宝塚映画祭では、シフトのない時にガンガン映画を見ました。
日本の古い映画を4本。
その中で一番よかったのが、フランキー堺主演の「おへその大将」です。
軽いタッチのコメディかと思ってたら
ヒューマンドラマ系で、ほろりとする中にいろんな問題を含んでいて
すごくいい映画でした。
>舞台は大阪の東、平野川畔のアパッチと呼ばれるスラム街。
>元大阪砲兵工廠の鉄屑を盗み、なりわいとする人々と、
>そのはずれで小さな病院を営む児玉医師との人情味溢れる交流の群像劇。
>木村武と藤本義一の共同脚本を、佐伯幸三が監督。
>主演はフランキー堺、妻役に新珠三千代
(宝塚映画祭のサイトより)
鉄屑泥棒対策に、警察はけっこう手荒で、
死傷者が出るほど乱暴で、
そんな中いつも苦しむのは一番貧しい人々です。
そんな人々に寄り添おうと奮闘する町医者の児玉先生が、フランキー堺。
前途有望だった研究者の道を捨てて貧乏することになった妻は
時々不満ももらすけど、彼の一番の理解者で協力者で
美しくてやさしくて強くて、すごくできた人。
そんな、本当に考えてくれてる児玉先生を疑って、
嫌がらせをするのが、若くて粗野な山崎努ですが
結局先生の誠意は通じ、人々の信頼を得て行く。
いいお話で、人々はたくましく明るくしぶといんだけど
よく考えるとあまり希望のない話なのよねぇ。
この赤貧の人々がここから抜け出せる可能性は低く
今日仕事がなければ、明日にも飢えるという毎日。
児玉先生はお金も取らず赤貧で必死で彼らを診るけど、
すべての人は見きれないだろうし、
病気になれば死ぬしかない生活の人達なのです。
なのに、なんでこの状況で、こんなに明るく生きていけるのかが不思議だった。
この時代の空気なのか、
時代の空気だけでそんなに強くなれるのか、
いろんなことを考えたのは、この前日に見た
「サウダーヂ」という映画のせいです。
「サウダーヂ」は現代の若者にカルト的人気のある映画で
宝塚映画祭でもたくさんの人が見てくださいました。
同じ街を舞台にしたいくつかのストーリーが交わらないまま
進んで行く2時間半以上の長い映画です。
閉ったシャッターの延々続く陰気でさびしいシャッター通りで、
そこに生きるラッパーや土木労働者(土方と自称している)、移民といった
世間の底辺に生きる人達の日常が
コントラストの強い画面で描かれています。
このコントラストの強さにも全然疲れないくらい
すごく面白い映画でした。
というか、画面構成もよかったし、もっと荒削りな映画と思ってたけど
いろいろとこなれて、よくできてた作品と思った。
大きな物語があるわけではないけど
時代の閉塞感というか希望のない感じを、ものすごくうまく表しています。
ああ、これは今の、行き詰まって世の中に怒っている若者に
そりゃ、うけるだろう、と思いました。
閉塞感や希望のなさの原因は、完全に彼らの外側から来るのです。
シャッター通りがしけてるのは自分たちのせいじゃないし、
不景気で仕事がなくなるのも自分たちのせいじゃないし、
全部時代のせい、世の中のせい、こんな世の中にした世代のせい。
怒りながら底辺にあるのは「仕方ない」というあきらめの感情で
希望の持てない毎日を生きるだるい切なさがこころに沁みます。
(しかしながら、わたしはやっぱり日本語ラップが好きになれない。
どう見ても馬鹿っぽくうすっぺらにしか見えない。
上に貼った予告編に出てくるラップの歌詞も
それに重なるように出てくるテロップも、
あまりに単純で薄っぺらな主張にしか見えないので
評判を聞いても、見るつもりになれなかったけど、映画はよかったのでした)
サウダーヂの登場人物に比べて、決して状況がいいとは言えない、
いや単純に比べたら何倍もひどい「おへその大将」のスラム街で
なぜ人々はみんなあんなに明るく屈託なく生き、死ぬのか
なぜ希望など探せないはずの場所で「仕方ない」とあきらめたりせずに
必死でその日暮らしを生きるのか、
時代もテーマも映画の形式も何もかも
全然関連のない映画だけど、この2本は一緒に見てほしいと思いました。
でも、どちらも素晴らしい映画だけど
「おへその大将」は多分レンタルにもないし
「サウダーヂ」はDVD化しないということなので
2本一緒に見る機会はもうないのでしょうが。