陽性(COVID-19)だった。

 救急は非常勤の外科医が診ていたが、とりあえず出血のある挫傷の縫合を行った。肩や頬部にも軽い擦過傷があった。

 頭部CTで頭蓋内出血はなかった。経過観察も兼ねて入院させようとしたが、その日は急性期病棟に整形外科の骨折患者2名が入院してしまい、入院できるベットがなかった。

 かかりつけの病院に入院できないか連絡すると、実は前日にその病院に入院していたことが判明した。入院して点滴を開始するとすぐに自分で抜いてしまい、帰ると訴えて(暴れたということ)、入院継続は無理と判断されていた。

 家族に事情をお話して、外来で経過をみることになった。翌日処置した傷の確認に来る。(家族は入院できる病院への紹介を希望したが、これまでの経緯とコロナであることから引き受ける病院はなさそうだった)

 

 先方の病院にはどういう経緯で入院していたのだろうか。発熱があるが、コロナの迅速検査が陰性で、コロナではない発熱患者としての入院だったのかもしれない。病院内でコロナ患者が発症しないか、心配になる。

 

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高血圧・心不全・腎不全

2024年07月24日 | 循環器疾患

 7月22日(月)の夕方に、午後の内科外来を診ていた若い先生が、腎臓内科医に相談していた。患者さんは、血圧が著しく高く、心不全・腎不全を呈している31歳男性だった。呼吸困難感と両下腿浮腫で31歳男性が受診した。

 2か月前から咳が出やすくなり、倦怠感もあった。1か月前から食欲低下があり、約10kg体重が減少した(それでも体重85kg)。

 2週間前から両下腿の浮腫に気づいた。1週間前から呼吸困難感があって、内科クリニックを受診していた(喘息発作として?、β刺激薬の吸入だけ)。

 血圧が225/150と著しく高かった。昨年12月から頭痛で鎮痛薬(市販のイブプロフェン)をずっと飲んでいた。(高血圧による頭重感か)

 血液検査でBUN31.4・血清クレアチニン2.55と腎機能障害がある。尿検査では尿蛋白(3+)・尿潜血(1+)。血清アルブミン3.2g/dL、尿蛋白2g/g・Cre(=g/日)。

 胸部X線・CTで胸水貯留と肺うっ血を認めた。

 若い患者さんなので、大学病院への紹介としていた。その日は当院に入院して、ニカルジピン点滴静注で血圧のコントロール(利尿薬フロセミドも使用)を行って、翌日大学病院腎臓内科に搬送となった。

 

 高血圧症からの腎不全・心不全だが、年齢的には二次性高血圧症の鑑別を要する(血清カリウム3.2)。BNPが3544pg/mLとふだん見ないような値を呈していた。

 ニカルジピンは、ニカルジピン50mg+生食50mlの点滴静注で行っていた。救急車での搬送の時に、救急車には輸液ポンプがないので、そのまま病院のものを持って行ってもらった。

 

 当方だと、受診日に心不全として循環器内科に搬送したかもしれない。透析をするほどの腎不全ではないので、循環器内科で診てもらえると思う。腎臓内科だと高血圧症(二次性)や腎不全の鑑別(腎生検)ができるが。

 

 

 

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子宮留膿腫

2024年07月23日 | 産婦人科疾患

 7月19日(金)午後に施設入所中の92歳女性が救急搬入された。6月末に施設に入所していた。

 7月17日から発熱があり、尿路感染症として(検査はしていない)レボフロキサシン内服を投与していた。発熱が続き、呼吸困難もある(酸素飽和度が低下)という施設嘱託医からの紹介だった。

 その日は非常勤の外科医が救急外来を診ていて、「胸水貯留(心嚢液貯留も)と浮腫があり、心不全で入院が必要」、と連絡がきた。

 白血球18000・CRP9と炎症反応の上昇を認めた。抗菌薬投与で尿自体は混濁していなかった。画像では確かに胸水・心嚢液貯留がある。心電図では洞調律で不整脈はなく、有意なST-T変化はなかった。心尖部で収縮期雑音が聴取された(MR)。

 入院として利尿薬(フロセミド静注、K保持性のカンレノ酸カリウム)を開始すると反応良く利尿がついた。37℃後半の発熱が続いていた。

 

 下腹部痛の自覚症状も下腹部圧痛もないが、CTでは子宮留膿腫と思われる所見がある。7月22日に非常勤の産婦人科医に相談すると、内診台に乗れますがという。ベットの上で上半身を起こすくらいはできるので、大丈夫です、と答えた。

 子宮から170mlの膿汁がドレナージされて、細胞診・培養が提出された。1週間後に再検となった。(現在、産婦人科は月~木で非常勤医がきている)

 

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髄膜腫

2024年07月22日 | 脳神経疾患

 7月16日に記載した膵癌の女性のその後。入院後はある程度食事摂取できるようになった。高次医療機関への紹介は、地域の基幹病院を希望されていた。

 今週末の消化器内科の外来予約をとったので、その直前に当院を退院することになった。担当の先生が診療補情報提供書をと画像を準備された。

 

 この患者さんは昨年2月にめまいを訴えて外来を受診していた。頭部CTで右高位円蓋に石灰化を伴う境界明瞭な腫瘤を認めた。髄膜腫で、周囲に脳浮腫を伴っている。

 この時は、外来で担当した先生ががんセンター脳神経外科に紹介していた。がんセンターで手術するのかと思われたが、手術は脳神経外科の専門病院に紹介となっていた。

 無事に脳腫瘍の手術を受けたが、その後に右橈骨遠位端骨折を来した。それは当院整形外科で手術をしている。さまざまな疾患を乗り越えてきているが、今回はどうなるか。

 

 先週末は金曜日に遅番(外部の病院から当直バイトの先生が来るまで)で、日曜日は内科の当番だった(日当直は別の外部の先生)。

 金曜日の遅番の時に、良性発作性頭位めまいの高齢男性が救急搬入されて入院した。(本日午後退院)日曜日の分は、後で救急外来受診者を確認すると、結構頑張って帰していて入院はなかった。ただ高齢者の高熱など、入院になりそうな患者さんがいて、今週再受診してくる可能性がある。

 病棟からは、金曜日の夕方に心不全で入院した超高齢女性の尿量が4000mlと出過ぎるくらい出て、どうしましょうかという連絡が入った。バイタルの大きな変化はなく、利尿薬減少の指示で済んだ。総じて比較的楽な週末ではあった。

 

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