子どもの感性に関して昨日書いたけど、
そういう自分自身は、見ることの呪縛にがんじがらめになって、
全然絵がかけなくなった者ですが。
なんか、もう、それでいいやって思ったりします。
表現なんて、自分がしなくても、みんなしてるし、
オリジナリティとか信じてないし、
見てるだけでいいや、もう。何も作らなくていいや、と。
そのわりに言葉ばかり多いのは、お恥ずかしいですが・・・(笑)
写生にたいする姿勢は洋画と日本画では違うと思う。
洋画の方がテクニックや表現に偏ってて、
古典的日本画の方が見ることに重きを置いてる気がする。
偏見かもしれないけどね。
でもそういうことを教える先生は、
今、滅多にいないようにも思う。
わたしが教わったのは偏屈でわがままで勝手で
子どものような先生でした。
彼のことを本当に理解して守ってくれる人を結局傷つけ
めちゃめちゃにしたところで、わたしはあきれかえったけど
それでもそういう人を嫌いにはなれないですね。
個人的には、あまり関わりになりたくないけど
芸術家なんだと思います。その分の孤独はひきうけていることでしょう。
そういう先生が好きなように作ったカリキュラムで学んだけど
その先生はもう退学されたので、その大学でも
今はあんな風には教わっていないようです。
オリジナリティとか個性とかいうことを、
あまり早い時期に追うのはどうかなぁと、わたしは思います。
自己表現と言うけど、そんな豊穣な自己を誰もが持ってるわけではない。
まずは「自分」ではなく目の前の物を見るべきと。
自分の中より世界の方が多様で学べることも多いですから。
見ることを疎かにする一方で、個性尊重をいう風潮を、
わたしは信じないし、なによりも、嫌なのです。
表現ということがどうしようもなく持っているあざとさに、
過敏すぎるのかな、わたしは。
それで、絵を描きたくないというところもある。
写真に惹かれるのは、記録という言い訳と、
機械を通すことで自分が溢れすぎないから、かな。
スナップを取っている限りは
隅々まで自分の個性を反映させて作り込むということはないので
逆に安心して、自分をゆだね、解放できる気がするのですね。
わたしの世代は、個性個性と言われ始めた世代かもしれません。
真面目なことはつまらないとされ、
変わったことばかりもてはやされ、
人と違うことをしろとばかり言われた。
さもしいことです。
完全に同じになんてできないんだから
「同じ」を怖がらなくてもいいのです。
それより、浅はかで凡庸な違いにあくせくすること、
をこそ怖がれ、と思う。
目立つためだけに、際立つためだけに「違い」を追い求めるのではなく
美しさとか、真実とか、そういうものを真摯に追っていれば
自然に自分だけのものができていくだろうに。
それが何に似てても、問題ではないだろうに。
そういう自分自身は、見ることの呪縛にがんじがらめになって、
全然絵がかけなくなった者ですが。
なんか、もう、それでいいやって思ったりします。
表現なんて、自分がしなくても、みんなしてるし、
オリジナリティとか信じてないし、
見てるだけでいいや、もう。何も作らなくていいや、と。
そのわりに言葉ばかり多いのは、お恥ずかしいですが・・・(笑)
写生にたいする姿勢は洋画と日本画では違うと思う。
洋画の方がテクニックや表現に偏ってて、
古典的日本画の方が見ることに重きを置いてる気がする。
偏見かもしれないけどね。
でもそういうことを教える先生は、
今、滅多にいないようにも思う。
わたしが教わったのは偏屈でわがままで勝手で
子どものような先生でした。
彼のことを本当に理解して守ってくれる人を結局傷つけ
めちゃめちゃにしたところで、わたしはあきれかえったけど
それでもそういう人を嫌いにはなれないですね。
個人的には、あまり関わりになりたくないけど
芸術家なんだと思います。その分の孤独はひきうけていることでしょう。
そういう先生が好きなように作ったカリキュラムで学んだけど
その先生はもう退学されたので、その大学でも
今はあんな風には教わっていないようです。
オリジナリティとか個性とかいうことを、
あまり早い時期に追うのはどうかなぁと、わたしは思います。
自己表現と言うけど、そんな豊穣な自己を誰もが持ってるわけではない。
まずは「自分」ではなく目の前の物を見るべきと。
自分の中より世界の方が多様で学べることも多いですから。
見ることを疎かにする一方で、個性尊重をいう風潮を、
わたしは信じないし、なによりも、嫌なのです。
表現ということがどうしようもなく持っているあざとさに、
過敏すぎるのかな、わたしは。
それで、絵を描きたくないというところもある。
写真に惹かれるのは、記録という言い訳と、
機械を通すことで自分が溢れすぎないから、かな。
スナップを取っている限りは
隅々まで自分の個性を反映させて作り込むということはないので
逆に安心して、自分をゆだね、解放できる気がするのですね。
わたしの世代は、個性個性と言われ始めた世代かもしれません。
真面目なことはつまらないとされ、
変わったことばかりもてはやされ、
人と違うことをしろとばかり言われた。
さもしいことです。
完全に同じになんてできないんだから
「同じ」を怖がらなくてもいいのです。
それより、浅はかで凡庸な違いにあくせくすること、
をこそ怖がれ、と思う。
目立つためだけに、際立つためだけに「違い」を追い求めるのではなく
美しさとか、真実とか、そういうものを真摯に追っていれば
自然に自分だけのものができていくだろうに。
それが何に似てても、問題ではないだろうに。